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メカ沢の服

東京に引っ越してきてなくなったのですが地元にいるときは本当にずっとヤンキーに怯える歴史でした。
一番古い記憶は保育園のころで、みんなで夏のとても暑い日にセミ取りに出かけたときのことなのですがセミはいるもののなかなか保育園児に捕まえられる高さには止まっていなくて皆がもう諦めムードになっていたとき、めちゃくちゃ低い位置に止まっていたセミを発見しそれを捕まえようということになり女の吉田先生という先生が「木田くんじゃあ捕まえて!」と僕に急に虫あみを渡してきて僕は急に虫あみを渡されたのとこのクソ暑い中かなり歩いてセミが捕まえられず、もう保育園に帰ろうかという皆の諦め雰囲気の中最後のチャンス、というプレッシャーに耐え切れず捕まえるというより異様にスローモーションに網を振り下ろしゆっくりセミにぶつけるという感じになってしまいもちろんセミは余裕で飛んで逃げてゆき皆が落胆している中、ガキ大将的なポジションだったよしひろというやつが「あ~あ。木田のせいで一匹も捕まえられへんかった」と言って僕を睨んできたという思い出があり当時の僕は本当に自分のミスを悔いこのセミのミスで皆が落ち込んでいるのは確実に僕のせいでもうこんな風な目には二度と会いたくない、と決心して半べそをかきながら園に帰ったところおやつの時間に出てきためちゃくちゃぬるい牛乳、それもクソ暑い中に元々冷えていた牛乳を常温で置いていたやつなので異様なぬるさになっていて、それを飲んだところ気分が悪くなってさきほどの吉田先生に「気持ち悪いから飲めない」と報告すると「さっきセミも逃がしたんだから飲みなさい」とまったく成立してない説得で飲まされ、そのまま保育園児の使う小さい便器にかけこんで小さいゲロを吐いてしまい、吉田先生に「飲めないならちゃんと教えて!」と言われ、めちゃくちゃ夏も牛乳も嫌いになった。(僕はこの日のことを嫌な出来事が多すぎたせいなのかかなり正確に覚えていて、中学生くらいのときに当時の親と先生の交換ノートみたいなやつを見つけてこの日の吉田先生のコメントを見つけて読むと「こうせくんは ぎゅうにゅうが嫌いだそうです!」みたいなことを書いていてぶっ飛ばしてやると思ったけどももう当時子供産んで辞めてました)
その他にも僕は保育園で皆でダンスで遊んでいる最中に本気の小便を漏らしたり、何度教えてもらっても言われた通りにコマの色が塗れずめちゃくちゃ居残りさせられたりとこれもさきほど出てきたガキ大将のよしひろにからかわれたりしていたのですがまあ小便もコマもそれほど気にはしてなかったのでダメージは受けずに済みました。
小学生の時は井ノ原という不潔な不良がいて、休み時間にそいつに捕まえられて「俺の似顔絵を書け」と言われ僕が井ノ原をめちゃくちゃイケメンに書いたものを提出するという宮廷画家のような暮らしを送っていたこと以外はとくに何もなく過ごしました。しかしやはり皆さんもそうだと思うのですが不良がもっとも栄えるのは中学時代だと思います。僕の通っていた中学は奈良の中でもまあまあ頭の悪い中学で、気合の入ったヤンキーというよりは夜中に職員室のガラスを叩き割って侵入して当時でもかなり古いボロボロのDVDプレーヤーだけを盗んで逃げて後日めちゃくちゃ怒られた先輩や、夜中に古墳を燃やして(新聞沙汰になりました)捕まった先輩がいるようなどうしようもない方向にとがっている人が多くてなるべくそういうのに見つからないように生活しないと、と思っていると小学校のときの同級生のナンバーワン不良の井ノ原が入学してすぐ他の小学校からきたヤンキーに「調子に乗っている」という理由でボコボコにされて速攻で不登校になり「入学即不登校」というソフトオンデマンドのAVみたいな漢字の並びの状態になってて怖すぎる、と思った。これは最近思いました。その井ノ原というやつをボコボコにしたらしいというのがほかの小学校からきた太田というヤンキーで、もう僕も含めおそらく学年の男子全員がそいつにとにかく怯えていた。もう常に体中から暴力の臭いをむんむんさせているようなやつで、というか実際常に周りにいる誰かを殴りながら休み時間などを過ごしていたので暴力の臭いというのか暴力そのものと常に一緒にいる、といった感じで目が合うと最後だった。とにかくちょっとでも調子に乗っていたら(調子に乗っていると太田君が判断したら)速攻でその調子に乗っている本人を捕まえてボコボコにする。それもただのボコボコじゃなくて廊下に倒して廊下と相手の頭に隙間をつくってその頭を思いっきり上から殴りつけて廊下に頭を叩きつけ失神を狙うという勝手に金網デスマッチくらいの感覚でのパンチを決め出す。僕は最近になって同じような技をバキで死刑囚が使っているのを読んだ。その調子に乗っている、というラインもそもそもかなりゆるいというかまずワックス、ワックスをつけていると問答無用で太田君にボコボコにされる。廊下と頭の間に隙間を作られてその隙間を利用してぶん殴られる。その次はネックレスやチェーン。チャラチャラとした貴金属をつけていると廊下と頭の隙間を利用して太田君に失神まで追い込まれる。そしてうちの学校は私服だったののですが、ヤンキーの着るブランドの服を来ている人はほぼ全員廊下の隙間を利用して失神させられてました。ここまではもう絶対で、そりゃそんなことして学校にきたらいかれるわ、というのが当時満場一致の雰囲気でした。今よく考えるとおかしい。ここからがよくわからなくて、太田君の中でも日によってはOK日によってはNGという完全に太田君のバイオリズム任せのラインがあり「色の主張の強い服」「派手なシャープペンシル」「炭酸系のジュースを飲んでいる」「昼時に弁当ではなく、コンビニの菓子パン」「通な本の読書」などなど書きだしたらキリがないのですが、こっちとしてもそれにキレるんだ!と強い驚きのあるものばかりで本当にうかうか過ごしていられない。これらくらいのことではまあさすがに廊下に叩きつけられて失神という最悪のコースではなく、思いっきり肩パンくらいで済むのですがそれでもやられた人にとっては納得いかない悲しい問題だったと思います。一度「ファンタオレンジを飲んでいた」という理由で太田君に「謝れ」と言われていた友達が、無視して震えながらファンタオレンジを飲み続けてそのままぶ太田君にぶん殴られていたという少年院で流れるファンタオレンジのCMみたいな光景を目にしたときは僕までしばらく家でもファンタが飲めなくなりました。しかしまあその僕はというと、そもそもがワックスやオシャレという文化から程遠く服はユニクロで売っていた魁!クロマティ高校とのタイアップの服の「メカ沢くん」が真ん中に大きくプリントされている服
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それとこれもユニクロなのですが巨人の星の星飛雄馬がネームの段階からどんどん完成していく工程がプリントされている服 
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の2枚を中学の3年間は交互に着ていたので一切太田君の中で引っかかる要素はなかったらしく服でぶん殴られることはなかった。
もちろんチェーンもしないしネックレスもしないし、昼食は白飯が多く入った弁当を食って授業の時は鉛筆を使っていたし学校ではジュースは飲まない(そもそもが先生からも注意される)のでまあまあ太田君には気に入られていた。それでもまあまるまると太ってはいたので、ちょっと挨拶がわりにいきなり肩を殴られたりお腹をビンタされたりとちょこちょこ食らってはいたけどまあデブということもありそれほど痛くはないし、ほかの僕よりもっとガタイのいいデブがなぜか毎回デブ全然関係ない部分のおでこに思いっきりパンチを食らっていたのを見てこれくらいのデブで良かったと初めて自分のデブさ加減に感謝したこともありました。さっき書いたヤンキーが着る服、というのなんですがこれはわかりやすくてサーフ系の服やマリファナは大きく印字されている服、この二種類です。実は僕もこっそり母親に「マリファナがいっぱい書いてある服が欲しい」と産まれて初めて自分から母親に着たい服を頼んで買ってもらい(ちゃんといたるところにマリファナの絵がプリントされていて胸のとこにジャマイカと書いてあった)初めての息子からの服のオーダーが「マリファナがいっぱい書いてある服」だということに複雑そうな母親の表情を尻目にウキウキしたのですが、そんなもの学校に着ていく勇気はもちろんなくマリファナのいっぱい書いてある服を部屋着にして過ごしていました。しばらく経ってから一度だけその服をきて家から出て100メートルほどの自販機にジュースを買いにいったのですが、ドキドキで全身から汗が噴き出して本当にマリファナをつかっている人みたいになってしまいました。この前実家に帰ったときに友達と外にいると前から大きな黒い車が近づいてきて僕らの前で停車、中から太田君が顔を出してきて「おお木田やんけ!お前なにしてんねん!」と声をかけられ死ぬほどビビったんですが、ビビったらつけこまれるのを知ってるので「おお太田やん!なにこの車!すご!自分で稼いで買ったん!?うわ~!すごいな!めっちゃでかいやん!真っ黒やし!すご!」と助手席の窓から頭をつっこんで中にそのまま乗り込むぐらいの勢いでいったら「お、お~」と言ってそのまま帰っていきました。横にいた友達に「めっちゃくちゃダサかった」と言われこいつは全然わかってないなと思いました。この記事で何を伝えたかったのかというと、保育園時代のセミの事件のせいでそういう場面になると僕は今でもセミが逃げた瞬間を思い出してビビってしまうというのと、後ろから太田君にいきなり叩かれたりしていたので後ろに人が立つのがめちゃくちゃ今も嫌で怖いということになっていてみなさんはひとにそういう思いを植え付けないように気をつけながら、もちろん僕もそうなのですが、生活しようということでした。終わり。
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by akuta-seiryou | 2015-11-28 11:22 | 思い出 | Comments(0)