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脛を蹴られる

電車に乗り、東京ではあまり見かけないのですが4人掛けの席に座り僕の目の前に知らない人が座った時、自分の足の脛を前の人がつま先で思いっきり蹴ってくるのではないかと想像して脛の部分がゾクゾクします。
一度そうなるとずっとソワソワしてしまうので、カバンを持っている場合は両脛をガードするようにそこに置いたり、ない場合は不自然にならない程度に足を少し横にずらして前の席の人が僕の脛をめがけて蹴り上げてきても直撃はしないという位置にずらすことでなんとかすることができます。皆さんもこういうことはありませんでしょうか?と僕がいきなり大きく構えて皆さん、と言われても何なんだお前は、と思われるでしょうが理由があるのです。

以前僕はこのブログに「乳首を触ると死にたくなる」と書いたことがあり、これが今でもたびたび「実は僕もそうなんです」というメッセージがきたりして、一番最初に共感の知らせが来たときはこの世界に乳首を触ると死にたくなるのは僕だけではないんだと不思議な気持ちになったのを覚えています。僕はまたあらたにこの共感が欲しくなりました。それを世に放ったわけですね。

乳首にまつわる僕の感覚は、例えるなら「この世で自分はどう生きても一人きりで、これから何をやってもうまくいかない、今大事にしている人もいずれは自分のもとから去ってしまい、誰にも寄り添うことなく寄り添われることもなく孤独に一人で死んでいくに違いない」という強い確信が乳首を中心として足の先から脳の中まで強く響き渡り、乳首を触るのをやめた後もひどい心の疲れが残る、という状態になる事を指します。

じゃあ触らなければいいじゃないかと思う方もいるでしょうが、自分でもそんなひどい状態になるということがわかっているのに、自分から乳首を触ってしまうことがある。強烈で破滅的な衝動にかられて、両目を閉じてどうにでもなれ、俺のことは俺も知らない、というような状態の時にそれをやってしまうのです。しかしここでコツがあって、中途半端な状態で乳首を触るのをやめてしまってはいけない。そうすると先ほどの状態、終わった後も心の疲れがひどく残って起き上がれなくなり、乳首を触っていないのに触っているような状態になって普通に1日嫌な気分になってしまう。

ここで大事なのは、どんな気持ちになろうと触り続けることです。触り続けるとどんどんと孤独は深くなり、もうこれ以上どうにもならないという位置まで深く落ちていきます。それでも徹底的に触り続けるとどんぞこに落ちたまま気持ちが落ちなくなる。ここまでいくと気持ちは死体になったような感覚がしてすがすがしさすら感じて、一度死んだ身なんだから頑張ろうと思える。やるならここまでやらないといけないのですが、毎回そううまくいく訳でもなく触り続けて辛いまま一向に気持ちが終わらない、落ちた冷たい孤独な世界の中でのたうち回り続けている最中にもう耐えられなくなって手を離してしまう、ということもあるので、なるべくはやらないほうがいい。でもやってしまう。孤独な空間の中で乳首を触り続けて落ち込み続ける悲しい26歳の小太りになっています。

こういうような内容の記事を書いたら、僕もそうですという声がいっぱいきたので、電車の脛のやつも書きたいなあと思ったんですよね。


それではいよいよ聞いてほしいのですが、冒頭に書いていた「4人掛けの席で目の前の席の人に自分の足の脛を思いっきり向こうのつまさきで蹴られる」想像をしてしまってムズムズする現象。これは実際にそんな目に合うかもしれないと思って怯えているというのとは違って、その想像が頭から離れないだけなんです。例えば皆さんも経験があるかと思いますが駅とかで強引に前に割り込まれたり、ガツンと体を強く当たられたり、前から進んできてこちらは体をよけているのに向こうはよけないというような経験、これは皆が自分の事情モードに入っているから起こる事だと思います。僕としても駅などで自分が急いでいる時に缶チューハイを手に前をゆっくり歩いているサラリーマンなどがいると、せわしなくすり抜けたりしますし、満員電車で目の前の人が無理やり携帯電話を見ようとしてこちらにぐいぐい手を押し付けてくるとなると、不快に感じて僕としても通常通りの自分のスペースを譲らず、というのはよくあります。

これはお互いがお互いの日常に埋没している証拠で、周りへの配慮などがない状態になっているんだと思います。しかしやはりそんなところまで配慮していたらきりがなく、例えば外を歩くだけでどこから誰が歩いてくるのか気にしながら気をはりつづけながら歩いたり、電車に乗る時に目の前の人が満員状態の中で無理やり携帯を触ろうとしているのを(今緊急の連絡をしないといけないんだろうなあ)と思いながら背中から押される手にもどうしてもこれはしょうがない、しょうがない、足をハイヒールで踏まれてこれもしょうがない用事があるんだと思いながらホームに降りると歩きスマホに突撃され続ける、といった状態の人が4人掛けの席で僕の目の前に座って、僕が阿保のように寝ている姿に突発的に腹を立てて、ばれないように足をガンッと伸ばして脛を蹴ってくる。ということが起こらないとは限らないと感覚で理解しているんだと思います。

これの恐怖から僕は目の前の人に脛を攻撃してくる架空の恐怖を重ねて、カバンで脛を守ってしまいます。でも実際に電車の中でギリギリの人いるじゃないですか。
この前は電車の座席に座りながら片手に缶のハイボールを持って片手で柿ピーを持って、ピーナッツをぽろぽろと床にこぼしながらグビグビとハイボールを飲んでいるスーツを着た男性がいました。僕が恐怖を感じたのは、その男性が泥酔している様子ではなく、ただ眼をぼんやり開けながら、もう俺の事は俺も知らない、というような状態に見えたのが恐怖でした。酔いで周りへの配慮ができなくなって失態を見せ続けているのではなく、自分の意思でこの車両の全員を自分と別の世界と切り離して、もうどう見られるようなことでもない、俺がどれだけ俺の柿ピーのピーナッツをこぼそうが、俺は俺をもう管理しきれないから、今はこうやって存在しているだけなんだよ、という僕の乳首状態とすごく似ている強烈な負の雰囲気が出ていました。こういう人が4人掛けの席の僕の前にきたらと思うと本当にぞっとします。まず脛を蹴りまくられ僕の脛は破壊され、足首がなくなった僕の顔にガツンと頭突きしてきて鼻から抜けるような痛みと反射の涙がボロボロ出ているところに僕の両手を無理やり奪い、僕の指で僕の乳首を無理やり触らせられ、僕は、深く孤独な気分になり、ああこんなことなら4人掛けの席になんて座らなければよかったと思いながら海の底に落ちていくように独りきりになり痛みの涙と共に生涯もう幸せなどはやってこないという確信の涙が頬を伝う、という結果になってしまう。ただそんな場合でも忘れてはいけないのがそいつが下車した後の席でも一人で乳首を触り続けることであり、どこまで続くかわからない孤独の海の底に落ちた時にあとは上がるのみだという実感を追いかけることが必要である

# by akuta-seiryou | 2020-01-24 05:51

脛を蹴られる

電車に乗り、東京ではあまり見かけないのですが4人掛けの席に座り僕の目の前に知らない人が座った時、自分の足の脛を前の人がつま先で思いっきり蹴ってくるのではないかと想像して脛の部分がゾクゾクします。
一度そうなるとずっとソワソワしてしまうので、カバンを持っている場合は両脛をガードするようにそこに置いたり、ない場合は不自然にならない程度に足を少し横にずらして前の席の人が僕の脛をめがけて蹴り上げてきても直撃はしないという位置にずらすことでなんとかすることができます。皆さんもこういうことはありませんでしょうか?と僕がいきなり大きく構えて皆さん、と言われても何なんだお前は、と思われるでしょうが理由があるのです。

以前僕はこのブログに「乳首を触ると死にたくなる」と書いたことがあり、これが今でもたびたび「実は僕もそうなんです」というメッセージがきたりして、一番最初に共感の知らせが来たときはこの世界に乳首を触ると死にたくなるのは僕だけではないんだと不思議な気持ちになったのを覚えています。僕はまたあらたにこの共感が欲しくなりました。それを世に放ったわけですね。

乳首にまつわる僕の感覚は、例えるなら「この世で自分はどう生きても一人きりで、これから何をやってもうまくいかない、今大事にしている人もいずれは自分のもとから去ってしまい、誰にも寄り添うことなく寄り添われることもなく孤独に一人で死んでいくに違いない」という強い確信が乳首を中心として足の先から脳の中まで強く響き渡り、乳首を触るのをやめた後もひどい心の疲れが残る、という状態になる事を指します。

じゃあ触らなければいいじゃないかと思う方もいるでしょうが、自分でもそんなひどい状態になるということがわかっているのに、自分から乳首を触ってしまうことがある。強烈で破滅的な衝動にかられて、両目を閉じてどうにでもなれ、俺のことは俺も知らない、というような状態の時にそれをやってしまうのです。しかしここでコツがあって、中途半端な状態で乳首を触るのをやめてしまってはいけない。そうすると先ほどの状態、終わった後も心の疲れがひどく残って起き上がれなくなり、乳首を触っていないのに触っているような状態になって普通に1日嫌な気分になってしまう。

ここで大事なのは、どんな気持ちになろうと触り続けることです。触り続けるとどんどんと孤独は深くなり、もうこれ以上どうにもならないという位置まで深く落ちていきます。それでも徹底的に触り続けるとどんぞこに落ちたまま気持ちが落ちなくなる。ここまでいくと気持ちは死体になったような感覚がしてすがすがしさすら感じて、一度死んだ身なんだから頑張ろうと思える。やるならここまでやらないといけないのですが、毎回そううまくいく訳でもなく触り続けて辛いまま一向に気持ちが終わらない、落ちた冷たい孤独な世界の中でのたうち回り続けている最中にもう耐えられなくなって手を離してしまう、ということもあるので、なるべくはやらないほうがいい。でもやってしまう。孤独な空間の中で乳首を触り続けて落ち込み続ける悲しい26歳の小太りになっています。

こういうような内容の記事を書いたら、僕もそうですという声がいっぱいきたので、電車の脛のやつも書きたいなあと思ったんですよね。


それではいよいよ聞いてほしいのですが、冒頭に書いていた「4人掛けの席で目の前の席の人に自分の足の脛を思いっきり向こうのつまさきで蹴られる」想像をしてしまってムズムズする現象。これは実際にそんな目に合うかもしれないと思って怯えているというのとは違って、その想像が頭から離れないだけなんです。例えば皆さんも経験があるかと思いますが駅とかで強引に前に割り込まれたり、ガツンと体を強く当たられたり、前から進んできてこちらは体をよけているのに向こうはよけないというような経験、これは皆が自分の事情モードに入っているから起こる事だと思います。僕としても駅などで自分が急いでいる時に缶チューハイを手に前をゆっくり歩いているサラリーマンなどがいると、せわしなくすり抜けたりしますし、満員電車で目の前の人が無理やり携帯電話を見ようとしてこちらにぐいぐい手を押し付けてくるとなると、不快に感じて僕としても通常通りの自分のスペースを譲らず、というのはよくあります。

これはお互いがお互いの日常に埋没している証拠で、周りへの配慮などがない状態になっているんだと思います。しかしやはりそんなところまで配慮していたらきりがなく、例えば外を歩くだけでどこから誰が歩いてくるのか気にしながら気をはりつづけながら歩いたり、電車に乗る時に目の前の人が満員状態の中で無理やり携帯を触ろうとしているのを(今緊急の連絡をしないといけないんだろうなあ)と思いながら背中から押される手にもどうしてもこれはしょうがない、しょうがない、足をハイヒールで踏まれてこれもしょうがない用事があるんだと思いながらホームに降りると歩きスマホに突撃され続ける、といった状態の人が4人掛けの席で僕の目の前に座って、僕が阿保のように寝ている姿に突発的に腹を立てて、ばれないように足をガンッと伸ばして脛を蹴ってくる。ということが起こらないとは限らないと感覚で理解しているんだと思います。

これの恐怖から僕は目の前の人に脛を攻撃してくる架空の恐怖を重ねて、カバンで脛を守ってしまいます。でも実際に電車の中でギリギリの人いるじゃないですか。
この前は電車の座席に座りながら片手に缶のハイボールを持って片手で柿ピーを持って、ピーナッツをぽろぽろと床にこぼしながらグビグビとハイボールを飲んでいるスーツを着た男性がいました。僕が恐怖を感じたのは、その男性が泥酔している様子ではなく、ただ眼をぼんやり開けながら、もう俺の事は俺も知らない、というような状態に見えたのが恐怖でした。酔いで周りへの配慮ができなくなって失態を見せ続けているのではなく、自分の意思でこの車両の全員を自分と別の世界と切り離して、もうどう見られるようなことでもない、俺がどれだけ俺の柿ピーのピーナッツをこぼそうが、俺は俺をもう管理しきれないから、今はこうやって存在しているだけなんだよ、という僕の乳首状態とすごく似ている強烈な負の雰囲気が出ていました。こういう人が4人掛けの席の僕の前にきたらと思うと本当にぞっとします。まず脛を蹴りまくられ僕の脛は破壊され、足首がなくなった僕の顔にガツンと頭突きしてきて鼻から抜けるような痛みと反射の涙がボロボロ出ているところに僕の両手を無理やり奪い、僕の指で僕の乳首を無理やり触らせられ、僕は、深く孤独な気分になり、ああこんなことなら4人掛けの席になんて座らなければよかったと思いながら海の底に落ちていくように独りきりになり痛みの涙と共に生涯もう幸せなどはやってこないという確信の涙が頬を伝う、という結果になってしまう。ただそんな場合でも忘れてはいけないのがそいつが下車した後の席でも一人で乳首を触り続けることであり、どこまで続くかわからない孤独の海の底に落ちた時にあとは上がるのみだという実感を追いかけることが必要である

# by akuta-seiryou | 2020-01-24 05:51

クラウドファンディング感謝と思い出を残す

クラウドファンディング、今回皆様のおかげで当初の目標金額50万円を超えた金額が集まり、諸々手数料などを引いて62万円が映画の資金としてフィニッシュということになりました。本当にありがとうございます。おかげさまでより幅を広げて映画のことを考えられるようになりました。

映画を作るにはシナリオがないといけません。シナリオを作るには土台が必要です。今回の映画のために過去の体験や気持ちなど様々なことを思い出し、テーマを絞り出しているのですが、わかってはいましたがやはりなかなか難しく、ただ自分でも観たいと思える形が少しづつできてきている気がします。楽しみに待っていてほしいです。出来上がってから、支援してくれた方々は向けて改めて気持ちはきちんと書きたいです。ありがとうございました。


先日マセキ事務所からの帰り道、電車に乗り、シートに腰掛けて後輩と喋っていると前に立っている男性から「木田さんですよね」と声をかけられました。


普段外で声をかけられることなんてないので、咄嗟に反射で「はい!!」と大声で返事をしてしまい車内に緊張を走らせてしまい、やってしまったなと思いながらその人の顔を見ると、その人が「大阪時代からブログとツイッターみてます」と言ってきました。


僕は17歳くらいの頃からTwitterとブログをしていて、かれこれ89年はネットの海の中に自分を投稿し続けています。その人は話してみると「木田さんがツイッターを2回消したのも知ってる」と言っていたので、僕が奈良時代に好きな男の子への熱い気持ちを毎日毎日連投して、ある日急に「こんなことしていて何の意味がある」とTwitterを消した1回目、そして大阪時代に同じ好きな男の子への気持ちを連投し続けていた日に、その男の子に彼女ができ、ショックすぎてガムテープで大きな自分の笑顔の顔を作って「Twitter終わりました」と書いてアカウントを消した2回目を知っているということです。


僕の生活を、僕の昔をこんなにも知っている人が東京の電車の中でたまたま出会うというのはとても驚きました。それと同時にネットの海に何かを残すことはやはりロマンだなあと思いました。


僕らは今コンビで週に1回自主ラジオを家で録音してネットの海に放り投げているのですが、それが先日101回目を迎えました。僕らが売れたら聞き返されて笑ってもらえたり、何年後かにガクヅケハウスラジオの何回がどう、みたいなのをまだ今僕らを知らない人が言っていると思ったらおもしろいと感じます。もう体が動かなくなって80歳くらいになったら全部聞き返してみたいです。皆さんも誰かとやってみてもいいんじゃないですかね?一人でもいいですし、自分の声を残し続ける。声はどんどん変わっていきます。


中学生くらいの時に僕の母親が「これは私とお父さんが老後に見るためにおいてるねん」と僕や弟の写真、作文、などさまざまなものを入れている箱を見せてきたことがありました。両親からしたら僕は思い出です。僕から見ても両親は思い出です。僕は弟がいますが、弟には本当に幸せになってもらいたいと思うように、両親も僕に幸せになってほしいと思っていると思うんですよね。


だからどうということではないのですが、お笑い、映画、ラップなど生活した証を残し続けるというのは一つの親孝行なのではないかと思いました。弟は今18歳なのですが、職場で「ガクヅケ、きいたことある気がするなあ」と言ってくれた人がいたという連絡がきました。僕らはテレビなどまだほぼ皆無なので、これも、もし聞いたことがあるならおそらくネットのおかげです。


僕らのネットラジオおもしろいと思いますので「ガクヅケハウスラジオ」で検索して聞いてみてください。コーナーとかはないのでどの回から聞いても聞けます。たまに同居ならではのことで揉めてピリピリしている回もありますが、飛ばすとか違う回を聞くとかしてみてください。僕は他人の喧嘩が好きなのでそういう回がきたら当たりだと思ってしまいますし、そういう人は割といると思うのでそういう人は当たり回を探してみてください。


何かを残すということは自分の楽しみでもあります。このブログを始める前、お笑いをやる全然前なのですがブログをやっていて割と更新していたのですがある日嫌になって消したというのが何回かありました。わざわざ消さずとも非公開とかで残しておけば、自分は見れたのにと今になって思います。世の中に思い出をたくさん残したいです。


この前電車の中でめちゃめちゃ太ってるおじさんがスマホでランニングのゲームをして遊んでました。面白かったです。


# by akuta-seiryou | 2019-10-12 01:40 | 思い出

美少年と映画が撮りたい

皆様お疲れ様です。ガクヅケというコンビの木田です。本名は渡 光世といいます。こうせい、ではなくこうせ、と呼びます。

僕は今回クラウドファンディングをやります。クラウドファンディングというのは自分の目標を掲げて、それに向けて皆様から資金を集めてそれを元手に達成、資金をいただいた方には様々なリターンを返していくというシステムなのです。僕が何をやるのか、それは「美少年をテーマにした映画を制作する」という事です。
映画ってなんなんだ、そもそもなんで映画を撮ろうとしているんだ、という方もいらっしゃると思います。
このブログでは何度も書いているのですが、僕は高校生の時に後輩君という可愛い男の子に出会い、その子のことをめちゃめちゃ好きになりました。

僕は高校を卒業して一年間だけ大阪の映画の専門学校に通っていたんですが、そこでの映像課題「3分間で好きな映像を撮ってきてください」というのに、当時声優志望だったその子に出てもらい、僕の部屋でその子の体に絵の具を塗って、塗られて横たわっている映像とその子が学生服姿で部屋で体育座りをしている映像を交互で映したり、部屋を暗くしてライトでそのカラフルになっている体を照らしたりと本当に3分間で好きな映像を作って持って行ったところ、その授業の担当の先生が「渡君のやりたいことはわかった。素晴らしいです。拍手!」と皆の拍手を煽ってくれました。

3分間色のついた男の裸を見せられた後に拍手を強要されることへの反発からか拍手の音は少なかったように記憶していますが、自分にとっては何か作った物を人前で褒められるということに関して最初の嬉しい思い出でした。

その後も「後輩君にかつらをかぶせて暗い場所で口紅をひいてもらい、トマトをかじって体にトマトをつけて最後背中からお尻にむかってトマトジュースを流す」映像を提出して、同じ先生から手放しの絶賛をもらい、同じクラスの女子からは「渡の編集してる映像後ろから見ちゃった。最悪」と僕の映像をカエルの死体のように扱う声も聞こえてきてはいましたが、その時の僕は世界が後輩君のみで出来ていたのでまったく何の関係もありませんでした。

その後、僕はその専門学校を1年で辞めることになるのですが最後にその僕をよく褒めてくれていた先生が「渡君が学校を辞めるのはすごく残念だ。渡君はお話を作ることを辞めてはいけないよ」と泣きながら手を繋いできてくれました。人生の中でかけてもらった言葉でよく覚えているのは都合のいい言葉ばかりなので、今よく思い出したら「男の裸ばっかり撮ってるなよ。映画はそういうことじゃない」と辞める間際におじさんの先生からエレベータの中で怒られたのもありましたが、いいことのほうがよく覚えています。

その日以来、褒められたその言葉は常に頭のどこかにあり続けています。個人的な「物語」を作りたい、願わくば死ぬまでに世の中に自分がこういうことを思っていてこれを素晴らしいと感じるということを伝えた作品を残したいなあという漠然とした気持ちが大きくなり、今回この作品をつくることになりました。

その男の子を好きな身の千切れそうなほど強烈な思いというのは、もうすでに過去のものです。当時はそのことばかり考えていて、なんとか口説き落として二人で東京旅行に行くことができた時はいま死んでもまったく構わないと思っていました。クラウドファンディングのページでも書きましたが、その子に彼女ができた時は、僕の約26年の人生の中で今のところ人生で一番長い期間落ち込んで時期です。
その期間僕が何をしていたのか本当にあまり覚えていないんですが、相方の船引さんいわく(大阪の時は別のコンビを船引さんはしていて、僕はフリーターで何もしていなくてよく遊んでいる船引さんの年下という関係でした)「同じことをずっと喋ってくる。返事をしていなくても喋る。壁に喋ってるのと同じや」と言っていたのを覚えています。それがその時期の話なのかどうかはわかりませんが、僕はもう感情の起伏も自分でよくわからない状態になっていました。

覚えているのはバイト先の定食屋で居残り的に先輩から均一になる野菜の切り方を教えられている時に「俺も嫁さんが待ってるから帰らなあかんねん」と嫌味気味に言われたときに、この人は嫁がいる、俺は後輩君と付き合えない、僕の知らない女が後輩君と付き合ってる、と連想ゲームでボロボロ泣いてしまって「なんで泣いてんねん!!」と言われたこと、部屋で顔を下向きにして泣き続けていたものの二つです。

当時僕の人生の一大目的であった「後輩君」という存在が向こうの彼女の出現によって一気になくなったというショックで何をしたらいいのかわからなくなっていてしまいました。プロ野球選手になるためにずっと野球をやっていた人が「明日からプロ野球はなくなります!すいません!」というアナウンスとともに本当にプロ野球がなくなった世界でその後どうやって生きていこうか、と考えるような無力感というか、何というのか当時もわかっていたことだったのですがやはり目の当たりにすると辛い出来事でした。当時の口癖が「わかってたわかってた。耐えたら終わる」というものだったのですが、外に出た時もカップルなどを見て落ち込むので朝でも夜でもぶつぶつそれを繰り返していました。

そして、辛さがピークになった時にその子に電話をした時に「彼女は彼女、木田さんは木田さんで大事やから」と言われたことで目が覚める思いでした。僕は僕なんだ、というか、自分の人生を自分の納得できるように作り上げていかないといけないなと、そこまでしっかりとは理解できませんでしたが、確かに感覚的に理解したと思います。

そこから長い時間をかけて咀嚼して咀嚼してそれは「経験」になりました。20歳までの僕という人格が作られる過程で、この「経験」は大きな要素の一つになりました、とそう思います。

上手く映画というものを撮れるのか、技術的な部分の勉強はもちろんですし、脚本や様々な要因が素晴らしい映画を撮るための前提にあると思うのですが、第一歩である「これを撮りたい」という思いは自分の中では充分にあると感じています。これを作って、今の自分が大事に思っていることや、いろんなことを外に出すまず最初の大事な一歩であるという思いもあります。


そして、それを撮った後にフェーの篠原さんがおばけ役で主演のホラー映画も撮ります。そちらも上映します。ホラー映画のほうは、もともと篠原さんでホラーを撮りたいという気持ちがあり僕の映画をライブで流すとして、それを見て何かを感じてもらった後にホラーを見せて驚かしてみたい、という気持ちです。東映映画祭りの二本立てみたいなものだと思ってください。

では、システムの説明のほうに、移行してみたいと思います!こちらがクラウドファンディングのページです!!




支援とかって具体的にどうやったらいいの?や様々な疑問があると思います。
まずはページに飛んでいってもらって、2000円~3万円までの様々なリターンがありますので、そちらを選んでいただき金額をコンビニ払いやクレジットカード、銀行振込など様々な支払方法から選んでいただければ、それで完了です!
それで完了です!じゃないですよね。よくわからないことが多すぎます。まず僕のクラウドファンディングの大前提を共有したいのですが、「完成した映像を無料でYOUTUBEや他の媒体で全編公開したりはしません!」

お金を払って購入してくださる方がいるので当たり前なのですが、ちゃんと言っておかないと嫌ですもんね。
「拡散希望!映画を撮りました!!ぜひ見てください!」という文章と共にYOUTUBEのリンクが貼り付けられているなどといった最悪なことはしませんので、承知のほどお願いします。

あとはリターンの中に映画の完成披露ライブに招待、というのもありますがこちらはリターンをくださった方のみの無料招待を考えています。理想では野方の区民ホールとかそういうスクリーンの大きなところやきちんと上映できる場所でライブしようと思っています。阿佐ヶ谷の和室でだけは行わないことを約束します。ライブに関してはその後も、もしかしたら映画上映トークライブなどもやるかもしれませんが、最初に来てくださったお客様にあのライブに行けてよかったなと思っていただくよう特別な仕上がりにしたいと思います!映画祭みたいな雰囲気でやりたいな、という風に思っていますので、楽しみにしてくださったら嬉しいです。

前提の共有が終わりましたので、簡単にリターンの説明していきます!!!ここに全部書くとややこしくすごい長さになるので、詳細はクラウドファンディングのページに書いてありますのでこちらをさっとよんでお手数ですが飛んでみてください!

【2000円】
こちらは一番安いサポートになっています!
こちらのリターンは完成した映像のファイルをメールで送る、という感じですね。

【3000円】
これは完成ライブに招待します、というサポートです!

【5000円】
これは映像ファイルと完成ライブに招待の二つのサポートです

【7000円】
これはライブにこれない人のための全部入り、みたいなサポートです。
映像ファイルと演者のラジオとかありがとう動画とか、モグライダー芝さんとの副音声ラジオもあります

【10000円】
これは7000円にライブ招待もついたサポートですね

【30000円】
これが最大金額のサポートです。3万円てすごい。
これには僕が個人的に撮影する上映はしない男の子のアート映像をつけたり、なんといっても「ガクヅケ木田があなたのためにラップを作ります」というものがあります。僕があなた様とメールなどでやりとりして、お話などを聞いてあなたのためのラップを作るというもので、ラップできるの?君はという感じだと思うのですがYOUTUBEで「ガクヅケ木田 後輩君」と調べてみてください。今のバイト先の人にも「いい曲だよね」と褒められました。ラップ好きなので、誠心誠意込めてリリックを書きたいと思います。他にも様々なリターンがあります!
長々とすいません!ここまで読んでもらってありがとうございます。ツイッターのほうでもクラウドファンディングのリンクは貼っておりますので、そちらからも飛べるので見に行ってほしいです。

目標金額というものがあるのですが、それを50万円に設定していて、今集まっている金額が31万円。8月1日から開始したので約1か月で30万強の支援をいただいているという現状です。ご支援していただいた方たち本当にありがとうございます!!

支援金を集める期限は「9月30日」までです!!!!

これを読んで少しでも、興味を持っていただけたら僕のクラウドファンディングのページに飛んで思いを読んでみてほしいです。
良い作品を撮れるように頑張ります。よろしくお願いします!!!!!!!!!

# by akuta-seiryou | 2019-08-28 20:45 | 色々

好きな映画や漫画の話

夏なので、ブログテーマをインスタグラムの質問機能を利用して募集したところ「好きな映画や漫画の話が聞きたいです」と来たので、そちらに、私が、答えます!

好きな映画や好きな漫画を聞かれたときにみんな口を揃えて難しいなあというような事を言いますよね。「ゼブラーマンです」と言ったら少し面白くなるかもしれませんが、まだ見ていないので言えません。「好きな」というだけだったらたくさんあるんですが、そういうのって大体好きな人が薦めてた物で、まず良い印象があってから観たり読んだりするので自分発信の好きではない気がして答えるのに少し躊躇してしまいます。なのでこういう時は記憶している限り一番最初に「好きだ!」と自分で思ったものをいうのがよいのかなという気がします。

僕が一番最初に好きだ!と思った映画は「悪魔のいけにえ」です。
わりと有名な映画だと思うので見てる方も多いと思うのですが、僕が初めて観たのは中学生の時でした。若者たちをどこまでも追いかけまわして怯えさせるレザーフェイスに感動を覚えました。学内で「渡が気持ち悪い」と女子に辱めを受けたり、いきなり遠くから名前を叫ばれてヤンキーに追いかけまわされたりしていた鬱憤を映画中でレザーフェイスが暴れまわる姿にかさねてストレスを発散していた気がします。女子に辱めを受けていたのは、僕が学校の中という近い場所で男子と女子が付き合ったり女子が男子と付き合ったりする雰囲気が苦手で、そういう雰囲気が蔓延して耐えられなくなったら唾を口の中で溜めてそれを咥内でニチャニチャする音を近くで出したりしていたなどの行動をうっすらと覚えているので、そういうことの積み重ねで嫌われたのでしょうから納得です。ヤンキーに関しては納得できません。

僕は思えば異形の存在が出てくる映画が好きでした。
「フリークス」とか奈良のTSUTAYAにはないのでTSUTAYAのネットレンタルみたいな機能を駆使して借りた覚えがあります。
「フリークス」というのは見世物小屋にいる人たちの反撃、みたいな映画なのですがそれもすごく爽快でした。
フリークスを観るより前に自分より冴えない同級生3人を屋上近くの非常階段に集めて、その3人にオリジナルの人生ゲームを作ってきてもらいそれで遊んでる姿を見て嬉しくなっていた僕からすると、見世物小屋の世界観というのはとても気持ち的にシンクロするものがありました。その人生ゲームはいい出来事のマスが極端に少ない人生ゲームばかりで面白かったのを覚えています。その場所はヤンキーもあまりこない穴場スポットだったのですが、一度だけ見つかったことがあり、僕が変な奴を集めてオリジナルのチームを作っていることがバレて「そんなことをするな」と肩をしばかれました。悪いことをしていると罰があたるものです。

そういうはみ出し者が暴れまわる、とか主役に置かれてる映画が好きでした。はみ出しもの達は一定の場所にいられないので、各地を転々としたりしますが、僕も小学生のころからこんなところにずっといたくない一刻も早く外に出たいと感じていたのでそういう転々としているのもツボだったんだと思います。

一番最初に好きになった漫画は「世紀末リーダー伝たけし」です。たけし達がお化け屋敷に行く回があるんですが、それで死ぬほど笑ってたのを覚えています。割と最初の方だったと思うので読んで探してみてください。中学生になってからは「シガテラ」「ヒミズ」「僕といっしょ」など古谷実さんの漫画にハマりました。ギャグとシリアスみたいな大人のバランスにかっこいいなあと思っていた記憶があります。

他にハマったのはGANTZの作者の人が描いていた「変~HEN」という漫画です。これはヤンキーが同級生の美少年に惚れる、というところから始まる漫画なのですが、僕が実際に行っていた「好きな男の子の大きな写真を部屋に貼る」「好きだ、かわいいと言い続ける」という言動がまったく一緒、しかも美少年側の「最悪だ」「いい加減にしてほしい」という感じのリアクションなどを含めて僕の現実と同じだったのでこれは僕のための漫画だ!と思っていました。HENを広めてやろう、という思いがあったので大判本のHENを電車の中とかでも読んでました。ラストがしかも夢のある終わり方なので当時はかなり救われていましたね。漫画と僕が違うのは、主人公がかっこいいかかっこよくないかということだけでした。かっこいいと漫画になり、かっこよくないと現実になってしまいます。

あまり自分の好きな映画や漫画についてしっかりと文章にしようと思ったことがないので新鮮な経験でした。


# by akuta-seiryou | 2019-08-17 05:39 | 質問コーナー