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好きな映画や漫画の話

夏なので、ブログテーマをインスタグラムの質問機能を利用して募集したところ「好きな映画や漫画の話が聞きたいです」と来たので、そちらに、私が、答えます!

好きな映画や好きな漫画を聞かれたときにみんな口を揃えて難しいなあというような事を言いますよね。「ゼブラーマンです」と言ったら少し面白くなるかもしれませんが、まだ見ていないので言えません。「好きな」というだけだったらたくさんあるんですが、そういうのって大体好きな人が薦めてた物で、まず良い印象があってから観たり読んだりするので自分発信の好きではない気がして答えるのに少し躊躇してしまいます。なのでこういう時は記憶している限り一番最初に「好きだ!」と自分で思ったものをいうのがよいのかなという気がします。

僕が一番最初に好きだ!と思った映画は「悪魔のいけにえ」です。
わりと有名な映画だと思うので見てる方も多いと思うのですが、僕が初めて観たのは中学生の時でした。若者たちをどこまでも追いかけまわして怯えさせるレザーフェイスに感動を覚えました。学内で「渡が気持ち悪い」と女子に辱めを受けたり、いきなり遠くから名前を叫ばれてヤンキーに追いかけまわされたりしていた鬱憤を映画中でレザーフェイスが暴れまわる姿にかさねてストレスを発散していた気がします。女子に辱めを受けていたのは、僕が学校の中という近い場所で男子と女子が付き合ったり女子が男子と付き合ったりする雰囲気が苦手で、そういう雰囲気が蔓延して耐えられなくなったら唾を口の中で溜めてそれを咥内でニチャニチャする音を近くで出したりしていたなどの行動をうっすらと覚えているので、そういうことの積み重ねで嫌われたのでしょうから納得です。ヤンキーに関しては納得できません。

僕は思えば異形の存在が出てくる映画が好きでした。
「フリークス」とか奈良のTSUTAYAにはないのでTSUTAYAのネットレンタルみたいな機能を駆使して借りた覚えがあります。
「フリークス」というのは見世物小屋にいる人たちの反撃、みたいな映画なのですがそれもすごく爽快でした。
フリークスを観るより前に自分より冴えない同級生3人を屋上近くの非常階段に集めて、その3人にオリジナルの人生ゲームを作ってきてもらいそれで遊んでる姿を見て嬉しくなっていた僕からすると、見世物小屋の世界観というのはとても気持ち的にシンクロするものがありました。その人生ゲームはいい出来事のマスが極端に少ない人生ゲームばかりで面白かったのを覚えています。その場所はヤンキーもあまりこない穴場スポットだったのですが、一度だけ見つかったことがあり、僕が変な奴を集めてオリジナルのチームを作っていることがバレて「そんなことをするな」と肩をしばかれました。悪いことをしていると罰があたるものです。

そういうはみ出し者が暴れまわる、とか主役に置かれてる映画が好きでした。はみ出しもの達は一定の場所にいられないので、各地を転々としたりしますが、僕も小学生のころからこんなところにずっといたくない一刻も早く外に出たいと感じていたのでそういう転々としているのもツボだったんだと思います。

一番最初に好きになった漫画は「世紀末リーダー伝たけし」です。たけし達がお化け屋敷に行く回があるんですが、それで死ぬほど笑ってたのを覚えています。割と最初の方だったと思うので読んで探してみてください。中学生になってからは「シガテラ」「ヒミズ」「僕といっしょ」など古谷実さんの漫画にハマりました。ギャグとシリアスみたいな大人のバランスにかっこいいなあと思っていた記憶があります。

他にハマったのはGANTZの作者の人が描いていた「変~HEN」という漫画です。これはヤンキーが同級生の美少年に惚れる、というところから始まる漫画なのですが、僕が実際に行っていた「好きな男の子の大きな写真を部屋に貼る」「好きだ、かわいいと言い続ける」という言動がまったく一緒、しかも美少年側の「最悪だ」「いい加減にしてほしい」という感じのリアクションなどを含めて僕の現実と同じだったのでこれは僕のための漫画だ!と思っていました。HENを広めてやろう、という思いがあったので大判本のHENを電車の中とかでも読んでました。ラストがしかも夢のある終わり方なので当時はかなり救われていましたね。漫画と僕が違うのは、主人公がかっこいいかかっこよくないかということだけでした。かっこいいと漫画になり、かっこよくないと現実になってしまいます。

あまり自分の好きな映画や漫画についてしっかりと文章にしようと思ったことがないので新鮮な経験でした。


# by akuta-seiryou | 2019-08-17 05:39 | 質問コーナー | Comments(0)

最近の弟

この前マセキの後輩芸人「銀兵衛」の小松という芸人を抱きしめて頭を撫でてる夢を見て目が覚めました。

小松は最近マセキに入ってきた後輩で、僕のお兄ちゃん欲を程よく刺激してくれる最高の存在なのです。小松は「顔が幼くて可愛くなるのが嫌でわざと自分で前髪を変に切っている」という可愛いポイントを持っており、その話を聞いたときに僕が「それがもう可愛いやんか」とホクホクした声で唾を飛ばして喋ったら苦笑いをしていました。その態度もよかった。

先日もモグライダーの芝さんというマセキの先輩から「木田今日何してるの」と電話がきて18時から集まり、22時くらいまで喫茶店で過ごしたのち、外に出てこれからどうしようかとなった時に「小松呼んでいいですか?」と聞いた。小松が23時頃に合流してくれて、そこから5時まで高円寺をゆっくり2周して中野まで歩いて駅前の広い空間に腰を下ろして喋っている間、ずっと小松のお兄ちゃんになりたいなあという思いにかられていた。

実際に僕は「お兄ちゃんじゃんけん」や「お兄ちゃん大喜利」というゲームも開発して、ご飯の席やライブの空き時間にやっている。「お兄ちゃんじゃんけん」というのは、小松以外のメンバーでじゃんけんをして勝った人が小松に「お兄ちゃん」と言ってもらえるゲームで「お兄ちゃん大喜利」は小松が出したお題に小松以外のメンバーが回答して小松が1位の回答を選び1位に選ばれた人が小松に「お兄ちゃん」と言ってもらえるゲームである。

争いに勝ってもぎ取った小松の「お兄ちゃん」もいいのだが、やはり本当のお兄ちゃんではないので本当の「お兄ちゃん」はもらえないんだなあと思うと悲しくなる。

僕は今奈良にいる弟に毎日でも会いたい気持ちを抑えながら東京で生活しているので、東京での弟を見つけたいのです。日々弟を探しながら生きているといっても過言ではないです。

先日、そんな自分に大きなチャンスが回ってきました。マセキ芸人コレクションというマセキ芸能社が3ヶ月に1回行っている大きなライブなのです。このライブには他社からもたくさんゲストが来て、MCがナイツさんでさらに大トリでネタも披露するということで毎回満員御礼なのですが、このライブに出演できることになりました。

そして当日、会場に行くとなんと手伝いに小松がいたのです。この大きな舞台でひるまずにウケる。そうすると小松も僕に一目を置く事になるでしょう。お兄ちゃんというのは弟から尊敬されるべきなのでそうすると本物のお兄ちゃんに一歩近づくということになります。

ここは絶対にウケるぞと思って挑んだオープニング、場の流れでナイツの塙さんに腕を掴んでもらい前に出して頂きギャグのようなことをするという状況になったのですが、普段は見ないような大量のお客様、ナイツさんや他事務所の方がいる緊張など様々な要因が相まり、ニヤと笑って真っ白になり舞台の真ん中に立っているだけの存在になっているのを察してくれたのかAマッソというコンビの加納さんがギャグを耳打ちしてくれたのですが、僕はそのギャグをそのまま小さな声で再現するという最悪な事態にしてしまいました。後に自主ラジオで相方の船引さんから「木田はできるんやから怯まんとやったらええねん」と気持ちのダメ出しを受けるほどの出来。あんなものを小松に見られてしまってはお兄ちゃんも糞もありません。もはや弟です。僕は小松の弟になってしまう。

最近外を歩いていて小さな兄弟が手をつないでいるのを見たりすると過去の自分と弟を見ているような気持ちになり無性に悲しくなり、急ぎ足で抜かしてすれ違いざまに顔を確認して自分とも弟とも似ていないというのを見るとホッとしたりします。

またブログ書きます

追記

このブログを書き上げた後、真夏の笑フェスというマセキの1000人規模のお笑い野外フェスがあり、それが終わった後にひつじねいり細田さんと小松と銭湯に行きました。銭湯に行く前にビールを買って飲んだら小松が「うまい..」と呟いていて弟でした。風呂に入ってる時も「最高ですね..」と呟いていて弟だった。


# by akuta-seiryou | 2019-07-29 09:53 | 思い出 | Comments(0)

記憶と弟

小さい頃、ドラえもんやクレヨンしんちゃんの映画版と通常回のズレてる感じが不気味だった。



映画ではありえないくらい大変な目にあっているのに、アニメではそんなことを感じさせず普通の暮らしをしているのが怖かったのだ。オトナ帝国であんなにえらいめにあってたじゃないか。のび太もスネ夫もあんなに大変な思いをしてたのに。全部終わったら何でそんな感じなの。映画の時があったのにその話はここではしない、という感じでも不気味だしなかった事になっているならそれはそれで不気味だ。




小さい頃、お母さんがたくさん、どんどん部屋に入ってくる夢をよく見ていた。どのお母さんも本物のお母さんで、最初にいたお母さんがどれかわからなくなってしまい怖くなったところで夜中目が覚めていた。目を覚まして、横で寝ている母親の頬を触ってみると冷たくて、それも怖く感じた。




こういう昔のワンシーンだけ覚えている瞬間ってなんで覚えているんでしょうか。さっきのお母さんの夢の話は、自分の中の怖かった記憶として残っているのでまだわかるんですが、例えば中学生の時に天理市にある老人ホームに職場体験に行った際に天理駅で降りて班で歩いているとき見た友達の横顔、中学の時グラウンドに出たら怖い先輩が「今日森いる?」と僕の剣道部の先輩の森さんがいるかどうか聞いてきた時の視点、剣道部の部室でみんなで白ご飯の美味しい食べ方の話をしている時に、その森先輩という人が「僕はねこまんまが好き」と言って手を猫耳のようにして話に入ってきたのをさえき先輩が「森はかわいいなあ!」と言って頭を撫でていた時。




今思えばその森先輩の猫耳の手をやってた時に、可愛いなと感じたような記憶がある。これに関しては、今の僕がその当時の森先輩の動作を思い出して可愛いと感じているのか、はたまた当時そう感じたのかははっきりとわからないが、森先輩も今思うと僕の好きな目の大きな色白の美少年タイプの中学生だったように思う。となると趣向としては当時からそのようなものがあったのかと考えることもできる。




僕はこれはもうそうなのですが、圧倒的に「弟」が好きで、僕には本物の弟がいてまず弟としてこれが大好き、お兄ちゃんがいるより弟がいてよかったなと小1の時に弟が産まれた時に思っていました。



そこからの流れで「弟」的な人への愛着はおそらく大きなものがあって、これは明確に覚えているのですが、中学時代の後輩にNという子がいた。Nと伏字にするのは「こころ」のリスペクトです。


このNという子があまり部活内で同学年の子と馴染めていなかった。というのも子供っぽい性格や、書き方は難しいですが調子乗りのような部分があった子で、それも弟好きの僕からしたら可愛い部分だったのですがそれが原因でいじめとまではいかないですが、悪口を言われたりして落ち込んでいるような時期がありました。


これに関してはNのプライドもあるだろうし、あまりこちらから肩を持つようなことはしないほうがいいな、と感じていたのですが、向こうから割と懐いてくれて武道場の上にある大きな窓の近くに登ってそこに座り相談を受けたりしていた。


どんな内容の相談を受けたのかは覚えていませんが、この「特別感」はとても嬉しかったのを覚えています。この「特別感」は厄介なもので、ある日N君が他の先輩に自分の悩みを相談しているのを見てしまった時、失恋のような気持ちになりました。俺だけを頼ってくれ、なんでなんだ、と思い僕のお兄ちゃんの部分が暴れて大変でした。


おそらくこれ以降、この「特別感」というのは僕の趣向に大きく関わってきて高校3年生の時にめちゃめちゃ好きになった男の子、後輩君(僕がこの子に関して歌った名曲 後輩君 という曲があるのでYouTubeで聞いてください)も「僕は木田さんだけが友達でいたら他にはいらない」というセリフを言われたきっかけで好きになった気がする。


本物の弟にも、なるべく僕は頼れるお兄ちゃんという存在でいたいと常々思っており、昔弟が焼肉の帰りにマンションの下でお腹が痛くなり下痢のうんこを漏らしてしまった時も(ここだ!!)と嬉しくなり「動かんとそこで待ってろ!」と言ってすぐさま自宅の2階まで駆け上がり、満面の笑みでビニールとタオルを持って駆けつけました。誰もそこを通らなかったからよかったものの、「お兄ちゃんがお兄ちゃんでよかったなあ」と何度も言いながら弟に恩の記憶を植え付けつつ、笑いながら地面の下痢を拭いてビニールを履かせて子供を抱き上げてる僕の姿を見られていなくてよかった。


何度も植えつけた甲斐があって、先日実家に帰った時に弟に「お兄ちゃんがしたことで一番嬉しかったことは何?」と聞いたところ「下痢の時助けてくれたやつ」と言っていた。努力は必ず報われる。皆さんも頑張ってください。


# by akuta-seiryou | 2019-07-06 04:22 | 思い出 | Comments(0)

究極の選択

最近とても驚いたことがある。

先輩芸人サスペンダーズのいとうさん(学生時代にバイクで自衛隊の戦車に頭から突っ込んで緊急手術をした跡が今も側頭部に残っている)らと話している時に「うんこ味のカレーか、カレー味のうんこか、食べるならどっちってあるけどさあ」と、よくある究極の選択の話題になった。

僕は「それ毎回思いますけど、絶対カレー味のうんこですよね」と言った。するといとうさん(お母さんが76歳)が「え、いやいや、カレー味のうんこだよ?うんこ」と言ってきた。「いや、でもカレー味ですよね」と言うと「いやだからさ!うんこなのよ?こうやって尻から出てくるけど、味はカレーなんだよ?」と言われた。

僕はこのとき、漠然とこの問いに対して抱いていたモヤモヤが霧が晴れるように澄み渡り、澄んだ景色の向こうから本当のカレー味のうんこが出てきたのを見た。

わかってもらえますでしょうか。僕は、これまでこの問いを「限りなくうんこみたいな形に盛り付けたカレー」と「うんこ味のカレー」という風に想像していたんです。

こんなもの比べるほどではないだろ、どれだけ形がうんこでもカレーはカレーなんだから。と思っていた。25年間、ずっとこれを聞かれるたびに「カレー味のうんこ」と即答していた。そのたび少しだけ妙な雰囲気になっていた。みんながキャッキャと悩んでいるのに僕だけ「カレー味のうんこ」と即答するからだ。「うんこやで!お前うんこくうんや!」と言われても(なんで形がうんこなだけでそこまで嫌がるんだ。実質的にうんこを食うことになるのは味がうんこのカレーのほうだろ)と思ってニヤリと笑っていた。まさか、それが、それが、ほんとにうんこだったのだ。尻からひりだされて、皿の上に乗った、たまたま味は奇跡的にカレーの、うんこ。

めちゃめちゃ笑った。初めて本当の意味でこの究極の二択の楽しさを理解した。どちらを考えても嫌で、またどちらも絶妙に選べない。尻からカレーの味のうんこが出てくるってそもそも何なんだ。めちゃくちゃ面白い。これを小学生の時に知っていたらやばかったなと思い「これ小学生の時に知ってたら皆に言いまくってましたね」と言うと「皆がそうだったんだよ」と言われた。たしかに。25歳の今でもこれだけ面白いんだから、小学生の時に知っていたら頭が壊れるくらい笑っていただろう。そういう意味では今知ってよかった。冷静に考えると、形だけがうんこのカレーと味がうんこのカレーを比べるなんてゲームとして成り立っていない。その違和感を無視してそれについて深く考えることなく、僕はあらゆる場面で「カレー味のうんこ」と即答し続けていた。情けない。ただ、これは、僕だけだとは思えないのだ。絶対にまだ「うんこのように盛り付けられたカレー」だと思っている人はいるはずだと思う。「あれは尻から出てきてるんだよ」と教えてあげたい。めちゃめちゃ笑ってくれるだろう。


これが最近かなり驚いた出来事です。でもこういう自分が納得していないもので全然認識が間違っているのって他にもありそうで怖いです。例えば僕は犬の小便に水をかけてなかったことにするのが納得いかないんですけど、あれってちゃんとした理由ありますか?小便を伸ばしているようにしか思えないんですよね。ほんとうに綺麗にするなら乾いた雑巾で吸い取らないといけないと思います。世の中はまだまだ、知らない事にあふれてますね。

追記

おべんとばこ中川さん(皆さんなんとかして中川さんと2人で喋ってみてください。会話中のボケのあまりのおもしろさと軽やかさに笑ってしまうと思います)が「じゃあ木田はタイムマシンに乗って過去の自分に言いにいくこと決まったね!あれはほんとのうんこだよ!って言いにいかなきゃ!」と言ってきて僕がなにかを言う前に「お尻から出るんだ!って!でも時間ないからすぐに別れちゃうから早く言わないと!いきなり目の前に現れて、ほんとのうんこなんだ!って!ほら!ほら!」とずっと言ってきてとても笑いました。たのしかった

# by akuta-seiryou | 2019-05-21 02:38 | 日記 | Comments(0)

実家

実家に帰りました。

僕は小学生くらいの頃から実家である奈良からできるだけはやく出たいと漠然と感じており、その漠然な思いは中学に入りより実態のある強い思いに変わり、高校になって爆発した。

高校一年生の冬、母親に「高校を辞めて全国のお寺を歩いて回りながらエッセイを書いて暮らしていきたい」と自分のライフプランを告白した。誰に影響を受けていたのかはまったく覚えていないが、おそらくは中学の頃から学校が嫌で嫌でしょうがなく3年間耐えてやっと終わったと感じていた学生生活がまた3年間始まるというショックに入学してから気づき、自分の当時好きだった「学校を休んで東大寺を見に行く」と「さくらももこのエッセイ」を合体させた理想の職業を提案したのだと思う。それを伝えると、母親は「そうなら、入る前に言いや」と言ってきた。その後に「入学金も既に払っている」「野球部に入った際にかかったユニフォームなどの諸経費」などの懐事情の話を続けられ、「もったいなすぎる。他は何してもええけど、頼むから高校だけは出て」と言われた。「そんな職業でどうにかなるわけない」などとか言われるより「入る前に言え」と言われるほうが呆れられてる感じがして(ああ、この意見は通らないんだな)と理解できた。

当時の僕の頭には、もし食えなくても朝どこかの寺の門の前で倒れてたりしたら向こうとしてもないがしろにするわけにもいかず、雑用係として雇ってくれたり少しの間ぐらいは何とかしてくれるだろうという考えがあったので「食えない」系の反論は効いていなかったと思う。そう考えるとかなりありがたい返事だったと感じる。今でも本当にもうどうしようもなくなったらキリスト教会の前とかに倒れていてそこから住み込みで働くというプランを最後の最後の最後の手段で頭の片隅においてある。もし見かけたら助けて下さい。

結局高校は辞めずに、3年間野球部を続けて最後の引退試合の日に試合後のミューティングで大泣きして〆るという王道の高校生活を過ごし、寺を徒歩で回って誰がどう読むかもわからないエッセイを書く未来とは真逆の現実を過ごした。良かったと思う。

その後僕はストーリーを作る人になりたいと思い映画の専門学校に行くのですが1年ほど通ってある日「ここは主にカメラの技術を学ぶ専門学校だよ」と講師の人に言われて、どうりであまりストーリーをどんどん書いて映画をとろう!というような授業がないんだと納得して1年で辞めた。

その学校に行くために借りた奨学金の返済が今の僕のゆうちょの残高から毎月1万円を吸っていく。その学校の自主映像を撮る授業で僕は後輩君(https://www.youtube.com/watch?v=G0XFWbt0r_4)に手伝ってもらって、後輩君をパンツ1枚にして全身に様々な色の絵の具を僕の手で塗りカメラを回してその様子を撮ったもの、その次に後輩君をパンツ1枚にして真っ暗の中顔や体にだけライトを当ててトマトを潰して僕の手で体にいっぱいそのトマトをつけたり、女物のかつらをかぶせてトマトで口紅みたいにしたりしてる様子を撮ったものを2度提出した。あんな経験は今いくらお金を積んでも2度とできないのでそう思うとお金では買えないものというのは本当にあるんだなと思う。

そうして1年で大阪の学校を辞めた僕は、やっと奈良から出て一人暮らしを始めることになりました。大阪に住んでいる時は奈良まで1時間もあれば帰れるので、実質家の近くに一人で住んでいるというような状況で実際に週1くらいで帰っていた気がする。そんな状況なので、もちろん寂しいも何も思わなかった。その1年後くらいに、東京に住むことになる。僕は今東京で暮らしている。東京というと奈良まで帰ろうと思ったら夜行バスで8時間くらいかかる。

新幹線を利用すれば全部含めて片道3~4時間程度でいけるとは思うのですが、そうなると片道15000円以上、往復で3万円かかる。これはアルバイトでお金を稼いでいる状態の今ではかなりの支出であるので、そうやすやすは帰れない。なので夜行バスという選択になるのですが、そうなると時間もかかるのでどうせ帰るなら1日や2日いるだけじゃもったいない、何日かゆっくりしたい、1週間くらい空いていないといけないとなるとさすがにアルバイト君の自分でもそうそう丸々1週間何もないということはなかったりする、という連鎖で全然実家に帰れなくなる。そもそも僕は家は好きだった。地元から出たかっただけで、家にいる時間は好きだったのだ。学校を休んで家で母の作った弁当を食べている昼間や、金曜の夜自分の部屋にいて明日学校がないという喜びを噛みしめている時間、砦という感じがした。家が好きというと家族にべったりという感じがわくかもしれないが、そういうことでもない。母親も父親も自分にとってはいい具合に放っておいてくれていて、良かった。しかし、僕には8歳年の離れた弟がいる。弟に対してだけはどうにも駄目で僕は無性に弟に会いたくなる。

そもそも、0歳の時から僕はずっと弟を見ているわけで0~13歳くらいの間は修学旅行やその他何かを抜けば毎日会っている。僕が大阪で住み始めてから、どんどん会う頻度が空いてしまっていて、いまでは3か月に7日程度だ。本当に、毎日毎日見たい。
以前漫画喫茶でアルバイトをしていた時、常連の嫌な女の客の顔をみる回数が1年で弟と会う回数をどんどん追い越していくのが本当に憂鬱だった。会いたくもないやつの顔を見る回数がなんで弟の顔を見る回数を追い越すのか。となると、実家に帰りたいのかというとそういう訳ではまったくない。奈良にずっといて、中学の時に怯えていた不良に大人になってまで怯えながら生活をするのは絶対に嫌だ。母親の年齢を47歳くらいだと思っていたのだが、55歳だった。親も年を取り、弟も年を重ねる。18歳が19歳になり、20歳になる。その3年間は絶対に見たい。悩んでいる事もあるだろう。直接には話さなくても、ぽろっときっかけのような一言を少し言ってくれたりそれだけでもいい。弟の悩みを知りたい。僕にどうこうできる自信があるわけではないが、知りたい。
だからなにがどうできるという訳ではまったくないし、何の解決にもならない。こういうのはいいお兄ちゃんなのか、悪いお兄ちゃんなのか、どうなんだろうか。悪いお兄ちゃんて響きがとても気持ち悪い。いつか「悪いお兄ちゃん」という映画を撮ってみたい。

自分に兄がいたとして、僕みたいな性格だったらと考えたら嫌だった。距離が近くて気持ち悪いと感じると思う。僕は弟にキスもしていた(いる)し、何歳になっても外で手をつなぐ。この前も頼み込んで外で手をつないで歩いていて、ふと鏡に映った自分の姿はとても醜悪だった。実家に帰って弟に会うたびに「お兄ちゃんとの覚えてる1番古い思い出を教えて」と言っている。思い出を兄弟間で共有することで、ホッとする。聞くたびに弟は少し嫌そうな顔をするが話してくれる。

# by akuta-seiryou | 2019-03-26 07:37 | 日記 | Comments(2)