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高校野球をやっていた

高校時代に思いを馳せます。当たり前ですが、中学より高校の方がより今の自分に近くて様々な感情の記憶がまだひっそりと息をしているように思います。高1の頃に、授業中に誰かに冗談を言う流れを作られ、冗談を言った事がありました。その時の授業の先生が僕を苦い顔で見ていて、そのまま終わった後にその先生に全然違う校舎の知らない教室の前に呼び出されました。その先生は独特の、間を伸ばしながら冷たく喋るような口調で「渡は笑われているだけだ。そんなことをしたら自分のためにならないだろ」というようなことを言ってきました。僕は、その時は自分が少し無理をしてふざけてた事を鋭く指摘されて恥ずかしくなり「すいません」と言ったのですが、今思うとまったくむかつく事を言われてるなと思いました。自分がそうふるまうことで、その時の自分がそれで生きやすくなるなら問題はないだろう、と思うのです。その言葉が割と残っているということは僕の心には響いていたという証拠なのですが、いくら先生であろうと自分が笑われるという選択をした事を自分以外から非難される覚えはありません。保育園時代に初めての和式トイレで使い方がわからず、思いっきりパンツの中にうんこをしてしまった事がありました。うんこがハンモックのようにパンツの真ん中でぶらさがっているのを確認してわけもわからず号泣している僕に気づいた吉田先生が走ってきて、処理してくれました。それを見ていた友達が「渡がうんこもらした」と皆に報告しに行き、教室中がパニックになっている声が聞こえてきて僕はどうしたらいいのか固まっていたのですが、パンツをとりかえた吉田先生が「みんなと一緒に踊ってき」と背中を押してくれました。僕は意を決し、皆のところに戻ると案の定「うんこうんこ」とはやしたてられたのですが「うんこもらしてもうた」と叫んで走り回りオリジナルのダンスをしたところ、皆がキャッキャと笑ってくれて一緒に踊れたということがありました。うんこを表にすることによって、笑われない出来事を笑われる出来事に変えられた最初の経験でした。笑われるように生きるというのはそんなに非難されるようなことではありません。先生僕は今そう思いました。

感謝している先生もいます。野球部の監督の山本先生、高2の時の担任の湊先生です。高2の時の湊先生は僕の文章力をとにかく褒めてくれました。「渡君は毎日少しでもいいから日記を書いて」と言って僕に文を書くことを進めてくれたりして、たいそう自信を持たせてくれました。自分が書いたものや、発表したものを褒められるという恥ずかしさと嬉しさはこの先生から教えていただいたと思っています。お元気でしょうか。今はこうしてなんでもないですがブログを書いたりしています。毎日日記は書いていません。守れていなくてすいません。ブログの頻度をあげてみています。

野球部の監督の山本先生は神様でした。怯え、感謝し、頼っていました。野球部全体で監督の話を聞いている時、後輩が校門の外を歩いている女子生徒にちらっと目線が移った瞬間がありました。その時「おい!」と言い「どうしても、あの娘が気になるねやったら声かけてこい。ほんまに声かけたくてしょうがないほど気になってるんやったらそれはその瞬間しかないから」と本気で気にかけて提案するように言うのです。しかし後輩が「いえ、見てしまっただけです。すいません」と言うと、次の瞬間に「ほんならそんな意識で話を聞くな!!!」とめちゃめちゃでかい声で怒りました。校門の外にいた女子生徒がギョッとした顔をして走っていきました。「人生にはこの瞬間やという時がある、それを作れ。逃すな」というのが山本先生が全体を通して教えてくれたことだと思う。本当に野球部が恋しい。僕は高校生から野球を始めたので結局3年間でフライを1回も捕れないまま終わり、10人しかいなかったチームのベンチだったし、公式戦には一度も出たことがなかった。いわゆる弱小高なのに、くじ運が無く地方予選で天理高校や智弁高校などと当たる事が多く、ボコボコに負けてしまうのですが、それでもいわゆる思い出代打などで出してもらえることもなかった。当然で、フライも捕れないような僕が出るということは、完全に試合を諦めているということである。もしも奇跡が起こって逆転して、最後僕のところにフライがきてエラーで負けるということもあるかもしれない。そんなことをしてはいけない。「僕はそれはしない」とはっきり僕と僕の親にも言われた記憶があるが、それがありがたかった。実力的に試合に出れるレベルでもないのに出されるほうが、想像するだけで辛い。それでも練習の際は手加減なく本気でやってくれた。僕は当時(今もあるのだろうが)さぼり癖、逃げ癖などがあった。土日で練習試合があって行きたくない、という時は毎回咳をしまくって声を枯らして監督に仮病の連絡を電話でしていたのを覚えている。家で電話するのが気まずく、携帯を持ちマンションのエントランスに出て、悩みながら、勢いをつけ告白する時のような速度で発信を押して仮病の連絡をしていた。監督は毎回「わかった。ゆっくりしてろよ」と言っていた。自分の頭が悪いと本当に思うのだが、普通そんなに土日に風邪をひきまくることもないし、そんな連絡をするほうが今となっては怖いのだけど、当時は不思議とそれでいけていると思っていた。高校3年の夏が終わって最後監督からの言葉をもらうときに「光世は体も気持ちもなかなかしんどい中、よく3年間続けた。辞めずに続けてくれた事、俺はそれが嬉しい」ということを言ってくれた。僕のペースに合わせて見てくれていたんだ、と思うと優しさとありがたさと情けなさがこみあげてきた。高校野球をやっていた思い出は全部がいい記憶に変換されている。一日一日を全て思い出してDVDにして見るのが理想の老後の過ごし方の一つかもしれない。僕の本名でネット検索をすると、当時僕の野球部のマネージャーが書いていたブログが出てくる。文字を残すということは記憶を共有するということで、そこには確かに僕が野球部だった時代が証拠のように存在している。過去と記憶はごちゃごちゃになり改ざんされていくものだと思う。思い出す、という事自体が「こうあってほしい、ほしかった」を反映してしまうと僕は思うので、しょうがなく、それもそういうものだと僕は思うですが、限りなくリアルな息遣いの写真として、高校の近所の山に野球部のメンバーで登っている写真が残っているのを見ると、僕はこの時も確かに毎日何かを考えて生きていたんだいう単純な事実にハッとする。毎日日記をつけるというのは自分の存在を残すことだ、ということだったのでしょうか。雨の日の練習の時、同級生の足を掴んで手押し車で廊下を渡っていた時の匂いと帽子の不安定さ。土曜日の昼休憩の時部室裏の壊れたコカコーラのベンチに座った。合宿でイノシシ鍋を食べた。夜に補修の課題を監督の部屋でやった。練習に疲れて家に帰り畳で気絶するように寝て、本気の小便をたれてしまい、布団も畳もダメにした。最後の公式戦の時、自分のチームが負けているのをベンチで見ていて、これでしんどかった3年間が終わる、もう負けてもいい、明日からしんどい練習がない、と思った時になんでこんなことを思ってしまうんだろう、レギュラーの同級生と自分ではやはりかけてる思いは違うのか、と情けなくなった。試合が終わって皆泣いてなかった、監督も泣いてなかった。最後の集合が監督の車の前であり、終わって、解散、次は何日か後にまた学校のグラウンドに集合となり、泣くのはその時だろうなと思っていたら監督の車の前に荷物を忘れた事に気づいて、みんなに「すぐ戻ってくる」と言って車まで戻ったら、監督がいて、その瞬間に涙が出た。レギュラーの同級生達が泣いていないのに、3年間補欠で練習試合や練習などを休んでいたりした僕が泣くのはおかしいと思って泣けなかったんだ、と思った。監督が「光世泣くなよ」と言って泣いてくれた。監督が泣いてくれるのが嬉しくて更に泣いていると、レギュラーの同級生達が戻ってきて、それを見て「なんで渡が泣いてんねん」と言ってキャプテンの同級生が泣いていた。この時の涙は感動でも後悔でも寂しさでもない、3年間同じことをやり続けた関係性の涙だったと思う。甲子園を見ていても、優勝した高校も試合が終わった後泣いている事が多い。感動や達成感もあるだろうが、抱き付き合って泣き崩れる姿は、ただそれだけではないのが他人からも想像できる。こう書くと、無駄に綺麗な文になってしまい僕が伝えたい意味に読めないかもしれないが、事実として僕は地方予選の1回戦で負けた3年生の涙と、甲子園優勝をした3年生の涙は同じ種類の涙だと思う。メンバーに会えなくなるわけではない。同じ学校なので、むしろ9月からすぐに会う。ただそれはもう、関係は変わっている。仲の良い奴とは引き続き仲が良いままだし、そこまで気が合わないやつはそれとなく、な距離感になっていく、それでもあの時間を一緒に過ごしたメンバーとしての空気や呼吸は崩れない、と僕は感じるが、その空気はどんどんと薄まってゆく。

最後は感じれないようなところまでいき、記憶や思い出になってそれぞれの頭の中に残るのだと思う。少なくとも自分は、つきつめるとそれが悲しくて泣いていたように思う。なぜそれが無くなると悲しいのかはわからないが、とにかくそれが悲しかったのだ。もしこれを中学生高校生の人が読むことがあったとしたら、部活動も選択肢として悪くないかもしれないと思ってほしい。もちろん自分に合う合わないはあります。嫌なことも多いと思います。自分の身に危険がある、と判断したら逃げるのは間違いではないし、大事な手段ですが、めんどくさい、もう少し頑張ってみてもいい、と思うならやってみてもいいのかなと思います。また読んでください

by akuta-seiryou | 2020-05-16 15:46 | 生きた記憶 | Comments(0)


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