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黄金の散歩道

深夜に散歩するのが好きだ。去年の12月に今の家に引っ越して以来、僕は散歩コースを探し続けていた。最初に見つけたのは、家から出てわりと広い国道に沿ってしばらく歩いていくというコースだった。最初は今までと違う散歩コースにテンションが上がっていたのだが、段々と辛くなってきた。まず国道に沿っているので車どおりが多い。しかもトラックが多いので、後ろからすごいスピードでトラックが走ってきてすぐ横を通り過ぎるということもよくあり、そのたび死を近くに感じて全然楽しくなくなる。あと道が狭くて細い。向かいからカップルがきたりしたら体を崖を渡る時のように横にしなければならない。それが嫌で横にある住宅街に入っても、なぜか深夜すごい速度でウォーキングしている老人がいきなり角から出てきたり、国道沿いからのクラクションの音が聞こえてきたりと暗い気持ちになり、疲れて帰る事が多かった。また違う道を探しては同じような結果で、この辺りは散歩に向かないのかと落ち込んでいたのですが、なんと、この2か月前ほどに、めちゃめちゃすごい散歩コースを見つけてしまいました。

今まであまり意識していなかった方角に行ってみるというのは散歩開拓の定石ではありますが、まさしく国道と真反対の方角にその桃源郷、金脈はあったのです。

まず、家を出て今までと反対の方向に進む。すると、長い道路の一本道があります。ここは昼間はそこそこ車が通るのですが、深夜はめったに通らない。そこをずっと歩く。何も考えずストレスなく直線を歩き続ける事ができるというのは僕の理想の散歩ロードの条件の内の一つなのですが、まずそれを満たしています。そうしていると、しばらくしたらセブンとローソンが出てくる。この二つの距離が非常に近く、気分に応じてどちらかを選ぶことができます。この自分で選んでる感。これも良いです。僕はセブンの方によく入るのですが、ここは深夜いつ行ってもまったく客がおらず、おそらく週5くらいで入っているだろういつもいるアルバイトの二人がレジで楽しそうに喋っている。

一人は大学生くらいの男の子でもう一人は30歳過ぎくらいの少し冴えない雰囲気の人なのですが、なぜかこの2人がいついっても楽しそうに喋っている。このバイト先で出会わなかったら出会うことはなかったんだろうなあという2人の仲睦まじさがが心を癒します。先日も店内に入ると、またこの仲良し夜勤コンビが楽しそうに喋っておりました。僕がお酒とお菓子をレジに持っていくと、大学生の方の人が接客をしてくれたのですが、なんとその最中にも楽しそうに会話を続けるのです。


しかし態度が悪いという風ではまったくなく、むしろその会話と同じテンションで「袋有料ですがおつけしますか?」と丁寧に明るく聞いてくれる感じが外国で買い物をしているような風にすら感じられ、実際アルバイトってこれくらいの感じでいいよなあと思い、店を出て後ろから「ありがとうございました~」という声を背にもらい、さらに歩き続けます。


一応散歩といえど目的があるとメリハリがつくので、僕はその真っすぐ歩いた先にある駅にたどり着くことを目指して歩きます。その駅こそ、この散歩の醍醐味、素晴らしいポイントなのです。


その駅は、駅前はそんな広くないのに商店街になっているメイン通りが4本あり、縦に長い街というのか、文字通り「奥深い」駅なのです。100円ローソンもあり、ジュースやお酒など散歩のお供も買えますし、なんと言っても全然人がいないのです。普通それなりに栄えている駅は、深夜でも酔っ払いや路上飲酒などに励んでいる人が多く、騒がしいといった印象があり、散歩をしていても楽しくありません。


自分がその輪に入っている時は楽しいがその盛り上がりを外から見ることは非常に嫌いという自分本位な性格の僕としては、高円寺を散歩するなどというのは地獄でした。


一度散歩中に、僕の目の前で男女グループの女性が思い切り嘔吐をし、連れのアフロの男性が僕に「やばいね!」と言ってゲロを指さしてきた事があり、高円寺を散歩してしまった自分が悪いと強く思いました。しかし高円寺自体は魅力的な街です。でも散歩の時間をゲロとアフロに邪魔されてしまう危険性も高い。その中間をとって阿佐ヶ谷を散歩したりする時もありましたが、阿佐ヶ谷は阿佐ヶ谷で高円寺からずらして阿佐ヶ谷で飲んでいる酔っ払いグループが駅前や路上で嘔吐に打ち込むといった光景や、高円寺から流れてきた人らがテンションはそのままに大声で暴れている、という光景も多くあまり楽しくない。


そんな僕が常々抱いていた「街が広くて散歩しがいがあって人がいない街、ないかなあ」というのび太君のような願いが、この度叶えられたのです。僕だけの秘密にしているので駅名は出しませんが、この到着点の駅が本当に楽しい。日高屋、富士そば、松屋、100円ローソンが完備されており、何をしたっていい。なんでもできる。


この前立ち止まったり椅子に座ったりボーっとしたり歩いたりして、結局2時間くらいその駅のあたりをウロウロしていました。誰にも会わない。とても癒される。しかもメイン通りが4種類あるので、今日はこちらをといった調子で進むことができる。僕だけのスイートスポット。いつかあなたが僕をその街で見かけた時、笑いあいましょう。


# by akuta-seiryou | 2020-09-02 23:44 | 思い出

人生の全てをビデオテープに記録することは可能かどうか

なぜ自分の中に残っているのかもわからないが、ふとした時に思い出してしまう記憶についてなのですが、自分の場合は母と父が横にいてドリームキャストでビックリマンのゲームをしている瞬間がそうで、本当にふとした時に脈絡もなく思い出す。 何歳だったかもわからないが、おそらくかなり小さい頃の僕がプレゼントで買ってもらったドリームキャストのビックリマンのゲームを遊んでいて、それを母と父が横で挟んでいる。この光景を思い出すだけで、かなり落ち込んでしまう。 もう絶対に戻れないのだ。当たり前だが、無性に悲しくなる。あんなに小さかった自分が、飯を食べて、大きくなって、今は自分でバイトをして家賃を払って家に住んでいる。意味が分からないとふと思う時がある。 

自分が生まれた瞬間からビデオの録画をスタートして、今までをエンドレスで撮り続けていたとして、今で26年目。それを僕が今日を境に一から見直そうとしたら26年、つまり単純計算だけで最速で52歳になると見終わる計算になると思う。 ここからさらに食事、トイレなどはしないといけないし睡眠時間だってとらないといけない、そう考えるとさらに時間がかかる。60歳とか70歳になっているかもしれない。26歳までを生きて、そこからは自分が0歳だった時から26歳までを見るだけの人生。 さらにそれを見ているところを録画して、たまに見かける「空が晴れたり曇ったり夜になったりまた晴れたりを高速で繰り返していく映像」みたいに自分がどんどん老いていく映像を撮って、死ぬ前にそれを見たらありえないほど後悔するだろう。 生きているから過去の思い出が恋しくなる。だから私たちは写真を撮ったり、動画を撮ったりして人生の瞬間を切り取るのでしょう。 しかし「思い出」があるからこそ生まれる悩みもある訳で、昔の家族写真とか弟が小さい頃の写真などを見ると、ああ今からでもここに戻って弟を抱きしめたい。バックトゥザフューチャーを僕がやったら4歳くらいの弟を抱きしめるだけで2時間が終わるだろう、という感覚に襲われる。見なければ、少なくともその時はそうは思わないのに。僕は写真が好きなのだが、写真が嫌いな人は、過去を手元に置いておいたり置かれたりするのが生理的に嫌な人だったりするのかなと思う。

過去があり現在がある。「真ん中から綱を渡るものはいない」という 言葉があるが、まさしくその通りだろう。人は皆、過程があり、今になっている。 しかし、思うのですが今このハイテクコンピューター時代において「生まれた瞬間から最後までの動画を撮り続ける」というのは、100%不可能という訳ではないだろう。スマホのカメラで撮影して、データはUSBやオンラインにいくらでもアップロードできる。 子供が大きくなれば、小型のカメラを持たして学校に行ってもらい、帰ってきたら家で自分が子供を撮る。もちろんたくさんの大きすぎる問題があるのはわかるが、奇跡的に子供含め全員の同意と協力とお金があれば、できることはできるだろう。 ただ、大きくなった時に本当に自分のすべてがデータとして残っているという感覚は、さぞ不気味な事だと思う。そうなりたいとはまったく思わない。生きてきた中で振り返らないことがあるからこそ、やはり張りのある人生というのは過ごせるのか。だからこそ頑張らないといけないのか。それにしても、小さい頃の弟に会ってみたいという叶わない思いは大きくなるばかりで、今の弟ももちろん可愛らしく、とても素直なアクのぬけたいい性格になっていて、それはそれで本当に感動的なのですが、どうしても考えてしまう。


・最近ダイエットスープを大量に作って飲んでいる。たまねぎ半分、セロリの茎、キャベツ半分のさらに半分をザクザクと切って鍋に入れ、その上にホールトマト缶をつぶして入れて、食べたいのでウインナー2本を切って入れて、ひたひたに 水道水を入れて煮込む。これを飲むのだけど、ほぼ野菜だけしか入っていないから、健康的を通り越しすぎて、世の中の役に立っているとすら感じる。  

NETFLIXの日本沈没2020全部みた。ラップシーン、ラップをやったことのない子が「ラップをやれよ!」と言われてるのが可哀想と感じた気がする。 あれが自発的にラップをし始めるシーンだったら自分としては良かったのかなと思った。

# by akuta-seiryou | 2020-08-06 01:21 | 色々

ラフターナイトとデシベル

先日久しぶりにライブに出ました。「ラフターナイト」というライブ形式で収録されるラジオ番組で、普段はお客さんをスタジオに入れてやっているところを今回のコロナウイルスの影響で観客はなし、スタッフの方と思わしき人たちが間隔を空けて見ているといった具合での開催だった。オンエアされるかどうかはまだわからないのですが、本当に久しぶりに何人かの人の前で反応を受けながらネタをやりました。終わった後に自分たちのコンビの名前でツイッターで検索し感想を調べました。「おもしろかった」というような事を書いてくれている人がいて、いいねを押しました。その時やはり、自分は人から褒められるのが嬉しくて何かをやっているんだなと感じました。ニートtokyoというYOUTUBEチャンネルでサーヤ(ニート tokyo サーヤで調べてみてください)が僕の「後輩君」というラップの名前を出してくれて、再生回数が1万回(1万回!)上がったのですが、それでも嬉しいのはコメント欄に「素晴らしい歌だねこれは」というような意見が増えたことでした。ラップのライブをしたとして、目の前で喜んでくれている人を見て、そのあと声をかけられて褒められても嬉しいと思います。

2020年4月7日に緊急事態宣言が発令され、5月25日に解除、本日は6月23日ですので緊急事態宣言の解除からだいたい1か月ほど経ったことになります。3月の後半にライブに出演して、6月20日のラフターナイトまで、だいたい3か月ほど舞台に立つことはありませんでした。当初、これほどの事になると思わず、ネタ合わせを重ねたりなどして準備していた単独ライブも延期になりました。ただ自分としては、このような状況になったのだから当然だなという感覚と、それよりもコロナウイルスがとても怖かったです。怖かったというか、今も怖い。コロナウイルスに関して当然詳しいわけはなくネットで調べたりテレビで見たりとしたような知識しかありませんし、そうやって調べることしかできません。手洗いとうがいがとりあえずめちゃめちゃ大事だという事は間違いが無さそうなので、とにかく徹底してやっています。アルバイトもテレワークになり、緊急事態宣言の間は基本的にずっと家に籠ることができました。

家にいると褒められることはありません。僕は5人でルームシェアをしているのですが、リビングに住んでいる奈良田という男を笑わせても「おもしろかった」と誰か知らない人や、奈良田ですら褒めてくれる事はありません。ライブなどがあり、色んな意味で外に出るから評価を受けれます。しかしコロナウイルスは怖い、当然なのですが様々な事ができなくなっています。急にコロナウイルスがどうだとか書き出して何なんだと思われる方、僕としてはこのブログ内でコロナウイルスにそこまで触れている記事がないなと気づき、このブログは自分以外の人にも見せれる範囲の僕の日記というような位置づけを自分の中でしているので、読み返した時に自分がコロナに関してこう思ってたんだなとわかりたくて書きました。とりとめもあまりありません。続けて書きます。

みんなが不安を抱えている中で、お互いの許せる範囲から少しはみでた部分を重ね合わせながら過ごしていくというのは、おそらく大変です。先日お婆さんが外で子供に「かわいいねえ」と言って笑いながら近づいているのを見ました。その子の親は咄嗟に子供を引き寄せ、笑いながら去っていっていました。お婆さんとしては、無意識にしろそれは許せる範囲の「はみだし」だったのだと思います。ただ、親にしてみればなかなか許せない範囲の「はみだし」だったのだ思います。外に出て、人混みでマスクをしていない人を見ると(あ、マスクをしていない)と思うようになりました。自分がしていなくても、やはりそう思われるのかなと思うと、もちろんそれだけが理由ではないですがマスクをつけたいと感じます。でもできるだけあまりそういう事は思いたくありません。マスクをしていない人を見る時の自分の目はめざとく他人の粗を探しているように感じます。他人の粗を探してやろうと思って自分から探すのは、自分の性格の中にはもともとある部分で、自分の中では嫌ではありませんが、思わず探してしまう時の自分は気持ち悪いと感じます。

先日電車に乗っていると、小学校低学年らしき男の子2人が入ってきました。二人ともどちらもマスクをしており、偉いなあと思って見ていると、2人が何と間隔を空けるために席を離れて座ったのです。2人で並んで座れるところもあったのですが、そうなると隣の人と間隔が0になるという理屈を理解していてその場で判断して、話し合うこともなくそう動いた彼らに僕はとても驚きました。本当なら電車に入るなり大暴れでもおかしくない年頃です。というか本来はそのように育つ可能性も充分にあったのでしょうが、コロナウイルスによって公共の場所でのマナーというのが強く意識付けされるようになったのでしょう。その子たちは偉いし素晴らしいのですが、それに対応できない子たちとかは大変だろうなと少し思いました。もし自分が子供時代なら、あそこまで守れていなかった気がします。清潔さとは無縁の幼少期でした。外で落ちたお好み焼きを素手で拾って食べた事がありました。今でも焼売などを床に落としてしまった瞬間など、人間の体のサイズで考えると、少しくらい変なものが体に入っても大丈夫なんじゃないかという知恵のない考えが浮かぶ時がありますが、三角コーナーなどどうしようもなく汚いところに落ちてしまったら泣く泣く捨てるか、よく洗って食べれそうなところだけ食べたりします。先日はカップの油そばを台所の床に半分ほど落としてしまいました。5人の不潔寄りの男で集まって住んでいるわが家のキッチンということは、5人分の素足が自由なステップを踏んでいる家の台所ということなので、そんな所に落ちた油そば、もちろんこれは食べられないと判断し、手で拾い、捨てる前に念のため洗ってみましたが何の味もついていない麺になったので暗い気持ちのままゴミ袋に捨てました。先に捨てられていた「麺大盛り」と書かれたパッケージの上にむなしく着地した大盛り分の麺を惜しみながら、落ちなかった分の油そばをすすりました。

床に落ちたものを食うというのは圧倒的に動物的な雰囲気がします。もし徹底的に清潔にされた雑菌ゼロの床にパスタや米やサラダが置かれて、それを思い思いの食い方で食ってもよいというサービスがあったら繁盛するのでしょうか。一度くらいは行ってみたい気がします。僕が小さい頃、母親はよく家で家事や子育てが渋滞を起こすと「あー!!!!!」などと叫び、叫び終わるとスッキリした顔でまた問題に向かいなおすというスタイルを採用、実践しており、子供ながらにすごいと思っていました。思い返すと、僕が晩御飯用に作った唐揚げを一人でほとんど食べてしまったりしている隙に弟が買ったばかりのDSを「中が気になった」とハサミで解体したり、などストレスが同時多発的に起こる中で「叫ぶ」という原始的かつお金のかからないエコな手段で気持ちを発散させていたのはすごいと思う。小学校の時に「理想の家の間取り」を作るといった宿題で僕が「お母さんのためのストレス発散部屋」と称して、リビングよりも広いサンドバッグとカラオケルームが併設されている
部屋を用意した時は注意されたが、本心から好きなだけ叫んでほしかった。街中で急に叫ぶ人がいるが、あれもいきなりやられたらびっくりするが「今から叫びます」と手をあげて言った後に「わー!!!!!」と叫ぶならそれほど周りもびっくりしないだろうと思う。叫び終わったら「すいません。ありがとうございました」と言えばいい。山の頂上でしか叫んでいけないということはないのだ。いや、今では山の頂上でも「わあーーーーー!!!」と叫ぶとビックリされると思う。山にいってまで「今から わーーと叫びます」と言って叫ぶしかないのだろうか。もちろん、夜の住宅街やその他様々な状況で叫んではいけない場所はある。ただ、それのルールを守って、本当に叫びたいときに「すいません。今から叫びます」と先に宣誓してから叫ぶ。これはみんながやっていいようになってもいいと思う。ここまで書いたがこれはコロナウイルスなど関係なしの時期の話だなと思った。今からはさすがに厳しくなると思いますが、それもゴミ袋などをかぶって飛沫を完全に防ぐならもしかしたらできるかもしれない。

僕は現代人には「叫ぶ」が圧倒的に足りていないんじゃないだろうかと思う。叫ぶのが「びっくりする」「何かおかしくなってるのじゃないか」「迷惑」というような理由でダメならば、「挙手」「宣誓」「持ちつ持たれつ」の3つの対策で乗り越えられるだろう。ここで一個決まりを作りたいのは、目の前にそのストレスの相手がいる時に「大声」はやってはいけない。と思うのだ。それは喧嘩になるだけで、「あくまで今発している大声はこの空間の誰のせいでもありません。まったく別の原因からくる大声です」という約束が必要だと思う。僕はそのルールがあれば、街で「すいません。大声出します」と言って「わーーーー!!」と叫ばれても不快ではない。子供が怖がるかもしれないと思うかもしれませんが、子供は叫ぶものです。子供が年を重ねて大人になり「叫ぶ」ことをしなくなるのだと僕は思います。人工的に「叫び」を大人に取り戻したい。そう願うのみです。以前、栗原君という後輩が主催していたお笑いライブに「デシベル」というのがありました。それはネタ中の声の大きさを機械で測り、一番音が大きかった人が優勝というライブで、僕は112デシベルという「ヘリコプターの下」と同じくらいの叫び声を出して優勝することができた。結局コントの序盤の方の大声で112が出ていたとのことだったのですが、最後一番大きな声を出すために僕が一人で叫び声を出し続けるというのがあり、その時心から気持ちがよかった。デシベルは中野440という客席20も入れば満員になるような狭いところでの、演者と一番前のお客はスレスレというような劇場で、とてつもないくらいに大声を出してよくて、お客さんもそれを変だと思わない。「大声を出すライブ」なのだから、出していいのだ。普通のネタライブだと、やはりあそこまでの「大声」は出せない。最後のくだりは大声というより「叫び」だったので普段のライブでやると、どうした!?という雰囲気になるだろう。でもデシベルだとそれを見てもらえる。

大声は単純に面白い。しかしどうしても「大声で笑っている」というようにもなってしまいがちな大声に対する1つの感覚を、栗原君がそっと「今日は大声で笑いましょう」という単純なコンセプトに変えた時、何の重荷もなく、そこにある「大声」だけで笑っていいという空間ができたのだ。今となってはなかなか難しいコンセプトのライブになってしまい、あの時と同じような気持ちで開催できるのはなかなか遠いかもしれない。デシベルが何の不安も、違和感も、もちろん批判も起こる事なく、ただただ当初そうであったように純粋に「大声」のことだけを考えて笑えるようになる未来がくるように、行動したい。


# by akuta-seiryou | 2020-06-23 08:19 | 日記

ボーっとしている

自分の人生を振り返るブログを更新していたんですが、先日「自分の人生」がテーマの文学賞があり、そこに原稿用紙74枚という自分の中では相当量の文章を書いたので一度中断して普通のブログを更新して行きたいと思います。

先日メルカリで探し物を購入してやろう企み、アプリを開いて検索をかけたところ、目当ての商品が見つかりました。
いくつかの出品者が同じ商品を出しており、値段もそれぞれの中でやはり安い物を買いたいと思い、さらに深く深く潜っていくと周りのだいたいの値段が「2000円~1600円」の中、唯一「1300円」で出品している人がいた。これはと思いクリックして商品説明を見ても不審なところはなく、さっそく購入して鼻を鳴らして「購入させていただきました。よろしくお願いします!」とメッセージを送り、今一度概要欄を見ると「着払い(送料購入者負担)」と書いてあった。

完全に罠にはめられた。冷静になると明記してあるので、100%こちらの落ち度なのですが、それでもやはり体が震えました。僕は今まで「着払い」を受けたことがないのです。いくらかかるかは知らされず、ただただ相手の言いなりになるしかない料金。怖すぎる。ネットで調べてもはっきりとした料金の答えは出てきませんでした。自分の注意散漫さを恨みました。以前も実家の母に送金する際、口座番号を1つ間違えてまったく知らないお婆さんに5000円を送ってしまったこともありました。(なぜお婆さんだと推測しているのかというもちろん仮名ですが名前が「ハナザワ キン」みたいな古い雰囲気だったからです)その時は郵便局で手続きをして、担当の人が「任してください!調べて連絡をとります!」と爽やかに言い切ってくれたのですが、結局お金が返ってくることはなかった。ルールで「一度送金されたお金は送金された側が「返します」と言わない限り送金取り消しはできない」というものがあるらしく、そのお婆さんに「返さない」と言われてしまったと担当の人から落ち込んだ雰囲気で電話があった。確かに今は詐欺など多いですし、どんなケースでどう狙われるかはわかりませんから気を付けるに越したことはないんですが、急に口座に5000円が増える詐欺って聞いたことないでしょう。返した瞬間に口座のお金を全部抜かれるみたいなイメージが湧いたのでしょうか。でもその防犯意識は大事です。あの時の「ワタリ コウセ」です。でも逆にというか、急に増えた5000円を使ったわけですよね。それはそれで怖くないですか。まあそれも僕の落ち度。母親に電話して「昔からお前は抜けている」という旨の説教と呆れを受けた。小学生の時に近所のセブンイレブンに1か月で何度も家の鍵を落とし、最終的には落としても次に行ったときに返してもらえる鍵の取り置き場のような状態にした事で26歳になって怒られるとは思わなかった。

それに続いて今回の「着払い」である。これはいくらになるのか想像もつかない。次の日、外に出ているタイミングで同居人の古川さんから連絡がきた。「着払いの荷物が届いたので対応しておきました!7450円でした!」ということだった。7450円!?何がそうなったらそんな値段になるんだと理解ができず、帰宅して確認すると代引き対応のみのまったく別の僕の荷物で、ただただ古川さんに打撃を与えたのみだった。結局代引きは900円だった。900円て。元の1300円と合わせると2200円である。高すぎる。古川さんにお詫びのビールを渡した値段と合わせると2400円である。高すぎる。


”注意力というのは、危険な場所にいかない力である。宝の山の光とライオンの目の光は闇夜では判らない”

これは生き方の問題であって、こういう細かい損得の場面では意味をなさないと思う。僕は常々ぼーっとするなと怒られていた。小学校、中学校、高校と次の教師次の教師へと引継ぎがされているのかと思うくらいに同じ文言で怒られた。「ぼーっとするな」と言われて困るのは、もう既にぼーっとしている状態を怒られるから謝るしかないところである。今からぼーっとしてやろうと思ってそうしている訳ではなく、もう既にそうなっているのだ。さくらももこさんのエッセイに「私はぼーっとしているわけではなく、その間に色んな事を考えているのだ」というのが書いてあり、それを読んだ中学時代の僕は「それな」と思った事がある。僕もただひたすらに頭の中を真っ白にして口を開けている事は一度もなかった。何かを考えているのだ。それが何かは忘れているが。ただぼーっとする事がなかったら知らないお婆さんにお金を送ることも、着払いを購入することもなかったのだ。もうぼーっとしたくない、助けてください神様。僕を損の地獄から救い出してほしい。もうぼーっとしません。目を開けて、今目の前の情報のみを頭に入れて、豆腐を食べる時は豆腐の事を考え、歩くときは歩く、腹が減ったら次のご飯の事を考えるために外であろうと座り、豆腐が食べたいのかハンバーガーが食べたいのか焼き肉が食べたいのか焼きそばが食べたいのか無数にある選択肢の中から一つ一つを精査し、思考する。横から自転車を乗ったおばさんに「邪魔ですよ」と言わんばかりに自転車のベルを鳴らされ、ボーっとするなよと横目で睨んで去っていく後姿に向かい、僕は立ち上がり目をカッと開いて「今俺は何を食べるかをきちんと考えていたんだ!!」と叫びつけます。

途中に書いた名言みたいなものは自作の名言です。これからブログでそういうのを書く時があるかもしれませんが、特別に注釈などがない限りは自作の名言だと思ってください。

クーラーが設置された部屋にて6月16日深夜。木田









# by akuta-seiryou | 2020-06-16 03:12 | 色々

ハイスクール漫才と拳

自分の人生を振り返るブログ、高校時代に入ってまいりました。前回の記事では高校野球への思いをしたため続けましたが、それとは別に僕はもちろん学校生活も営んでおりました。僕のいた高校では各行事ごとに割と「漫才」や「コント」など出し物を披露してもよいという時間がありました。例えば僕は文化祭などでは千原兄弟さんに影響を受けた、というかほぼほぼ完全にパクって披露してしまっていた「死刑囚を死刑にしようとするけど何度も失敗をする」というコントを披露したりしていましたし、そういう事自体はさほど珍しい事ではありませんでした。そのコントのオチは、何度も死刑を失敗するけども最後のピストルに本当に弾が入っており「・・これには入ってたか」と意味深なだけのセリフを言って終わる。というラーメンズさんの雰囲気のみをすくってパクり披露するというオチでした。太った高校球児がそのようなブラックテイストなコントを披露しても、ムカつかれるだけだというところまでは当時考えが及びませんでした。修学旅行では漫才を披露しました。内容は「初デートに彼女がハチの巣を持ってくる」という漫才で、これは事前に仕込んでおいた男前の同級生が率先して立てる笑い声につられ、その取り巻きの女子がそいつに気に入られようと笑い、学年の中心メンバーが笑っている事でその場全体にこれは面白いのだろうという雰囲気を生み出し最終的に爆笑にもっていくという作戦勝ちに終わりました。それでも人前で何かをするという事は当時の自分には新鮮で楽しい出来事でした。

その中で、僕をしきりに褒めてくれる友人が出てきました。その彼はというと僕の学年の中では男前グループの中心人物のような存在で、頭の回転が速く学校の中ではいわゆる他人をいじって笑いを作るようなポジションにいました。

僕は様々な原因により女子達からほぼ憎むように嫌われていたのでそういう男子の中心メンバーからの「おもしろい」という評価は高校生活を続ける上で非常にありがたかったのです。その彼は僕と二人きりの時に「渡ってほんまツッコミのワードがいいよな」や「間がさ、ぽつっと言ってくるのがいいねん」などの「ワード」や「間」という専門的な用語を使って褒めてくれました。当時も今も人一倍褒められるのが好きな僕は「ワード」や「間」という何か深い褒められ方に承認欲のようなものが満たされ、彼に褒められる時間は至福の時間でした。

そうして3年になり、そろそろ進路などを本格的に考え始める時期、その彼と廊下を2人で歩いている時に急に彼が「渡、NSCいこや」と僕に言ってきました。僕はお笑いは好きでしたが、芸人になるという想像など一切していなかったので「NSCなんていかへんよ!」と笑いながらハキハキと言うと、彼は「え・・?」と予想していない返事が返ってきたという顔をしてこちらを向いたまま黙りました。僕はその表情の理解ができず、咄嗟に返事が返せずにいると彼が続けて「俺、消防士なるのやめて、お前とNSC行きたいって親に言ったんやけど。」と言ってきました。

僕はどういう事か全くわからず返事ができないでいると彼はまた「いや、言ってたやんけ」というような事を言って不機嫌になりました。そこからいくつか話して、ぼんやりと掴んだ事は彼が「俺達はなんとなくお互いNSCに行ってコンビを
組みたいとよなという雰囲気を共有するような状態になっていたはずだ。はっきり約束はしてないけどそういう感じは確かにあった。お前も俺に褒められて喜んでいたじゃないか」という事でした。確かに褒められにおだてられた僕は機嫌よくうんうんと大事な雰囲気にも気づかず褒めを享受していたのかもしれません、とにかく僕はそういうつもりはなかった、仲良くなってからも今までも芸人になりたい気持ちはまったくないという話をして、なんとか誤解を解こうと話続けました。結果的に、まあそういうことならもうしょうがないけど、、というような後味の悪い終わり方でしか終わることができず、その彼とは同じグループで喋るけども、なんとなく距離があり、それが当人同士しかわからない微妙な距離のために周りもそれに気づかず、グループの中のほかの奴らはその話し合い以前の距離感の関係のまま僕とそいつを扱う。というものすごく微妙な雰囲気になったまま日が過ぎていってしまいました。ここでも自分の嫌な部分で、そうまでも思ってもらえる自分の面白さというのはやはりまあ平均とかよりは全然上なんだろうなあという想像自己褒め反芻行為や、その彼を昔に全然別件で激怒させてしまった時に「お前なんか舌がなかったら絶対に仲良くしてへんからな」という非常に独特な悪口を言われた事を思い出してもいました。「舌がなかったら仲良くなってない」という言い回しは非常に頭に残るというか、印象的で、いやそれっておもしろいから友達でいてくれてるっていうことやん嬉しいなという褒めにも繋がり、やはり彼は面白い奴だなあすごいなあという思いと共に、そんな彼とでも僕はやはり芸人をやる気はまったく起こらないなと改めて思ったりなどもしていました。

そんな高校3年生中、夏にハイスクール漫才というのが行われるという情報を掴みました。この大会の存在自体は知っていましたが、1年2年と野球部に入っていた僕にとって夏は本当に一日も空いている日がなかったので、まったく出るなんていうのは夢のまた夢でした。しかし、引退した今年の夏なら出れる。これは楽しみだ。ぜひ出てみたいということで、僕はいそいそと出場の準備をし始めました。そうなるとまずは相方です。真っ先に浮かんだのは、僕をNSCに誘ってきた彼でした。しかし、彼を漫才に誘うということは色々な意味を含みます。僕としてはあくまで文化祭や修学旅行の延長としてのハイスクール漫才であり、思い出作りのみだったので、本気の彼を誘うのは悪いし怖いと判断しました。僕は同じ野球部のお笑い好きの同級生を捕まえ、コンビ名を「野球」という僕を誘ってきた彼が聞いたら殴ってきそうなネーミングでエントリーしました。
ハイスクール漫才にエントリーしたということは、漫才を考えないといけません。当然ですが、いざ考えてみると非常に難しいのです。僕はそれから毎日頭の中で漫才を考えていました。出るからには面白いと思われたい、優勝とかしてみたい、審査員の人とかが笑ってたら嬉しいだろうな、面白いと思われたいな、優勝したいな、という気持ちがどんどんと大きくなっていき、周りがあまり見えなくなっていきました。

学校でも漫才を考えて、家でも考えました。それでもこれだ!というネタは思いつきません。ある日僕は学校終わりに友人たちにマクドナルドに行こうと誘われました。漫才を考えたかったのですが、まあ気晴らしも良いかという気持ちになり「わかった」と言って僕はそれに参加しました。近鉄奈良駅前にあるマクドナルドに入り、2階のソファー席を陣取りました。僕の前には、僕をNSCに誘った友人が座っていました。彼は本格的に消防士になる道に進むのを心に決めたようで、日に日に体が大きくなっていっていました。みんなで他愛のない話をして、よくある流れですがそれぞれが携帯をいじって彼女と連絡をとったりグリーやモバゲーをしたりなどという時間になりました。僕は彼女もいませんでしたし、グリーもモバゲーもやっていなかったので、ノートを取り出し、漫才を考えようと思いました。ノートの中には書きかけの台本があり、しばらく考えてもやはりなかなか進みません。というかそもそもこれが面白いのか面白くないのかもわからなくなってきました。なんなんだこれは。誰が笑うんだと思いながらふと顔を上げると、前に、その彼が座っていました。

僕は咄嗟に何も考えず「この漫才やねんけどさ、おもろいかな?」と喋りかけました。その瞬間に、彼の顔が変わりました。彼の緩んだ顔が一瞬にして険しくなる瞬間、僕も自分の血の気が一瞬で引いていくのがわかりました。僕は彼からのNSCに行こうという誘いを断っているのです、それを漫才を書いたから見てほしいなどと言う行為、しかし、でも、僕としてはそれを完全に忘れていた訳ではありませんでした。まあ向こうとしても終わった話ぐらいの感覚なのかなあと勝手に判断していたのですが、瞬時に険しくなった表情を見て、あ、全然まだ心の中にわだかまりとして残ってるんだ、これは大変なことになる、他人の気持ちを想像せずに喋ってしまって、怒った表情を見て瞬時に言ってはいけないことを言ってしまったというのがわかったところでしょうがない、これはどうしたらいいんだというような事を考えていると、彼が想像の5倍くらい怒っている声で「は?お前なんで漫才書いてんねん」と睨みつけながら言ってきました。もともと相当怒っていると覚悟していた上での5倍ですから、これはもう本当に怖くてパニックになりながら「いや、ハイスクール漫才出るんやけど・・」と最悪の出だしで喋ってしまった瞬間に、僕はそいつに顔を殴られました。僕がソファーに倒れながら(やってしまった・・)と思っているとそいつは「漫才やんの断った相手に漫才の事聞いてくんなボケ」と目をみてはっきりと言ってきました。僕は「ごめん」と言うことしかできませんでした。

そのあと、思い出受験だから真剣なあなたを誘うことはできなかったんですという旨を丁寧に話したら、一緒に漫才のネタを見てくれました。「これはおもろいやん。これはわかりずらい。これは意味わからん」と一番意見を出してくれました。
ハイスクール漫才の本番、結局ネタは冒頭でいきなり「校庭の真ん中でベビーカーが燃えている」と大声で叫んだり「江戸川に死体が流れる」と言ってしまうから口を塞いでくれ、と言って相方に頼んで塞いでもらう、という笑いの量よりも思い出重視で戦った結果まったく負けてしましましたが、たまたまその日ゲスト審査員で来ていた、まちゃまちゃさんと僕のスニーカーが同じだったり、アームストロング時代の安村さんが「体育教師くらい声出ててたね」とフォローしてくださったりなどのおかげで舞台上でまったくの笑いを経験せずに終わることはなかったです。なぜか漫才中のことより、そういう出来事やその後イオンの中にあるうどんの店に入ってうどんを食べたことの方が覚えています。ほっとしたからでしょうか。とにかくそれで最初で最後の僕のハイスクール漫才が終わりました。

高校野球が終わり、友人との衝突が終わり、漫才を経験しました。高校3年生の僕は様々な進路を選ぶことになります。それはこの次の記事でお話しましょう。それでは、おやすみなさい。

# by akuta-seiryou | 2020-05-25 01:08 | 思い出