1月の近況

この前のブログの最後に書いたR-1の結果なのですが、1回戦を勝って2回戦で負けてしまいました。野球のユニフォームを着てグローブをつけて世の中の矛盾をタッチアウトしていくという芸で挑んだのですが「居酒屋で ”あたし~酔っ払ったらキス魔になるんですよ~!”とか言ってる女! お前イケメンにしかキスしてねえじゃねえか! タッチアウト!」と叫ぶと客席が敵チームになったくらいウケなくて惨敗しました。皆アウト木田を相手チームだと思っていたのか。舞台の下のとこに声を拾うマイクがあってそれのせいでやたらと自分の出した「タッチアウト!」という声が響き渡るので1回目のタッチアウトが終わった後に(あと計5回タッチアウトと叫ばなくてはいけない)という事実に心が折れながらも何とかネタは終わりまでたどり着きました。心が折れても5回ならタッチアウトと叫べることがわかってお笑い芸人としての力が増えた。
Rー1終わりでそのまま夜行バスに乗って実家に帰った。夜行バスに乗り、消灯後に少しリクライニングを倒すと後ろの席からスススと手が伸びてきて僕のリクライニングを倒す用のレバーをグッと引っ張って僕の背もたれをグンっと前に戻してこられた。僕は最初何が起こったのか理解ができず、いやいやいやと思って全神経を背中に集中するとなおも足でグイグイ僕の席を押してきている。何かの勘違いかと思い背中のグイグイがなくなってしばらくしてもう大丈夫かなというころにこっそりゆっくり背もたれを倒してみると、また再度スススと手が伸びてきて僕のレバーを引かれて僕の背もたれはグンっと前に倒され最初の位置より前傾姿勢で僕の席は固定された。1990円の夜行バスに乗ってしまったからしょうがないのかという諦めとせめて顔だけでも次のパーキングエリアの時に見てやろうと思い、ちらっと見てみると普通の若い男で怖かったのでリクライニングなど一切倒さず前傾姿勢のままで帰省した。
だいたいがなんでこんなめに合わなくてはいけないんだということが往々にしてある、というのは今回みたいな夜行バスで知らない男に勝手に背もたれのレバーを引かれて前傾姿勢のまま東京~大阪を移動させられるというようなことが今回だけではなくちょくちょくそういうことがあり中学時代にヤンキーが教室に入ってきて最初にビンタをするのは必ず自分だったし、高校時代にバイトしていたスーパーでウチのスーパーでは売っていないような商品や腐った野菜を大量に持ってきて「返金しろ!」と騒ぐヤバいババアが最初に捕まえる店員も決まって自分だった。これはもう顔の具合というか雰囲気主にそういうところで決まるのだと思うのですが、顔がぼんやりしててこいつは大丈夫だ!という感じになるのかもしれません。中学時代僕は剣道部だったのですが、僕らが中3のときに中1の後輩達がまったく言うことを聞かず敬語も使わず「おい木田!」と舐められっぱなしということがあり、最初は反発し「俺は先輩なんだから敬語を使え」と対抗していたのですが「じゃあ剣道で勝負しよう」と言われ勝負したらめちゃくちゃボコボコにされて、剣道部の後輩に剣道で負けなのでもうなんとも言いようがないのですがそれでもやっぱりその頃は何とかして後輩に勝ちたいという思いが強く、最終的に「あいつらが全然言うことを聞かないんです!」と泣きながら顧問に言いつけに行くとしばらく話を聞いてくれた後に「・・お前らは剣道が弱いからなあ」と言われそこでハッと自分のポジションというものに気づき
、それからは後輩に剣道を教えてもらったり僕のかぶってるニット帽を「木田すごいそのニット帽似合うやん!」などと言われ本気で嬉しくなったりという関係性になりそれなりに充実しながら引退できた。引退試合の行きの駅のキオスクでこっそり「3Dメガネをかけて見る! 飛び出す衝撃SEX写真集」みたいな記事が付録でついている週刊誌を買って最後の試合をしにいく防具入れの中に隠していたのですが、それを持ってきているのが顧問に見つかってしまい引退の日だというのに正座をさせられて「剣道とは」という心構えを3Dメガネとエロ週刊誌を目の前に置かれて泣いている3年生に使う敬語なんてないから当時の後輩たちの判断はちゃんとしていたんだなと思う。
怒られた試合の帰り、結局返してもらった3Dメガネとエロ週刊誌を手に家に帰り、部屋でこっそりそのエロ週刊誌と3Dメガネをかけてページを見てみると、3Dメガネのせいで薄緑色になった裸のババアがぼんやりと宙に浮かんできた。こんなもの買わなければよかったなあと思いながらそれでシコッたのかシコらなかったのかは全然覚えていない。ぼんやりと薄緑色のババアが浮かび上がってきたのは覚えてる。女の裸。女の裸を一番最初に見たのは奈良のピンサロのおばさんで、2回目が奈良の違う店のピンサロのおばさんで、3回目がおそらく大阪の激安風俗「むきたまご」で4回目が大阪の別の激安風俗、で5回目が彼女である。僕は異性関係というものが21年間本当に皆無だったので初めて彼女ができた時まったくどうしてよいのかわからず、僕が後輩君という好きな男の子を好きでい続けている理由の一つである「SEXがない関係」というのを初めて2人で泊まった布団の中で延々と説明し続けて「だからエッチはしないほうがいいと思う」という話をして、最終的に彼女の顔の近くで「弟みたいに可愛い」と言い放つという世界で唯一のDVをしてしまっていた。わからなすぎるのにもほどがある。結局翌朝に彼女に淡々と僕の言っていることのおかしさを指摘されて頭を下げて今も付き合うことができている。SEXの知識。SEXの知識、というか僕はそもそも彼女ができるまでSEXを全然したことがなかった。初めていった奈良のピンサロで「ここに指を入れてみて」とおばさんの女性器の中に指を入れさせられ、指を入れた瞬間に「あああああ!!!」と初前戯でもウソだとわかるほどの爆音喘ぎ声を耳元で叫ばれてその後に「手をにおってみて」という風なことを言われ女性器に入れた自分の指をイヤイヤ臭ってみたらめちゃめちゃ臭くて「女の人はみんなこんな匂いがするの」とまた耳元で言われふざけんな嘘つきババアと思っていた。おそらく向こうからしたらサービスで女性器を触らせた後に童貞の男に甘い言葉を言おうとしてくれていたんだろうけどもその老婆心はまったくいらないと思った。
ピンサロのおばあさんの話の後に自分のおばあちゃんの話をするのもなんなのですが忘れないうちに書いてしまいたいのがあって、実家に帰って今大阪に住んでいる彼女と京都でお寺さんを参ってご飯を食べよう、ということになったのですがたまたま目的地の近くに僕のおばあちゃんが入院している病院がありついでに彼女と一緒にお見舞いに行きました。僕のおばあちゃんはもう80歳なのですが結構元気で病院にいながらもコーラを飲み「ガアア」とゲップをする姿が面白いので去年の夏よく見せてもらっていた。しかし親にきいた話だと最近はちょっとしんどそうな時もあるということだったので大丈夫かなと思いつつ病室に入るとおばあちゃんがいて「久しぶり」と声をかけると「光世か!」(僕の下の名前です)と返事をくれた。彼女を病室に入れておばあちゃんに紹介すると「光世がべっぴんの彼女連れて・・」と喜んでくれた。その後少し話してまたくるねと病室を出てああよかった色々嬉しいなあと思っていると廊下の奥の方の病室から「アア~~~ンッンッンッアアアア~~!!!!」と手マン!?!?!?!とビックリするほどの音量で声が聞こえてきて見に行ってみるとおばあさんがベッドの上で寝ながら「アア~~~ンッンッンッアアアア~~!!!」と叫んでいた。何がどうなってそういう状態なのかはわからないからそれに関しては知らないのですが、今それを思い出していて奈良のピンサロを思い出しました。暗い部屋でのあの爆音喘ぎ声と悪臭は女の人、ではなく「奈良」のイメージとして僕の中でついていて、近鉄奈良駅の付近はどうもだから嫌な性の気配がする、と思ってしまいます。
みなさんも奈良に訪れるさいは教えますので興味あれば是非。終わります。
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# by akuta-seiryou | 2016-01-27 23:23 | 思い出 | Comments(0)

浅草

新年あけましておめでとうございます。今日が1月1日で、12月31日僕は家にいました。彼女も家族も近畿に住んでるので年末は僕は家で一人で過ごすことになります。僕は相方の船引さんと2人で暮らしているのですが、船引さんが12月29日から予定では1月6日まで実家に大型帰省をしているので家の中に一人になります。普段は夜中ふなじいの寝言(普通に喋るくらいの声量で寝言を言う)が隣の部屋から延々聞こえてきたりするとうるさいなあと思ったりしてそこからもし一人暮らしをしてたとしたら・・と思案してああやっぱ一緒に住んでるほうが色々楽だしいいなと思うと大声で向こうの部屋から「うるさい!!!」という声が聞こえてきてビクッとするみたいな生活なのですが、いざ船引さんがいないとなるとそれはそれでこの大きな空間を持て余すというか久しぶりに「夜が怖い」という感覚になり、この部屋の中にひとりぼっちだというのが怖くて弟に「ぷにほつ(弟の頬がぷにぷにだったので弟を実家にいたときそう呼んでいた)」とラインを送ってすぐ既読になるけども無視され、無視されてるので通話をしたらキャンセルされた後「いま妖怪ウォッチしてるから」と断られる4番目のセフレみたいな扱いをうけていたらひどく寂しい思いになってきてそうだせめて1年の最後の日だけは、良いものを、と思って以前から気になっていた安い刺身の食べ放題に行こうと思った。一人でいくのもいいけどもそれだと結局今の状況と変わらない、むしろ人がたくさんいて楽しそうに刺身を食べまくってる中で自分だけがひとり黙々と刺身を食べる、刺身を持ってきて自分で食べ放題の酢飯をよそって海鮮丼をつくって食べる、みたいなことをしていたら一人で一人の部屋にいるより寂しい気持ちになるだろうなと思ったので人を誘うことにした。仲の良いお笑いをやってる芸人さんが一人捕まり(その人の芸名は乳桃みゆ という名前で 詳しい内容は忘れてしまったのですがE-girlsが牛の出産を手伝う?みたいなネタを2分で披露してマセキのオーディションに落ちていた)その人と行くことになった。
事前に調べたところによると、その刺身の食べ放題の店はかなりの人気店で11時30分オープンだけどもすぐに行列ができるらしく並ぶときは早くに並んでも1時間待ちなんてザラらしく、これは年末だし人も混むだろうと思い11時に駅に集合、その後なんとか店の前までいくと行列どころか店の前には目の前のことが信じられない、という風にぽつんと立ち尽くしている女子中学生みたいな子が2人、という状況だった。どういうことだと見てみると、なにやら店の前は木の門みたいなのが閉まっていて江戸時代の閉店といった感じでもうこれは本当に開く気配がゼロだった。さらに本入口みたいなところには「29日から5日まではお休みです」という旨の
文章が書いてある紙が貼ってあり、ああなるほどこの女の子二人はこれを見てこんな表情になったのだと思って僕はさすがに22歳なので「あーやってなかったですね笑 え~調べたときは書いてなかったのに!」と余裕な振りを乳桃さんにみせようとしていたのですが、11時20分ごろに店の前にくるほど刺身食べ放題を楽しみにしていたやつがそんな自分はノーダメージみたいな感じでヘラヘラしているのは滑稽でそれならいさぎよくあの女子中学生2人のように刺身食べ放題がない事実に対して呆然と立ち尽くしていたほうがなんぼかましに見えただろう。それでもやはり心のどこかで(もしかしたら・・)という気持ちがあったので「いや~どうしますかね~」とその店の前を離れつつヘラヘラして店を探すふりをしながら11時30分を待ってみた。だいぶ離れた位置で11時30分になっても店が開かないのを確認して初めてああ失敗した、恥ずかしいという気持ちになった。僕たちが店からだいぶ離れたところでこっそり開店を確認していたのに対して、あの女子中学生二人組はまだ遠くからでもわかるくらい店の前で立ち尽くしていた。刺身食べ放題。食べたいよな。でも、江戸時代の閉店のような感じで木で閉まってたからたぶん、絶対開かない。あああと思ってばかりもいられないので、2人で今後のプランについて話をした。結果、浅草が近いので何か浅草付近でご飯が食べられればというので意思を統一して電車に乗った。浅草まで向かうまでの電車の中で僕は「食べログ」を駆使して安くて美味しい店を探していた。浅草といえばやはりもんじゃ焼きのイメージが強く、またでももんじゃ焼きは割と高いというイメージがあり、僕の彼女がこの前「もんじゃ焼きは家で作ると激安。外での値段はぼったくり」と占い師みたいにきっぱり言い切っていたのになるほどそうなのかと感銘をうけていたので安いもんじゃ焼きがあれば・・と探していたら350円で食べられるもんじゃ焼きがあるという情報が飛び込んできた。僕は乳桃さんにそれを報告して「これはいきたいね!」という話になりそこに向かうことにした。
なんでもそのもんじゃ焼きやさんは古くから親しまれていたらしく、味も美味しく値段も安いということで「食べログ」でもかなりの高評価だったのだ。これはいいですねもんじゃ焼きを食った後もお腹が空いていたら違う何かも食べましょうなどと話しながら浅草駅につき、地上に出ると人力車などがひしめいていて浅草!という感じで嬉しくなった。僕は浅草が結構好きだ。どの店に詳しいとか何が美味しいとかはまったくわからないのだけど、なんとなく人力車とか雷門とかの雰囲気もいいしスカイツリーがずっと見えているというのもなんだかそれだけ新しくてSFチックな感じでいいな~と思う。あとは後輩君との東京旅行で遊びにきたのも浅草だ。僕は江戸川乱歩が好きなのですが、一世一代の大博打で江戸川乱歩が昔入ったことがある銭湯があるから一緒にいこうと後輩君を説得して1970年くらいにできたような銭湯に行ったのも浅草だ。ジャグジーがついてある風呂があったので「これほんとに江戸川乱歩が使ってたの?」と疑われた。江戸川乱歩はこの銭湯たぶん使ってない。ごめん。ジャグジー風呂にあたる江戸川乱歩。「後輩君」という曲をラップしてPVを撮ってもらったのも浅草で、PVを撮ってもらってるときにその銭湯を探したのだけど全然見つからなかった。悲しい。幻の江戸川乱歩銭湯が浅草のどこかにある。銭湯は出てきてないけども浅草の中でラップしてるので聞いてみてください。CDが通販していて曲のPVはYOUTUBEにあります。よければ。。
話をめちゃくちゃ逸らしてしまったのだけど、戻して、浅草の地上で僕はその行き先の老舗もんじゃの店までの道のりをしらべたら1.7kmと出て、だいたい歩くと20分くらいかかるとでた。まあでも安くて美味しいもんじゃ焼き、全然歩きましょう!となってぐんぐん歩いた。歩いてる途中に「さっきのようなことがあるといけないから」と思って店の番号を調べて電話をかけてみるとおばあさんが出たので「今日ってやってますか?」と聞くと「やってるよ!」と元気に返してくれた。これは安心だとまたどんどん歩いていくと、目の前にその店がやっと現れた。外見がいかにも老舗のもんじゃ焼き、という感じで古い。しかし店の入口のところに「食べログ 認定店」というシールが貼られている。ああこれはここだここだ嬉しい!という気持ちになりガラガラと木のドアをスライドして中に入ると、やはりまあ店の中はそこまで広くはなく家族連れと老夫婦で2つのテーブルは完全に埋まっていた。ああこれはどうしたらいいのかなと思って店員さんを探すと、すぐ横でもんじゃを焼いているおばあさんがいた。あ、この人がさっき電話にでてくれたおばあさんだろう、と思って声をかけようとしたのだけど、そのもんじゃのおばあさんはさきほどの電話に出た時の声の印象からは想像もできないほど怖い顔でもんじゃを焼く準備のようなことをしていた。準備をしていた、というのは生地?を練っているような動きなどを延々としながら怖い顔をしているのだ。もちろん僕たちが入ってきて「いらっしゃい」も何もない。まあでもなんかこういう古いタイプの店って頑固な老人が切り盛りしていてまあそういう一見の客には厳しいのだろう、と思いああでもあんなに怖くて険しい顔でもんじゃを焼く準備をされたら喋りかけずらいなと思っていたらそのおばあさんが一瞬目をあげてこちらを見て僕と目があった。僕が「あっ・・」と口を開くと、もう次の瞬間におばあさんは目をもんじゃの生地に落としまた険しい顔でこね始めた。僕はこういう時の振る舞いがとても苦手で、というかこんなのほとんどの人が苦手だと思うのですがだいたいなんで生地を作ってる段階であんなに怖くて険しい顔をしてるんだ。焼くときならまだしも。焼かないと意味ないだろ。険しい顔も怖い顔も焼くときにとっといて。テーブルの方をみたら奥では老夫婦が今川焼きを二つ夕方までいるんじゃないかというペースで食べてて手前は子供連れのお母さんだったのですが地域に密着しすぎてもはや家みたいになっててこちらも僕らのことなんか見えていないといった感じでほぼ食べ終わってるのに全然どけず、もうここまできたら350円のもんじゃ焼きなんて頼みたくないし食べたくもなくなっていたのですがとりあえずこの立ちっぱなし、この店の中の誰にもリアクションがとられていないという状況を打破しようとキョロキョロ店内を見ると、奥にもうひとつテーブルがあったのであそこが空いてたか!と見に行くとそこに缶ビールをひとつだけ机の上に置いたおじいさんが座ったまま寝てて絶望していてこの店内ではもうどう振舞っても異常者のようになってしまうと思っていたら乳桃さんが「外で待ちますか?」と助け舟を出してくれた。是非そうしましょう、とへとへとの状態にで外に出てしばらく待ってもやはりあの食べ終わっていたはずの家族連れも一向に外にくる気配はなく、刺身食べ放題に引き続き、350円のもんじゃも諦めて浅草に戻った。なんで350円のもんじゃなんかを諦めないといけないのか。だいたい、ああいう接客、もううちはうちのルールね!という風にするのならするでいいのだけど、そうするなら「食べログ認定!」みたいなシールを目立つとこに貼らないでくれ。普通の店だと思うから。家の神棚に貼っておいてほしい。あと350円のもんじゃをそんなに怖い顔で作るのおかしいと思いました。というかもうかなり情けない。狭い店が満員で店員にも無視されるていうのは嫌だ。勝手に座ってあのおばあさんに「ちょっと!」などと怒られたらもういよいよそのおばあさんが作った350円のもんじゃなんか食えたものではない。
結局海鮮丼を食べてそのあとジェラートを食べて15時頃解散しました。海鮮丼美味しかった。

あとはこの前、先輩のライブを手伝っていた帰り道にそのライブを見に来ていた女子高生らしき人が「木田さん!」と声をかけてくださり「R-1頑張ってください!」と言ってくれたということがあって非常に嬉しい気持ちになりました。350円のもんじゃの前ですら撤退するような人間のR-1を少しでも覚えてくれていてありがとうございます。ありがとうね。
ということで僕は1月6日にR-1に出ます。マセキの若手統括のマネージャーの人に「別に出てもどうでもいいけどさ。エンタのパッケージそのままだよね」「エンタのネタ見せがあったら合格してたかもね」と言われたほどの完成度なので皆さん見に来てください。終わり
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# by akuta-seiryou | 2016-01-01 12:31 | 思い出 | Comments(0)

4年だ

ツイッターを見ていたらアイドルが引退する直前に「たとえわたしに何の肩書きも才能さえもないとしても、わたしのこと見つけ出して、好きになると言えるかな?」という歌詞を書いてちょっと話題になっていたというのを知りました。僕の好きな男の子、後輩君も約2年前にバイト終わりに2人で歩いて帰っていたところ急に「僕の顔が、可愛くなくても、木田さんは今みたいに僕のこと好きになってた?」と聞いてきたことがあり、アイドルの歌詞レベルの日常会話をはけるというのはすごいなと思った。歌詞のほうは「まっさらなわたしだとしても、好きになるって言って欲しい」と続くらしいのですが、僕の方は「正直顔が可愛くなかったら今みたいな感じで好きにはなってなかったと思うけど、性格も好きだから仲のいい友達には絶対なってたよ」というふうに答えて「そっか。よかった」という返事をもらって沈黙。という女が撮ったゲイの映画のワンシーンみたいな感じになった。そもそもが僕と後輩君が出会ったのはお互い高校生のころで今僕が22歳、向こうが21歳でもう4年近くたっている。3年前の僕は後輩君が当時通っていた専門学校の友達と一緒にカラオケで遊んできたというメールが届いただけで、ラップバトルのために行っていた京都で時間を潰すために入ったブックオフの片隅で泣き崩れて座り込んでしまい、数時間後そのままエントリーしていたラップバトルに出て半泣きの状態でバトルをしてボコボコにされて実家の奈良に帰る終電もなくなった深夜の京都の鴨川沿いに座って後輩君が何を歌ったのか想像しながらまた泣きまくるというメンタルの弱すぎる女のラッパーのような暮らしぶりを送っていた。
その後も(僕と後輩君は同じバイト先だったのですが)後輩君と喋っているバイト先の女を見つけるとそこまで行って「二度と後輩君と喋るなアホ女」と挑発したり、終わりの方には後輩君と喋っているバイト先の男の友達にも「男が喋りかけるな」と意味のわからない注意をしたりしていた。しかし後輩君はその女の子にも「ごめんね。木田さんは悪い人じゃないから」と謝ってくれたりしていて、頭が上がらなかった。そしてまあそれら以外にもそのようなことが多々あり、奈良にいたらヤバイなと思って後輩君から離れた土地の大阪で一人暮らしをしたりしていた。しかしここでも困難なことが多く、困難なことというのは後輩君が当時通っていた専門学校が僕の住んでいた地域から自転車で約15分くらいのところにあるというものでこれが僕を多いに苦しませた。気軽に会えないようにわざと奈良から大阪まで引っ越したのに、なぜ家から15分自転車を漕げば後輩君の通っている学校に着けてしまうのだ。僕はしばらくは我慢していたのですが、やはりこれはもうどうしようもないと思い、奈良から大阪のその専門学校に通うには使うであろう駅を調べて朝の7時~11時くらいの間中、その駅から学校までを結ぶ直線距離を偶然を装って出会うために自転車で延々と往復していた。
後輩君に会うまで往復し続けるストーカーシャトルランを延々と続けていて、やっとそこでバッタリ会った時に後輩君が最初に言った一言が「やっぱり」だった。話すと「こんな直線距離の通学路、いつかは木田さんが見つけて偶然を装おって会いに来ると思った」というようなことを言われて直線距離の通学路にとても感謝した。みなさんは(こんな直線距離の通学路だったらあの人は簡単に見つけて偶然を装おって会いに来る・・)と思ったことありますか?そこでまあ久しぶりに会い、学校に向かうまで喋っていたのですが後輩君はこちらを一切見てくれず「なんでこっち見て喋ってくれへんの?」と聞くと前を向いたまま「横をむいて喋ってたら友達やと思われるから。前向いたまま喋ってたら最悪学校の友達に見られてもしつこい勧誘やと思うと思う」と言われて学校の友達に隠されているという事実にちょっと悲しい気持ちになりながらもまあなるほどと思ってそのまま喋り続けた。初日は久しぶりに会って喋れて最高に良かったな~と思って家に帰ったのですが、その日の夜寝るときになると朝にその子にあった分本当に嫌な悲しい気持ちになってしまい、その翌朝も6時30分ごろに起きて自転車をこいでストーカーシャトルランに向かった。そういうのを繰り返していると、その待っている時間を上手く使えないかという感じになっていき、その後輩君との待ち時間に聴く様の落語のCDをipodに入れたり、小腹がすいてコンビニでおにぎりや飲みものを買ってしまいお金がなくなるのをふせぐために家から水と自分で握ったおにぎりを持って行ったりして健康のためにしているジョギングと同じような感じになっていった。しかしまあどれだけ準備をしても会えない日はあり、そういう日はもう本当に日がな一日暗く過ごした。それでまあしばらく経ってやっと(後輩君と距離をあけるために大阪に住んだのに、毎朝会いにいってどうするんだ)ということに気づいてなるべく会いに行かないようにしよう。と決めた。しかしそれを決めてもそれまでのストーキングのため毎朝6時30分起きという超健康的な習慣は体に染み付いていて目が覚めてしまっていた。起きてしまったら行きたくなる、今行けば会えるかもしれない、いやもう会えないか、などで12時くらいまではそのことで頭がいっぱいで何も手につかなかった。行きたい気持ちと我慢しなければいけないという気持ちがぶつかり合ってそれらを相殺させるために「わーーーーーーーーーー!!!!!」とほぼ毎朝大声を出していたら向かいの部屋に住んでいるいつもスエットを着て外でもチンコを触っているおっさんが廊下でバッタリ会ったときに「大丈夫か?」と心配していつもチンコを触っている手で僕の顔と頭を撫でてくれた。おっさんがいつも外でスエットの中に手を入れてチンコを触っていることよりも僕の毎朝の絶叫のほうが確実に迷惑なので「すいません。ありがとございます」と謝れた。前にこのブログでも書いたのですが、後輩君に彼女ができたというのを聞いたときに大阪当時の僕はもうデロデロになってしまっていて外で叫んで部屋で叫んでという状態になっていた。何が辛いっていうのは当時、確かに自分は後輩君の彼女にはなれない、というのは理解しているし自分のカテゴリーと彼女のカテゴリーはまったくもって別、というのはハッキリわかっていたにもかかわらず「彼女ができた」というのを聞くとえ!!!彼女!!?!?となってしまっていた。僕が何年もかけてちょっとずつ自転車を漕いで色々頑張りながらめちゃくちゃ遠いゴールまで目指しているの真横を思いっきりスポーツカーが抜かしていって、その10秒後にラジオから「速報です!スポーツカーが速攻でゴールしました!!!」というのが流れてくるのを聴くのと似てるというか、自分にだましだまし「いやこの風景をみるのがいいんだよね」や「ゴールって結局目指してる過程がいいんだから」みたいなことを言ってあげている横を「バーーーカ!!!マジで意味ないぞ!!!!」と一瞬のうちに吐き捨てられながら速攻でゴールをされるというのは本当に堪えるもので、というかまあ例えの中で言うとそもそもそのレースはスポーツカーしか参加してはいけないものなのに何故勝手に自転車がエントリーしてるんだという話で、なおかつ直接でいうと女しかダメなのにバイの男がエントリーしてもダメだよという事実をつきつけられすぎてほんとにもう何もできなくなった。俺のマウンテンバイク。まあでも結局自分がそれでエントリーする際に「いや大丈夫です大丈夫です。ゴールとかははい特に考えてないので、風景を楽しみたくて、はい、ほんとに」みたいな感じで係員のストップを蹴って勝手にエントリーしたというのも事実だしそこにいくまで何度もおりれたのにずっとやり続けたということは、それはまあじゃあこういう結果になるのは当然のことでスポーツカーに失礼なことをしていたなと思う。僕がそもそも一番最初に後輩君に抱いた感情は(なんて可愛くて性格の良い子だ)というもので、さらには(この子の中で僕が意味のある存在になりたいな)というものでした。意味のある存在、が必要される存在、というものに変わりそれがだんだん「彼女」というポジションへの嫉妬に繋がっていったというのはこう考えると納得で、その部分に関しては後輩君から彼女についての話を聞いたときに「俳優を目指してるから正直経験で付き合っておきたかったというのもある」と聞いたときにかなり嫉妬や羨ましいという気持ちは薄くなり、僕が抱いていた感情はどういった種類のものなのかと自分で考えていたところ、前に後輩君に「木田さんのせいで僕は誰かがずっと僕を褒めてくれないと不安になるようになっちゃった」と笑いながら言われた後に「でも木田さんと会えてよかった。会ってなかったら今みたいな僕じゃなかったと思う」というのを言われた時にかなり嬉しい気持ちになってその後に色々思ったあと(後輩君が幸せに人生を過ごしてほしい)と思った。それを経て僕はもしかしたら親になりたかったのかと思った。後輩君が彼女と付き合うのは娘が嫁にいくのを嫌がるお父さんの気持ちに近いかもと言われれば近いかもしれない。会いたいのを我慢して部屋で叫んだりしていたというのを振り返ると親のバケモノみたいになってしまっていたのだけど、今のところこれがかなり近い感情でかなり自分の中でもしっくりくる。この前テレビの企画で後輩君ともしかしたらロケに行って2人で地上波に出れたかもしれないという話があったのですがダメになってしまい、ネタ番組のオーディションに落ちるより凹んだ。僕は最初のかなり大きなきっかけとして”後輩君とテレビに出る”という目標のためにマセキに入るため頑張ったのでつい飲んでるときに「なんのために芸人やってるのかわかってんのか」と熱い芸人の感じで人の前で愚痴をこぼしてしまって向こうはまさか「自分の好きな後輩の男と合法的に一緒にいれるため」とは思わず「もっとおもしろいネタをつくって頑張れよ」と言ってくれた。ごめんなさい。ネタの話ではありませんでした。僕はあらゆる手段でお金を稼いでお金持ちになって幸せな家庭をつくります。一軒家よりすごいマンションがいい。あとこの前みた映画で、内容はそういう内容ではなかったのですが観てる時にずっと”親がもし今死んだら僕は親を葬式にも出してあげられないのか”と思い、一刻も早くなんとか、お金をと思った次第です。来年も頑張ります!終わり


載せた歌詞はアンジュルムの福田花音さんの「わたし」という曲らしいですので是非聞いてみてください
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# by akuta-seiryou | 2015-12-21 22:42 | 思い出 | Comments(0)

お正月

はやいものでもうすぐクリスマスで、さらには来年になってしまう。もう東京にきてだいたい2年間が経っているのだ。東京にきて最初の正月は、僕の肛門にできていた小さな痔が(クリトリスだと騒いで人に見せて遊んで喜んでいた)マジで怒って僕の肛門に蓋をしてしまい一ミリも大便が出なくなってあまりの激痛とこれまで自分の尻にできた痔に対して何の対策をとるでもなく、むしろ人にお願いして自分のケツをゆっくり開き肛門の上にある小さないぼ痔が授業中の小学生が発言する時のような勢いでひょこっととびでる動画を録って見て大笑いしていた自分の情けなさと読みの甘さに憤慨そしてやはり次第にそんなことどうでもいいほどの肛門の激痛で必死に付近の薬局で新年でも空いている薬局を探たところ家の近くの薬局は全部新年がっつり休んでいてめちゃくちゃ怒りながらトイレでスマホさわって検索していると家から歩いて30分ほどのところの薬局が新年でも空いているとの情報を掴み、あまりの激痛で肛門に負担がくる動きは全部無理なので自転車にも乗れず本当に少しづつ歩いていたのですが、薬局が近くなるともうはやくとにかく薬を手に入れたくて走ってしまい、映画のヒミズのラストシーンみたいな感じになりながら駆け込んだ薬局は暖房が聞いていて本当に暖かくて優しい気持ちになり、痔の薬のコーナーまでいきどの痔の薬にしようかと悩み、ぼんやりした知識で「ステロイド」が入っているのは劇薬なので一発で効くというのは知っていたのでステロイドステロイドと思いながらステロイドが入っている薬を発見。そのままレジに持っていき新年1発目の買い物がステロイドの入ったいぼ痔の薬ていうのは嫌だなて感じだったが本当にもう尻がいたいので買って即コンビニのトイレで塗ると、さっきまで痛かった江門からどんどん痛みが抜けてゆき、ステロイドってやっぱすごいんだなと思った。
そもそもステロイドは、そもそもステロイドはっていう書き出しもどうなのかと思うのですが、まあ僕は小学生の頃から喘息を患っていて喘息を同じく患っていた人はわかると思うのですがもう本当にめちゃくちゃ息ができなくてしんどくてどうしようもない時に吸引する薬があって、小さい筒みたいになっていて底を押したらシュッと白い煙がでてそれ口に加えながら吸い込むと発作が治まる、といったもので医者にそれを渡されたときは「これはどんなにしんどくても1日2回まで。これはステロイドが入っているから命に関わる危険性があるからね」という説明とともに小さいその筒を渡されめちゃくちゃテンションが上がった。
「1日2回まで」という制約と「命の危険性」や「ステロイド」というワード、白い煙を吸い込むという妖しい魅力などが小学生当時の僕の心をぎゅっと掴んでいた。当時から僕は幽遊白書が好きだったのだけど、主人公の浦飯幽助の必殺技・霊丸(たしか3~5発しか打てない)と自分のその喘息の薬を重ね合わせて、わざと学校のマラソンとかでペースをあげて自分を疲れさせて喘息の発作を起こして吸引して(残り1発・・)みたいな感じで楽しかった。中学にあがると(ウケたい)という気持ちが自分の中でかなり芽生え始め、友達に「これは喘息の薬で必ず1日に2回までしか使ってはいけない」という説明をしてから、口にくわえて10連続くらいでプッシュして吸引するという心臓を賭けた笑いを披露していたのですが一度それをやり終わったあとににマジで心臓の辺りがギュウッと締め付けられるように痛み出してこんなことで死にたくないと強く思ってからは吸引はやらず、ゴミ箱の中などにその吸引するやつをプッシュしてめちゃくちゃ煙を捨てるというランクが1個上がったギャグに進化した。
正月というと僕がこれも小学生の頃、京都のおばあちゃんの家でテレビでいつもここからの「悲しい時」を見ていて笑いすぎて喘息発作が出てしまい、年末でどこも病院がやっていないので救急病院にいって煙を吸わせてもらった。そしてこれは記憶が曖昧なのですが、その時に太ったナースのおばさんが「尻から入れるタイプの薬もある」と言って嫌がる僕を追いかけながら座薬を入れようとしてきたのもたしかその病院でした。女の医者は怖い。
まあとにかく次の正月で僕は2回目の東京での正月を迎えるのですが、僕の予定はもう決まっていて漫画喫茶で夜勤のアルバイトです。まあ正月はこれと言ってやることがないので別にそれでも大丈夫なのですが、何だか味気ないなあと思っていると10年その漫画喫茶でバイトしている35歳くらいのバイトリーダーの人が「俺出勤じゃないけど年開けたらここくるからさ。お祭りでご飯とか買ってもってくるよ」と言ってくれて10年もいたら年明け速攻出勤でもないのに来てくれるのかと驚きながらありがたいなあと思っていたら、その人がレジの中でスマホを触ってゲームをしているのをその人と敵対している朝番のパートの23歳の女に監視カメラで見つけられてそれを社長に密告されクビになってしまった。諸行無常すぎる。そのバイトリーダーの人は5年後の東京オリンピックに向けて英語版の接客マニュアルを自分で作っていたくらい仕事熱心な人で(いらっしゃいませ。ここは漫画喫茶です の下にwelcome to MANGAKISSA と書かれたのを見つけた時めちゃくちゃ笑った)そんな人を辞めさすのはもったいない、可哀想だなあ東京オリンピックまで働くつもりでいたのにまさかその前にクビになるなんて本人も納得していないだろうと思ってゴミ箱をふと見ると、その人が10年間履いていて履きつぶして薄ーくなった黒い靴がそのまま捨てられていて映画のラストシーンみたいになっていた。先輩のアドバイスによると正月・クリスマスはどんな常連の客も見栄を張って店にはこないらしい。色んな女のブースを上から覗き込もうとしたり女のブースの中にエロ本を投げ込んだりしたり、ブース中にフケを撒き散らしてその真ん中にはじめの一歩 87巻だけを置いて帰ったりしているような奴らに見栄も糞もないと思うのだけど、やはりあるらしい。まあでも基本的にはくるのでクリスマスの次の日は来るし、正月も2日から普通にくるらしい。新年明けて早々にフケで雪山みたいになってる部屋の中からなぜかいつも真ん中に置かれているはじめの一歩の割と最近の巻を救出するという仕事をして1時間960円を貰いにいくのはもうまったくモチベーションがわかなくて想像しただけでゲンナリした気持ちになるのだけどもまあいかなくてはならない。
バイトしていてなによりしんどいはクレーム対応で、もうこれは本当にもうしんどくなるでできるだけ0で対応するようにしています。クレームの内容というのも熱いたらこスパゲッティを前にして「これは全然熱くない」というクレームがきて、それを作り直して持って行くとさらにそれを食べ終わった後に食器を持ってきながら「もう1度たらこスパゲッティを」と目を見て注文されるという生きてきてこんなに緊張しながらたらこスパゲッティを作ることがあるのかというほど緊張しながらたらこスパゲッティを作って、仕上げに1500Wのレンジで30秒ほど温めて熱々にして持っていくと「これでいいんだよ」と褒められてホッとするというのをやっていてもうどうしようもないです。正月はせめて緊張しながらたらこスパゲッティを作りたくない。終わり
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# by akuta-seiryou | 2015-12-16 17:17 | 思い出 | Comments(0)

メカ沢の服

東京に引っ越してきてなくなったのですが地元にいるときは本当にずっとヤンキーに怯える歴史でした。
一番古い記憶は保育園のころで、みんなで夏のとても暑い日にセミ取りに出かけたときのことなのですがセミはいるもののなかなか保育園児に捕まえられる高さには止まっていなくて皆がもう諦めムードになっていたとき、めちゃくちゃ低い位置に止まっていたセミを発見しそれを捕まえようということになり女の吉田先生という先生が「木田くんじゃあ捕まえて!」と僕に急に虫あみを渡してきて僕は急に虫あみを渡されたのとこのクソ暑い中かなり歩いてセミが捕まえられず、もう保育園に帰ろうかという皆の諦め雰囲気の中最後のチャンス、というプレッシャーに耐え切れず捕まえるというより異様にスローモーションに網を振り下ろしゆっくりセミにぶつけるという感じになってしまいもちろんセミは余裕で飛んで逃げてゆき皆が落胆している中、ガキ大将的なポジションだったよしひろというやつが「あ~あ。木田のせいで一匹も捕まえられへんかった」と言って僕を睨んできたという思い出があり当時の僕は本当に自分のミスを悔いこのセミのミスで皆が落ち込んでいるのは確実に僕のせいでもうこんな風な目には二度と会いたくない、と決心して半べそをかきながら園に帰ったところおやつの時間に出てきためちゃくちゃぬるい牛乳、それもクソ暑い中に元々冷えていた牛乳を常温で置いていたやつなので異様なぬるさになっていて、それを飲んだところ気分が悪くなってさきほどの吉田先生に「気持ち悪いから飲めない」と報告すると「さっきセミも逃がしたんだから飲みなさい」とまったく成立してない説得で飲まされ、そのまま保育園児の使う小さい便器にかけこんで小さいゲロを吐いてしまい、吉田先生に「飲めないならちゃんと教えて!」と言われ、めちゃくちゃ夏も牛乳も嫌いになった。(僕はこの日のことを嫌な出来事が多すぎたせいなのかかなり正確に覚えていて、中学生くらいのときに当時の親と先生の交換ノートみたいなやつを見つけてこの日の吉田先生のコメントを見つけて読むと「こうせくんは ぎゅうにゅうが嫌いだそうです!」みたいなことを書いていてぶっ飛ばしてやると思ったけどももう当時子供産んで辞めてました)
その他にも僕は保育園で皆でダンスで遊んでいる最中に本気の小便を漏らしたり、何度教えてもらっても言われた通りにコマの色が塗れずめちゃくちゃ居残りさせられたりとこれもさきほど出てきたガキ大将のよしひろにからかわれたりしていたのですがまあ小便もコマもそれほど気にはしてなかったのでダメージは受けずに済みました。
小学生の時は井ノ原という不潔な不良がいて、休み時間にそいつに捕まえられて「俺の似顔絵を書け」と言われ僕が井ノ原をめちゃくちゃイケメンに書いたものを提出するという宮廷画家のような暮らしを送っていたこと以外はとくに何もなく過ごしました。しかしやはり皆さんもそうだと思うのですが不良がもっとも栄えるのは中学時代だと思います。僕の通っていた中学は奈良の中でもまあまあ頭の悪い中学で、気合の入ったヤンキーというよりは夜中に職員室のガラスを叩き割って侵入して当時でもかなり古いボロボロのDVDプレーヤーだけを盗んで逃げて後日めちゃくちゃ怒られた先輩や、夜中に古墳を燃やして(新聞沙汰になりました)捕まった先輩がいるようなどうしようもない方向にとがっている人が多くてなるべくそういうのに見つからないように生活しないと、と思っていると小学校のときの同級生のナンバーワン不良の井ノ原が入学してすぐ他の小学校からきたヤンキーに「調子に乗っている」という理由でボコボコにされて速攻で不登校になり「入学即不登校」というソフトオンデマンドのAVみたいな漢字の並びの状態になってて怖すぎる、と思った。これは最近思いました。その井ノ原というやつをボコボコにしたらしいというのがほかの小学校からきた太田というヤンキーで、もう僕も含めおそらく学年の男子全員がそいつにとにかく怯えていた。もう常に体中から暴力の臭いをむんむんさせているようなやつで、というか実際常に周りにいる誰かを殴りながら休み時間などを過ごしていたので暴力の臭いというのか暴力そのものと常に一緒にいる、といった感じで目が合うと最後だった。とにかくちょっとでも調子に乗っていたら(調子に乗っていると太田君が判断したら)速攻でその調子に乗っている本人を捕まえてボコボコにする。それもただのボコボコじゃなくて廊下に倒して廊下と相手の頭に隙間をつくってその頭を思いっきり上から殴りつけて廊下に頭を叩きつけ失神を狙うという勝手に金網デスマッチくらいの感覚でのパンチを決め出す。僕は最近になって同じような技をバキで死刑囚が使っているのを読んだ。その調子に乗っている、というラインもそもそもかなりゆるいというかまずワックス、ワックスをつけていると問答無用で太田君にボコボコにされる。廊下と頭の間に隙間を作られてその隙間を利用してぶん殴られる。その次はネックレスやチェーン。チャラチャラとした貴金属をつけていると廊下と頭の隙間を利用して太田君に失神まで追い込まれる。そしてうちの学校は私服だったののですが、ヤンキーの着るブランドの服を来ている人はほぼ全員廊下の隙間を利用して失神させられてました。ここまではもう絶対で、そりゃそんなことして学校にきたらいかれるわ、というのが当時満場一致の雰囲気でした。今よく考えるとおかしい。ここからがよくわからなくて、太田君の中でも日によってはOK日によってはNGという完全に太田君のバイオリズム任せのラインがあり「色の主張の強い服」「派手なシャープペンシル」「炭酸系のジュースを飲んでいる」「昼時に弁当ではなく、コンビニの菓子パン」「通な本の読書」などなど書きだしたらキリがないのですが、こっちとしてもそれにキレるんだ!と強い驚きのあるものばかりで本当にうかうか過ごしていられない。これらくらいのことではまあさすがに廊下に叩きつけられて失神という最悪のコースではなく、思いっきり肩パンくらいで済むのですがそれでもやられた人にとっては納得いかない悲しい問題だったと思います。一度「ファンタオレンジを飲んでいた」という理由で太田君に「謝れ」と言われていた友達が、無視して震えながらファンタオレンジを飲み続けてそのままぶ太田君にぶん殴られていたという少年院で流れるファンタオレンジのCMみたいな光景を目にしたときは僕までしばらく家でもファンタが飲めなくなりました。しかしまあその僕はというと、そもそもがワックスやオシャレという文化から程遠く服はユニクロで売っていた魁!クロマティ高校とのタイアップの服の「メカ沢くん」が真ん中に大きくプリントされている服
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それとこれもユニクロなのですが巨人の星の星飛雄馬がネームの段階からどんどん完成していく工程がプリントされている服 
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の2枚を中学の3年間は交互に着ていたので一切太田君の中で引っかかる要素はなかったらしく服でぶん殴られることはなかった。
もちろんチェーンもしないしネックレスもしないし、昼食は白飯が多く入った弁当を食って授業の時は鉛筆を使っていたし学校ではジュースは飲まない(そもそもが先生からも注意される)のでまあまあ太田君には気に入られていた。それでもまあまるまると太ってはいたので、ちょっと挨拶がわりにいきなり肩を殴られたりお腹をビンタされたりとちょこちょこ食らってはいたけどまあデブということもありそれほど痛くはないし、ほかの僕よりもっとガタイのいいデブがなぜか毎回デブ全然関係ない部分のおでこに思いっきりパンチを食らっていたのを見てこれくらいのデブで良かったと初めて自分のデブさ加減に感謝したこともありました。さっき書いたヤンキーが着る服、というのなんですがこれはわかりやすくてサーフ系の服やマリファナは大きく印字されている服、この二種類です。実は僕もこっそり母親に「マリファナがいっぱい書いてある服が欲しい」と産まれて初めて自分から母親に着たい服を頼んで買ってもらい(ちゃんといたるところにマリファナの絵がプリントされていて胸のとこにジャマイカと書いてあった)初めての息子からの服のオーダーが「マリファナがいっぱい書いてある服」だということに複雑そうな母親の表情を尻目にウキウキしたのですが、そんなもの学校に着ていく勇気はもちろんなくマリファナのいっぱい書いてある服を部屋着にして過ごしていました。しばらく経ってから一度だけその服をきて家から出て100メートルほどの自販機にジュースを買いにいったのですが、ドキドキで全身から汗が噴き出して本当にマリファナをつかっている人みたいになってしまいました。この前実家に帰ったときに友達と外にいると前から大きな黒い車が近づいてきて僕らの前で停車、中から太田君が顔を出してきて「おお木田やんけ!お前なにしてんねん!」と声をかけられ死ぬほどビビったんですが、ビビったらつけこまれるのを知ってるので「おお太田やん!なにこの車!すご!自分で稼いで買ったん!?うわ~!すごいな!めっちゃでかいやん!真っ黒やし!すご!」と助手席の窓から頭をつっこんで中にそのまま乗り込むぐらいの勢いでいったら「お、お~」と言ってそのまま帰っていきました。横にいた友達に「めっちゃくちゃダサかった」と言われこいつは全然わかってないなと思いました。この記事で何を伝えたかったのかというと、保育園時代のセミの事件のせいでそういう場面になると僕は今でもセミが逃げた瞬間を思い出してビビってしまうというのと、後ろから太田君にいきなり叩かれたりしていたので後ろに人が立つのがめちゃくちゃ今も嫌で怖いということになっていてみなさんはひとにそういう思いを植え付けないように気をつけながら、もちろん僕もそうなのですが、生活しようということでした。終わり。
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# by akuta-seiryou | 2015-11-28 11:22 | 思い出 | Comments(0)