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実家

実家に帰りました。

僕は小学生くらいの頃から実家である奈良からできるだけはやく出たいと漠然と感じており、その漠然な思いは中学に入りより実態のある強い思いに変わり、高校になって爆発した。

高校一年生の冬、母親に「高校を辞めて全国のお寺を歩いて回りながらエッセイを書いて暮らしていきたい」と自分のライフプランを告白した。誰に影響を受けていたのかはまったく覚えていないが、おそらくは中学の頃から学校が嫌で嫌でしょうがなく3年間耐えてやっと終わったと感じていた学生生活がまた3年間始まるというショックに入学してから気づき、自分の当時好きだった「学校を休んで東大寺を見に行く」と「さくらももこのエッセイ」を合体させた理想の職業を提案したのだと思う。それを伝えると、母親は「そうなら、入る前に言いや」と言ってきた。その後に「入学金も既に払っている」「野球部に入った際にかかったユニフォームなどの諸経費」などの懐事情の話を続けられ、「もったいなすぎる。他は何してもええけど、頼むから高校だけは出て」と言われた。「そんな職業でどうにかなるわけない」などとか言われるより「入る前に言え」と言われるほうが呆れられてる感じがして(ああ、この意見は通らないんだな)と理解できた。

当時の僕の頭には、もし食えなくても朝どこかの寺の門の前で倒れてたりしたら向こうとしてもないがしろにするわけにもいかず、雑用係として雇ってくれたり少しの間ぐらいは何とかしてくれるだろうという考えがあったので「食えない」系の反論は効いていなかったと思う。そう考えるとかなりありがたい返事だったと感じる。今でも本当にもうどうしようもなくなったらキリスト教会の前とかに倒れていてそこから住み込みで働くというプランを最後の最後の最後の手段で頭の片隅においてある。もし見かけたら助けて下さい。

結局高校は辞めずに、3年間野球部を続けて最後の引退試合の日に試合後のミューティングで大泣きして〆るという王道の高校生活を過ごし、寺を徒歩で回って誰がどう読むかもわからないエッセイを書く未来とは真逆の現実を過ごした。良かったと思う。

その後僕はストーリーを作る人になりたいと思い映画の専門学校に行くのですが1年ほど通ってある日「ここは主にカメラの技術を学ぶ専門学校だよ」と講師の人に言われて、どうりであまりストーリーをどんどん書いて映画をとろう!というような授業がないんだと納得して1年で辞めた。

その学校に行くために借りた奨学金の返済が今の僕のゆうちょの残高から毎月1万円を吸っていく。その学校の自主映像を撮る授業で僕は後輩君(https://www.youtube.com/watch?v=G0XFWbt0r_4)に手伝ってもらって、後輩君をパンツ1枚にして全身に様々な色の絵の具を僕の手で塗りカメラを回してその様子を撮ったもの、その次に後輩君をパンツ1枚にして真っ暗の中顔や体にだけライトを当ててトマトを潰して僕の手で体にいっぱいそのトマトをつけたり、女物のかつらをかぶせてトマトで口紅みたいにしたりしてる様子を撮ったものを2度提出した。あんな経験は今いくらお金を積んでも2度とできないのでそう思うとお金では買えないものというのは本当にあるんだなと思う。

そうして1年で大阪の学校を辞めた僕は、やっと奈良から出て一人暮らしを始めることになりました。大阪に住んでいる時は奈良まで1時間もあれば帰れるので、実質家の近くに一人で住んでいるというような状況で実際に週1くらいで帰っていた気がする。そんな状況なので、もちろん寂しいも何も思わなかった。その1年後くらいに、東京に住むことになる。僕は今東京で暮らしている。東京というと奈良まで帰ろうと思ったら夜行バスで8時間くらいかかる。

新幹線を利用すれば全部含めて片道3~4時間程度でいけるとは思うのですが、そうなると片道15000円以上、往復で3万円かかる。これはアルバイトでお金を稼いでいる状態の今ではかなりの支出であるので、そうやすやすは帰れない。なので夜行バスという選択になるのですが、そうなると時間もかかるのでどうせ帰るなら1日や2日いるだけじゃもったいない、何日かゆっくりしたい、1週間くらい空いていないといけないとなるとさすがにアルバイト君の自分でもそうそう丸々1週間何もないということはなかったりする、という連鎖で全然実家に帰れなくなる。そもそも僕は家は好きだった。地元から出たかっただけで、家にいる時間は好きだったのだ。学校を休んで家で母の作った弁当を食べている昼間や、金曜の夜自分の部屋にいて明日学校がないという喜びを噛みしめている時間、砦という感じがした。家が好きというと家族にべったりという感じがわくかもしれないが、そういうことでもない。母親も父親も自分にとってはいい具合に放っておいてくれていて、良かった。しかし、僕には8歳年の離れた弟がいる。弟に対してだけはどうにも駄目で僕は無性に弟に会いたくなる。

そもそも、0歳の時から僕はずっと弟を見ているわけで0~13歳くらいの間は修学旅行やその他何かを抜けば毎日会っている。僕が大阪で住み始めてから、どんどん会う頻度が空いてしまっていて、いまでは3か月に7日程度だ。本当に、毎日毎日見たい。
以前漫画喫茶でアルバイトをしていた時、常連の嫌な女の客の顔をみる回数が1年で弟と会う回数をどんどん追い越していくのが本当に憂鬱だった。会いたくもないやつの顔を見る回数がなんで弟の顔を見る回数を追い越すのか。となると、実家に帰りたいのかというとそういう訳ではまったくない。奈良にずっといて、中学の時に怯えていた不良に大人になってまで怯えながら生活をするのは絶対に嫌だ。母親の年齢を47歳くらいだと思っていたのだが、55歳だった。親も年を取り、弟も年を重ねる。18歳が19歳になり、20歳になる。その3年間は絶対に見たい。悩んでいる事もあるだろう。直接には話さなくても、ぽろっときっかけのような一言を少し言ってくれたりそれだけでもいい。弟の悩みを知りたい。僕にどうこうできる自信があるわけではないが、知りたい。
だからなにがどうできるという訳ではまったくないし、何の解決にもならない。こういうのはいいお兄ちゃんなのか、悪いお兄ちゃんなのか、どうなんだろうか。悪いお兄ちゃんて響きがとても気持ち悪い。いつか「悪いお兄ちゃん」という映画を撮ってみたい。

自分に兄がいたとして、僕みたいな性格だったらと考えたら嫌だった。距離が近くて気持ち悪いと感じると思う。僕は弟にキスもしていた(いる)し、何歳になっても外で手をつなぐ。この前も頼み込んで外で手をつないで歩いていて、ふと鏡に映った自分の姿はとても醜悪だった。実家に帰って弟に会うたびに「お兄ちゃんとの覚えてる1番古い思い出を教えて」と言っている。思い出を兄弟間で共有することで、ホッとする。聞くたびに弟は少し嫌そうな顔をするが話してくれる。

by akuta-seiryou | 2019-03-26 07:37 | 日記 | Comments(2)
Commented by さと at 2019-03-26 19:17 x
嫌いな人と会う回数や時間が、大切な人より多くなったり長くなるの、本当に最悪だしなんでなんだって疑問に思ってたのでめちゃくちゃ共感しました。生活リズムとか働き方とかで日本人特有のところもあるんですかね、、、また読みに来ます。
Commented by イトウ at 2019-04-06 17:59 x
偶然会えて嬉しかった!Twitterパスワード分からなくなってログインできないから、植田くんとかにライン教えてもらいます。
芸人頑張って!!


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