自分の人生を振り返るブログ、高校時代に入ってまいりました。前回の記事では高校野球への思いをしたため続けましたが、それとは別に僕はもちろん学校生活も営んでおりました。僕のいた高校では各行事ごとに割と「漫才」や「コント」など出し物を披露してもよいという時間がありました。例えば僕は文化祭などでは千原兄弟さんに影響を受けた、というかほぼほぼ完全にパクって披露してしまっていた「死刑囚を死刑にしようとするけど何度も失敗をする」というコントを披露したりしていましたし、そういう事自体はさほど珍しい事ではありませんでした。そのコントのオチは、何度も死刑を失敗するけども最後のピストルに本当に弾が入っており「・・これには入ってたか」と意味深なだけのセリフを言って終わる。というラーメンズさんの雰囲気のみをすくってパクり披露するというオチでした。太った高校球児がそのようなブラックテイストなコントを披露しても、ムカつかれるだけだというところまでは当時考えが及びませんでした。修学旅行では漫才を披露しました。内容は「初デートに彼女がハチの巣を持ってくる」という漫才で、これは事前に仕込んでおいた男前の同級生が率先して立てる笑い声につられ、その取り巻きの女子がそいつに気に入られようと笑い、学年の中心メンバーが笑っている事でその場全体にこれは面白いのだろうという雰囲気を生み出し最終的に爆笑にもっていくという作戦勝ちに終わりました。それでも人前で何かをするという事は当時の自分には新鮮で楽しい出来事でした。
その中で、僕をしきりに褒めてくれる友人が出てきました。その彼はというと僕の学年の中では男前グループの中心人物のような存在で、頭の回転が速く学校の中ではいわゆる他人をいじって笑いを作るようなポジションにいました。
僕は様々な原因により女子達からほぼ憎むように嫌われていたのでそういう男子の中心メンバーからの「おもしろい」という評価は高校生活を続ける上で非常にありがたかったのです。その彼は僕と二人きりの時に「渡ってほんまツッコミのワードがいいよな」や「間がさ、ぽつっと言ってくるのがいいねん」などの「ワード」や「間」という専門的な用語を使って褒めてくれました。当時も今も人一倍褒められるのが好きな僕は「ワード」や「間」という何か深い褒められ方に承認欲のようなものが満たされ、彼に褒められる時間は至福の時間でした。
そうして3年になり、そろそろ進路などを本格的に考え始める時期、その彼と廊下を2人で歩いている時に急に彼が「渡、NSCいこや」と僕に言ってきました。僕はお笑いは好きでしたが、芸人になるという想像など一切していなかったので「NSCなんていかへんよ!」と笑いながらハキハキと言うと、彼は「え・・?」と予想していない返事が返ってきたという顔をしてこちらを向いたまま黙りました。僕はその表情の理解ができず、咄嗟に返事が返せずにいると彼が続けて「俺、消防士なるのやめて、お前とNSC行きたいって親に言ったんやけど。」と言ってきました。
僕はどういう事か全くわからず返事ができないでいると彼はまた「いや、言ってたやんけ」というような事を言って不機嫌になりました。そこからいくつか話して、ぼんやりと掴んだ事は彼が「俺達はなんとなくお互いNSCに行ってコンビを
組みたいとよなという雰囲気を共有するような状態になっていたはずだ。はっきり約束はしてないけどそういう感じは確かにあった。お前も俺に褒められて喜んでいたじゃないか」という事でした。確かに褒められにおだてられた僕は機嫌よくうんうんと大事な雰囲気にも気づかず褒めを享受していたのかもしれません、とにかく僕はそういうつもりはなかった、仲良くなってからも今までも芸人になりたい気持ちはまったくないという話をして、なんとか誤解を解こうと話続けました。結果的に、まあそういうことならもうしょうがないけど、、というような後味の悪い終わり方でしか終わることができず、その彼とは同じグループで喋るけども、なんとなく距離があり、それが当人同士しかわからない微妙な距離のために周りもそれに気づかず、グループの中のほかの奴らはその話し合い以前の距離感の関係のまま僕とそいつを扱う。というものすごく微妙な雰囲気になったまま日が過ぎていってしまいました。ここでも自分の嫌な部分で、そうまでも思ってもらえる自分の面白さというのはやはりまあ平均とかよりは全然上なんだろうなあという想像自己褒め反芻行為や、その彼を昔に全然別件で激怒させてしまった時に「お前なんか舌がなかったら絶対に仲良くしてへんからな」という非常に独特な悪口を言われた事を思い出してもいました。「舌がなかったら仲良くなってない」という言い回しは非常に頭に残るというか、印象的で、いやそれっておもしろいから友達でいてくれてるっていうことやん嬉しいなという褒めにも繋がり、やはり彼は面白い奴だなあすごいなあという思いと共に、そんな彼とでも僕はやはり芸人をやる気はまったく起こらないなと改めて思ったりなどもしていました。
そんな高校3年生中、夏にハイスクール漫才というのが行われるという情報を掴みました。この大会の存在自体は知っていましたが、1年2年と野球部に入っていた僕にとって夏は本当に一日も空いている日がなかったので、まったく出るなんていうのは夢のまた夢でした。しかし、引退した今年の夏なら出れる。これは楽しみだ。ぜひ出てみたいということで、僕はいそいそと出場の準備をし始めました。そうなるとまずは相方です。真っ先に浮かんだのは、僕をNSCに誘ってきた彼でした。しかし、彼を漫才に誘うということは色々な意味を含みます。僕としてはあくまで文化祭や修学旅行の延長としてのハイスクール漫才であり、思い出作りのみだったので、本気の彼を誘うのは悪いし怖いと判断しました。僕は同じ野球部のお笑い好きの同級生を捕まえ、コンビ名を「野球」という僕を誘ってきた彼が聞いたら殴ってきそうなネーミングでエントリーしました。
ハイスクール漫才にエントリーしたということは、漫才を考えないといけません。当然ですが、いざ考えてみると非常に難しいのです。僕はそれから毎日頭の中で漫才を考えていました。出るからには面白いと思われたい、優勝とかしてみたい、審査員の人とかが笑ってたら嬉しいだろうな、面白いと思われたいな、優勝したいな、という気持ちがどんどんと大きくなっていき、周りがあまり見えなくなっていきました。
学校でも漫才を考えて、家でも考えました。それでもこれだ!というネタは思いつきません。ある日僕は学校終わりに友人たちにマクドナルドに行こうと誘われました。漫才を考えたかったのですが、まあ気晴らしも良いかという気持ちになり「わかった」と言って僕はそれに参加しました。近鉄奈良駅前にあるマクドナルドに入り、2階のソファー席を陣取りました。僕の前には、僕をNSCに誘った友人が座っていました。彼は本格的に消防士になる道に進むのを心に決めたようで、日に日に体が大きくなっていっていました。みんなで他愛のない話をして、よくある流れですがそれぞれが携帯をいじって彼女と連絡をとったりグリーやモバゲーをしたりなどという時間になりました。僕は彼女もいませんでしたし、グリーもモバゲーもやっていなかったので、ノートを取り出し、漫才を考えようと思いました。ノートの中には書きかけの台本があり、しばらく考えてもやはりなかなか進みません。というかそもそもこれが面白いのか面白くないのかもわからなくなってきました。なんなんだこれは。誰が笑うんだと思いながらふと顔を上げると、前に、その彼が座っていました。
僕は咄嗟に何も考えず「この漫才やねんけどさ、おもろいかな?」と喋りかけました。その瞬間に、彼の顔が変わりました。彼の緩んだ顔が一瞬にして険しくなる瞬間、僕も自分の血の気が一瞬で引いていくのがわかりました。僕は彼からのNSCに行こうという誘いを断っているのです、それを漫才を書いたから見てほしいなどと言う行為、しかし、でも、僕としてはそれを完全に忘れていた訳ではありませんでした。まあ向こうとしても終わった話ぐらいの感覚なのかなあと勝手に判断していたのですが、瞬時に険しくなった表情を見て、あ、全然まだ心の中にわだかまりとして残ってるんだ、これは大変なことになる、他人の気持ちを想像せずに喋ってしまって、怒った表情を見て瞬時に言ってはいけないことを言ってしまったというのがわかったところでしょうがない、これはどうしたらいいんだというような事を考えていると、彼が想像の5倍くらい怒っている声で「は?お前なんで漫才書いてんねん」と睨みつけながら言ってきました。もともと相当怒っていると覚悟していた上での5倍ですから、これはもう本当に怖くてパニックになりながら「いや、ハイスクール漫才出るんやけど・・」と最悪の出だしで喋ってしまった瞬間に、僕はそいつに顔を殴られました。僕がソファーに倒れながら(やってしまった・・)と思っているとそいつは「漫才やんの断った相手に漫才の事聞いてくんなボケ」と目をみてはっきりと言ってきました。僕は「ごめん」と言うことしかできませんでした。
そのあと、思い出受験だから真剣なあなたを誘うことはできなかったんですという旨を丁寧に話したら、一緒に漫才のネタを見てくれました。「これはおもろいやん。これはわかりずらい。これは意味わからん」と一番意見を出してくれました。
ハイスクール漫才の本番、結局ネタは冒頭でいきなり「校庭の真ん中でベビーカーが燃えている」と大声で叫んだり「江戸川に死体が流れる」と言ってしまうから口を塞いでくれ、と言って相方に頼んで塞いでもらう、という笑いの量よりも思い出重視で戦った結果まったく負けてしましましたが、たまたまその日ゲスト審査員で来ていた、まちゃまちゃさんと僕のスニーカーが同じだったり、アームストロング時代の安村さんが「体育教師くらい声出ててたね」とフォローしてくださったりなどのおかげで舞台上でまったくの笑いを経験せずに終わることはなかったです。なぜか漫才中のことより、そういう出来事やその後イオンの中にあるうどんの店に入ってうどんを食べたことの方が覚えています。ほっとしたからでしょうか。とにかくそれで最初で最後の僕のハイスクール漫才が終わりました。
高校野球が終わり、友人との衝突が終わり、漫才を経験しました。高校3年生の僕は様々な進路を選ぶことになります。それはこの次の記事でお話しましょう。それでは、おやすみなさい。