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母親と彼女

気づいたら1か月近くブログを書いていなかった。その間何をしていたかというと、バイトをしたりライブに出たりオーディションにいったりしてる間に大阪に住んでいる彼女に会いに実家に帰ったりしていた。彼女が誕生日というのもあり、神戸にある朝食バイキング1位のホテルに泊まりに神戸へ行った。神戸というと僕は高校生のころに卒業遠足という催しで1度行ったきりで、その時は中華街である南京町で女子に「渡といるから美味しくない」(僕は本名を渡と言います)と中華の味を変えるほど嫌いだという意味の陰口をたたかれているのを耳にしてしまい、その時に何が南京町だクソ街が二度とくるかと自分の不人気さを南京町のせいにして二度とこないと決心した以来の南京町。だいたい4,5年ぶりの南京町だったのですがやはり僕たちが行った時も学生が多くてああこの中に当時の僕がうけたような仕打ちを受けてる子がいるのかと思うと今すぐかけよって抱きしめて「帰りのバスのカラオケの時間で調子に乗ってウケようと思って無表情な山口百恵のモノマネしながらプレイバックを歌ったらダメだぞ。少し前のほうの席の女子からぼそっと「うるさくてキモい」と言われて死ぬほどへこんで風邪みたいになって奈良まで寝まくるからな」と注意してあげたかったがどれだけ探しても当時の自分のような子がいなかったので抱きしめられなかった。

それにしても神戸には一人として異様な老人がいなかった。僕が東京で今住んでいるあたりには1mmずつドトールに入っていく遅すぎるおじいちゃんや、常に自転車のベルを鳴らしながら「どいてね!どいてね!どいてね!」と騒ぎながら自転車に乗っているおばあさんなど様々なタイプの老人がいるのだが、神戸にはそういったタイプの老人が一人としていなかった。どのおばあさんもおじいさんも小綺麗にしていて生活臭といったものがまったくなかった。僕は街でそういった老人を見ると目をギュッとしてじっと見てしまうのですが、神戸で彼女から「あのじっと見る嫌な目できへんな」と言われてやはり僕以外の人間から見ても神戸にはそういうタイプの老人がいないのだということと彼女が僕のあの目を嫌な目だと思っていたことがわかった。神戸は普通にとても楽しかった。朝食バイキングの会場にも老人が4人ほど集まっていたが、これも小奇麗で特に何も思わず。どこか少し自転車で暴走してくるおばあさんや近所のスーパーでありえない量の商品を入れたカゴを持ったまま「すいません。ごめんね」と言いながらゆっくり割り込みをしてくる老婆が恋しくなった。

僕の実家は奈良で、僕の母親はうつ病患者だ。僕が中2くらいの時から患っているぽいのでだいたい7年目ということになる。今は母親は保険の営業を休職中なのでだいたいいつ帰っても家にいる。今回帰省する時も3日ほど前に「今度実家に帰る」と電話したら「今は家の壁にカビが生えていて全面リフォーム中でややこしいけどそれでもよいなら」と電話で言われた。壁のカビなんてそんなに生えていたかなと思い出すと、たしかにちらほらとカビが生えていたりしていた部分もあったなあと思いそれにしても今さらリフォームかすごいなと思っているとニヤニヤと笑った声で「今度は家の壁を蹴らないで下さいね」と言われ何をだムカつくなと思ったと同時に自分が中学生の時にイライラしていて家の壁を軽く蹴ると思っていた20倍壁がスカスカで、自分はもっと硬い家に住んでいると思っていたのに・・という後悔と共にバコッと壁に穴が空いてしまい家に戻ってきた母親に「あんたなんでこんな穴開けてるの!!」と怒鳴られ情けなさと恥ずかしさで自分はつい「しるか!!鬱病でアル中のくせに!!」と当時多用していた金的と目潰しを同時に繰り出す必殺技を母親に食らわすと「あんたはな・・アル中って言葉の意味知ってんのか!!!!!」とアル中についてのみ怒鳴り返してこられ、そこから母は1日に2,3本ビールを飲んでいるだけで飲まなくてもやっていける。つまり飲まないと生きていけないようなアルコール中毒ではないという意味の説教をひたすら受け続け僕がその説教中の母親の目が怖すぎてボロ泣きして完敗というようなことがあったと思い出していやな気持になってすぐ電話を切った。

そんな母親も今ではまあまあ病気もマシになり比較的体調の良い日は旅館の手伝いをしているらしい。うつ旅館。これはちなみにな話なのだけど、僕の母親はイルカセラピーでうつ病を軽くすることに成功したらしい。イルカセラピーというのは海やプールにイルカを放って、うつ病の人がそこに入るとイルカがスススと寄ってきてうつ病の人の体をつっついたり一緒に遊んだりしてくれるといったものでイルカにはうつを軽くさせる力があるらしく効く人にはめちゃくちゃ効くらしい。自分の母親がプールでぷかぷか浮かびながらイルカと戯れているところを想像すると一度は実際に見てみたかったと残念な気持ちになる。

そんな母親も僕のことは心配でいてくれていたらしく、彼女ができた時に「彼女ができた」と報告したら「あんたゲイじゃなかったん?」と言われ「バイや」と言い返すという最低な親子会話をやった後に「よかったわあ」と言われいやよかったわあって別にゲイだったらゲイだったでそれはそれで別にいいだろと僕のジェンダー根性が火を吹きかけて親にくらわせてやろうとした少し前に「だってあんた後輩君のストーカーみたいになってたから、よその子に迷惑だけはかけんといてよと思ってたから・・」と言われゲイやバイ以前にストーカーとして親に超心配されていた。「いやストーカーじゃないよ」と言おうとしたけども、部屋中に後輩君の顔写真を貼ったり、晩飯時に急に涙を流して「後輩君と・・会う約束やったのに・・会えなくなった・・」と言って当時中1の弟に「お前にこの気持ちがわかるか!」と言って無理やりチューをしにいくという「性的虐待」という文字そのままの行動を起こして親にめちゃくちゃ怒られていた、というような過去があるので強くは言えなかった。そういった過去があるので母親にとってはおそらく僕に初めての彼女ができたというのはそうとう嬉しい出来事だったのだろうと思う。「良かったなあ」「ほんま良かったなあ」「大事にするんやで」と言ってきてくれ、ああまあそうだな、たしかにそう。とずっと思っていたのですが、だいぶ前から距離がおかしくなってきた。

実家に帰り一息ついているといきなり僕の真横に寄ってきて耳元で「あんた、チカコとは仲良くやってんの?」と言われた。チカコというのはもちろんブログに書くので偽名なのだけど、実際は僕の彼女の下の名前をいきなり呼んできたのだ。僕の母親と僕の彼女が会ったのは1回だけでその1回というのも僕の実家で鍋をやった時、その時は母親はめちゃくちゃおそらく緊張していて「さあ食べてくださいね」などと敬語も使いまくりで全然距離など縮まっていなかったのだ。それはまあ当然でこれまでゲイでストーカーだと思っていた息子がいきなり彼女を連れてきて実家で鍋を食べる、となったら緊張するのが当たり前だ。まあその食事はそれなりに終わり、次の日僕は夜行バスに乗り東京に帰った。東京に帰った日の昼に母親から電話がかかってきた。何だろうと思い出てみると、東京には無事帰れたかという内容の電話だった。ああ大丈夫だよ帰れたよと返事をすると一拍おいて、母親から「いや~それにしてもチカコはええ娘やなあ」という言葉が出てきた。チカコ?いきなり下の名前。あんなに距離が遠かったのに。と思いながらうん。そやなあ。と適当に返事をしていると「やっぱりな、ちゃんと育ってる。チカコは。しっかりしてるでやっぱり、チカコ」と1回しか会ったこともないのに再確認のテンションで話してきたあたりで何かこいつ、こいつ、これは朝ドラみたいなテンションで息子の彼女に接したがってるなというのに感づいた。

ゲイのストーカーから一気に朝ドラへの昇格、それはやはり嬉しいだろうけども、距離感としてはおかしすぎる。でもそれをうまく指摘できる言葉が出てこず、ああ、そうだね、うん、などと適当に返事していたら一方的に切られた。それからというもの電話のたび、実家に帰るたび「チカコはどうや?」「チカコは元気か?」「チカコに会いたいわあ」などともうすでに1回二人で旅行に行ってるくらいのものいいで言ってくるのではいはいと適当に返事をしていたら、先日実家に帰った時に「この買ってきた靴下、カバンに入れとくわなあ」と言っていきなり僕の鞄を開けだして、僕はそこにコンドームが入ってるのを覚えていたので「いや、ちょっと!おい!おい!」と言ってやめさせようとしても母親はすでに開けてしまい、おそらく中のコンドームを見つけて「あ~~~~~~」と言って笑ってきたので「ボケこら!!!!」と22歳にして親にコンドームで怒鳴ってしまった。朝ドラにもそんなシーンないだろ。終わります。
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by akuta-seiryou | 2016-05-31 18:25 | 日記 | Comments(0)