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クラウドファンディング感謝と思い出を残す

クラウドファンディング、今回皆様のおかげで当初の目標金額50万円を超えた金額が集まり、諸々手数料などを引いて62万円が映画の資金としてフィニッシュということになりました。本当にありがとうございます。おかげさまでより幅を広げて映画のことを考えられるようになりました。

映画を作るにはシナリオがないといけません。シナリオを作るには土台が必要です。今回の映画のために過去の体験や気持ちなど様々なことを思い出し、テーマを絞り出しているのですが、わかってはいましたがやはりなかなか難しく、ただ自分でも観たいと思える形が少しづつできてきている気がします。楽しみに待っていてほしいです。出来上がってから、支援してくれた方々は向けて改めて気持ちはきちんと書きたいです。ありがとうございました。


先日マセキ事務所からの帰り道、電車に乗り、シートに腰掛けて後輩と喋っていると前に立っている男性から「木田さんですよね」と声をかけられました。


普段外で声をかけられることなんてないので、咄嗟に反射で「はい!!」と大声で返事をしてしまい車内に緊張を走らせてしまい、やってしまったなと思いながらその人の顔を見ると、その人が「大阪時代からブログとツイッターみてます」と言ってきました。


僕は17歳くらいの頃からTwitterとブログをしていて、かれこれ89年はネットの海の中に自分を投稿し続けています。その人は話してみると「木田さんがツイッターを2回消したのも知ってる」と言っていたので、僕が奈良時代に好きな男の子への熱い気持ちを毎日毎日連投して、ある日急に「こんなことしていて何の意味がある」とTwitterを消した1回目、そして大阪時代に同じ好きな男の子への気持ちを連投し続けていた日に、その男の子に彼女ができ、ショックすぎてガムテープで大きな自分の笑顔の顔を作って「Twitter終わりました」と書いてアカウントを消した2回目を知っているということです。


僕の生活を、僕の昔をこんなにも知っている人が東京の電車の中でたまたま出会うというのはとても驚きました。それと同時にネットの海に何かを残すことはやはりロマンだなあと思いました。


僕らは今コンビで週に1回自主ラジオを家で録音してネットの海に放り投げているのですが、それが先日101回目を迎えました。僕らが売れたら聞き返されて笑ってもらえたり、何年後かにガクヅケハウスラジオの何回がどう、みたいなのをまだ今僕らを知らない人が言っていると思ったらおもしろいと感じます。もう体が動かなくなって80歳くらいになったら全部聞き返してみたいです。皆さんも誰かとやってみてもいいんじゃないですかね?一人でもいいですし、自分の声を残し続ける。声はどんどん変わっていきます。


中学生くらいの時に僕の母親が「これは私とお父さんが老後に見るためにおいてるねん」と僕や弟の写真、作文、などさまざまなものを入れている箱を見せてきたことがありました。両親からしたら僕は思い出です。僕から見ても両親は思い出です。僕は弟がいますが、弟には本当に幸せになってもらいたいと思うように、両親も僕に幸せになってほしいと思っていると思うんですよね。


だからどうということではないのですが、お笑い、映画、ラップなど生活した証を残し続けるというのは一つの親孝行なのではないかと思いました。弟は今18歳なのですが、職場で「ガクヅケ、きいたことある気がするなあ」と言ってくれた人がいたという連絡がきました。僕らはテレビなどまだほぼ皆無なので、これも、もし聞いたことがあるならおそらくネットのおかげです。


僕らのネットラジオおもしろいと思いますので「ガクヅケハウスラジオ」で検索して聞いてみてください。コーナーとかはないのでどの回から聞いても聞けます。たまに同居ならではのことで揉めてピリピリしている回もありますが、飛ばすとか違う回を聞くとかしてみてください。僕は他人の喧嘩が好きなのでそういう回がきたら当たりだと思ってしまいますし、そういう人は割といると思うのでそういう人は当たり回を探してみてください。


何かを残すということは自分の楽しみでもあります。このブログを始める前、お笑いをやる全然前なのですがブログをやっていて割と更新していたのですがある日嫌になって消したというのが何回かありました。わざわざ消さずとも非公開とかで残しておけば、自分は見れたのにと今になって思います。世の中に思い出をたくさん残したいです。


この前電車の中でめちゃめちゃ太ってるおじさんがスマホでランニングのゲームをして遊んでました。面白かったです。


by akuta-seiryou | 2019-10-12 01:40 | 思い出 | Comments(0)

最近の弟

この前マセキの後輩芸人「銀兵衛」の小松という芸人を抱きしめて頭を撫でてる夢を見て目が覚めました。

小松は最近マセキに入ってきた後輩で、僕のお兄ちゃん欲を程よく刺激してくれる最高の存在なのです。小松は「顔が幼くて可愛くなるのが嫌でわざと自分で前髪を変に切っている」という可愛いポイントを持っており、その話を聞いたときに僕が「それがもう可愛いやんか」とホクホクした声で唾を飛ばして喋ったら苦笑いをしていました。その態度もよかった。

先日もモグライダーの芝さんというマセキの先輩から「木田今日何してるの」と電話がきて18時から集まり、22時くらいまで喫茶店で過ごしたのち、外に出てこれからどうしようかとなった時に「小松呼んでいいですか?」と聞いた。小松が23時頃に合流してくれて、そこから5時まで高円寺をゆっくり2周して中野まで歩いて駅前の広い空間に腰を下ろして喋っている間、ずっと小松のお兄ちゃんになりたいなあという思いにかられていた。

実際に僕は「お兄ちゃんじゃんけん」や「お兄ちゃん大喜利」というゲームも開発して、ご飯の席やライブの空き時間にやっている。「お兄ちゃんじゃんけん」というのは、小松以外のメンバーでじゃんけんをして勝った人が小松に「お兄ちゃん」と言ってもらえるゲームで「お兄ちゃん大喜利」は小松が出したお題に小松以外のメンバーが回答して小松が1位の回答を選び1位に選ばれた人が小松に「お兄ちゃん」と言ってもらえるゲームである。

争いに勝ってもぎ取った小松の「お兄ちゃん」もいいのだが、やはり本当のお兄ちゃんではないので本当の「お兄ちゃん」はもらえないんだなあと思うと悲しくなる。

僕は今奈良にいる弟に毎日でも会いたい気持ちを抑えながら東京で生活しているので、東京での弟を見つけたいのです。日々弟を探しながら生きているといっても過言ではないです。

先日、そんな自分に大きなチャンスが回ってきました。マセキ芸人コレクションというマセキ芸能社が3ヶ月に1回行っている大きなライブなのです。このライブには他社からもたくさんゲストが来て、MCがナイツさんでさらに大トリでネタも披露するということで毎回満員御礼なのですが、このライブに出演できることになりました。

そして当日、会場に行くとなんと手伝いに小松がいたのです。この大きな舞台でひるまずにウケる。そうすると小松も僕に一目を置く事になるでしょう。お兄ちゃんというのは弟から尊敬されるべきなのでそうすると本物のお兄ちゃんに一歩近づくということになります。

ここは絶対にウケるぞと思って挑んだオープニング、場の流れでナイツの塙さんに腕を掴んでもらい前に出して頂きギャグのようなことをするという状況になったのですが、普段は見ないような大量のお客様、ナイツさんや他事務所の方がいる緊張など様々な要因が相まり、ニヤと笑って真っ白になり舞台の真ん中に立っているだけの存在になっているのを察してくれたのかAマッソというコンビの加納さんがギャグを耳打ちしてくれたのですが、僕はそのギャグをそのまま小さな声で再現するという最悪な事態にしてしまいました。後に自主ラジオで相方の船引さんから「木田はできるんやから怯まんとやったらええねん」と気持ちのダメ出しを受けるほどの出来。あんなものを小松に見られてしまってはお兄ちゃんも糞もありません。もはや弟です。僕は小松の弟になってしまう。

最近外を歩いていて小さな兄弟が手をつないでいるのを見たりすると過去の自分と弟を見ているような気持ちになり無性に悲しくなり、急ぎ足で抜かしてすれ違いざまに顔を確認して自分とも弟とも似ていないというのを見るとホッとしたりします。

またブログ書きます

追記

このブログを書き上げた後、真夏の笑フェスというマセキの1000人規模のお笑い野外フェスがあり、それが終わった後にひつじねいり細田さんと小松と銭湯に行きました。銭湯に行く前にビールを買って飲んだら小松が「うまい..」と呟いていて弟でした。風呂に入ってる時も「最高ですね..」と呟いていて弟だった。


by akuta-seiryou | 2019-07-29 09:53 | 思い出 | Comments(0)

記憶と弟

小さい頃、ドラえもんやクレヨンしんちゃんの映画版と通常回のズレてる感じが不気味だった。



映画ではありえないくらい大変な目にあっているのに、アニメではそんなことを感じさせず普通の暮らしをしているのが怖かったのだ。オトナ帝国であんなにえらいめにあってたじゃないか。のび太もスネ夫もあんなに大変な思いをしてたのに。全部終わったら何でそんな感じなの。映画の時があったのにその話はここではしない、という感じでも不気味だしなかった事になっているならそれはそれで不気味だ。




小さい頃、お母さんがたくさん、どんどん部屋に入ってくる夢をよく見ていた。どのお母さんも本物のお母さんで、最初にいたお母さんがどれかわからなくなってしまい怖くなったところで夜中目が覚めていた。目を覚まして、横で寝ている母親の頬を触ってみると冷たくて、それも怖く感じた。




こういう昔のワンシーンだけ覚えている瞬間ってなんで覚えているんでしょうか。さっきのお母さんの夢の話は、自分の中の怖かった記憶として残っているのでまだわかるんですが、例えば中学生の時に天理市にある老人ホームに職場体験に行った際に天理駅で降りて班で歩いているとき見た友達の横顔、中学の時グラウンドに出たら怖い先輩が「今日森いる?」と僕の剣道部の先輩の森さんがいるかどうか聞いてきた時の視点、剣道部の部室でみんなで白ご飯の美味しい食べ方の話をしている時に、その森先輩という人が「僕はねこまんまが好き」と言って手を猫耳のようにして話に入ってきたのをさえき先輩が「森はかわいいなあ!」と言って頭を撫でていた時。




今思えばその森先輩の猫耳の手をやってた時に、可愛いなと感じたような記憶がある。これに関しては、今の僕がその当時の森先輩の動作を思い出して可愛いと感じているのか、はたまた当時そう感じたのかははっきりとわからないが、森先輩も今思うと僕の好きな目の大きな色白の美少年タイプの中学生だったように思う。となると趣向としては当時からそのようなものがあったのかと考えることもできる。




僕はこれはもうそうなのですが、圧倒的に「弟」が好きで、僕には本物の弟がいてまず弟としてこれが大好き、お兄ちゃんがいるより弟がいてよかったなと小1の時に弟が産まれた時に思っていました。



そこからの流れで「弟」的な人への愛着はおそらく大きなものがあって、これは明確に覚えているのですが、中学時代の後輩にNという子がいた。Nと伏字にするのは「こころ」のリスペクトです。


このNという子があまり部活内で同学年の子と馴染めていなかった。というのも子供っぽい性格や、書き方は難しいですが調子乗りのような部分があった子で、それも弟好きの僕からしたら可愛い部分だったのですがそれが原因でいじめとまではいかないですが、悪口を言われたりして落ち込んでいるような時期がありました。


これに関してはNのプライドもあるだろうし、あまりこちらから肩を持つようなことはしないほうがいいな、と感じていたのですが、向こうから割と懐いてくれて武道場の上にある大きな窓の近くに登ってそこに座り相談を受けたりしていた。


どんな内容の相談を受けたのかは覚えていませんが、この「特別感」はとても嬉しかったのを覚えています。この「特別感」は厄介なもので、ある日N君が他の先輩に自分の悩みを相談しているのを見てしまった時、失恋のような気持ちになりました。俺だけを頼ってくれ、なんでなんだ、と思い僕のお兄ちゃんの部分が暴れて大変でした。


おそらくこれ以降、この「特別感」というのは僕の趣向に大きく関わってきて高校3年生の時にめちゃめちゃ好きになった男の子、後輩君(僕がこの子に関して歌った名曲 後輩君 という曲があるのでYouTubeで聞いてください)も「僕は木田さんだけが友達でいたら他にはいらない」というセリフを言われたきっかけで好きになった気がする。


本物の弟にも、なるべく僕は頼れるお兄ちゃんという存在でいたいと常々思っており、昔弟が焼肉の帰りにマンションの下でお腹が痛くなり下痢のうんこを漏らしてしまった時も(ここだ!!)と嬉しくなり「動かんとそこで待ってろ!」と言ってすぐさま自宅の2階まで駆け上がり、満面の笑みでビニールとタオルを持って駆けつけました。誰もそこを通らなかったからよかったものの、「お兄ちゃんがお兄ちゃんでよかったなあ」と何度も言いながら弟に恩の記憶を植え付けつつ、笑いながら地面の下痢を拭いてビニールを履かせて子供を抱き上げてる僕の姿を見られていなくてよかった。


何度も植えつけた甲斐があって、先日実家に帰った時に弟に「お兄ちゃんがしたことで一番嬉しかったことは何?」と聞いたところ「下痢の時助けてくれたやつ」と言っていた。努力は必ず報われる。皆さんも頑張ってください。


by akuta-seiryou | 2019-07-06 04:22 | 思い出 | Comments(0)

あのリズムをもう1度

パソコンが治った!パソコンが治りました。ブログを書くときは僕はずっとパソコンだったのですが、パソコンが壊れてからというものブログを更新しようとしたらスマホで文字を打たないといけなくなり、チマチマ液晶の画面をみてフリック入力で文字を入れていてもまったく気分が乗らず、書いてはやめ書いてはやめをしていたのですが、この度パソコンが治りましたので軽快にキーボードを叩いています。

皆様、あけましておめでとうございます。すごく遅いですね。2月になってしまいました。いろいろなことがありました。僕らが単独ライブをやることになったのですが、それが開始8時間で完売させていただき、良かったなあということや様々なことがあったのですが、年始早々悲しい出来事もありました。

それはというと、僕が彼女を毎回必ず笑わせていた最強のリズムを忘れてしまったのです。

僕は可愛い男の子が好き(バイセクシュアル※(男※も女も好きだということ)(僕※は可愛い男の子のみ)(僕というのは木田))なのですが、僕にはめちゃめちゃ可愛くて愛らしくて大好きな彼女がいます。そしてその彼女を毎回笑わせているリズムがあったのです。そのリズム、これを書いている今となってはそのリズム自体を忘れているので、説明しようがないのですがそのリズムは口に出してもおもしろく、彼女の足をそのリズムで叩いて小さな音を出すだけでも笑いを起こせるという素晴らしいリズムだったのです。

具体的にどれだけすごかったかというと、以前僕と彼女とギャビン(ルミネのモデルとかをしてるめちゃめちゃ可愛い顔の外国人の芸人。調べてみてください)とあと数人でご飯に行ったとき、他にも初対面の人がいたのでその人に敬語で喋っていたところ、僕が敬語の境目の訳がわからなくなってつい何の気なしに彼女にも敬語で喋ってしまったのを後で怒られてしまい話が進んでゆくにつれ「どこまで本気で男が好きなの?」と聞かれ「可愛い男の子は普通に好き」と泣いて謝ったという少しだけボヘミアンラプソディみたいな出来事があった次の日でも恐る恐るそのリズムで彼女の体を叩いてみるとフフッと笑ってくれたというもう僕の中ではなくてはならないものでした。

そのリズムがなくなった。

ある日ふと忘れてしまったのです。その日は彼女の家に泊まっていて、起きたら何か違和感がありました。今思えばその違和感を無視して生活をしていれば、恐らくはあのリズムがなくなることはなかった。そんな気がします。僕はこの違和感は何だろうと思い、考えているうちにいつも発していたあのリズムがつっかえたように出てこないことに気づきました。

ここからがさらにダメだったのですが、彼女に向って「テン。テテテン。テンテン。テテテン」と少しリズムを発してみるとぽかんとしています。もちろんです。面白くも何ともないのですから。これをやってしまうことで、もしくはそのまま待っていれば脳の底から浮き上がってきてくれたかもしれなかったはずのあのリズムが別の面白くないリズムによって下にいってしまいました。その時の僕はそんなことも気づかずにただ闇雲に面白くないリズムを大量に口から発していました。「ツツツタン。ツタツツツン。タン!」「デデデデン。デデデン!デデデデン」目隠しをしたままグラウンドの上に落ちている1円玉を探すようなものです。当然見つかりません。

しばらく箸にも棒にも掛からないリズムを発し続けていた僕に、彼女が「あ~あ。忘れてもうたな」と言ってきました。この一言で僕はあのリズムを「忘れてしまった」という事実を自分の中で固めてしまいました。彼女も僕が何の足しにもならないリズムを出し続けるのを聞いたせいでぼんやりと思い出せくなってしまったらしく、それでもヒントとして「太ってるくせにこんな機敏なリズム」というので笑っていたというようなことを言われたのですが、もう思い出せません。彼女は面白いのです。「録音しとかなあかんかったなあ」とさらに言われ、あのリズムが記憶の奈落に落ちていくのだけがわかりました。言葉というものは繊細に扱わないといけません。悲しい。
例え、もしこれからの人生の中であのリズムを思い出した気持ちになったとしても(果たしてこれは本当にあのリズムなのか・・)という疑問がついてまわることになり、そのリズムは本来持っていた純な面白さを得ることはできないでしょう。ああ悲しい。僕のリズムはいずこに。

誰か僕のリズムを見かけたら声をかけてあげてください。

「君は本当に面白い。ゆっくり休んでくれ」と

by akuta-seiryou | 2019-02-01 14:45 | 思い出 | Comments(0)

演劇に出ました

マチネ、ソワレが終わり、流した汗は舞台の光の中に蒸発して消えていった。マチネ、ソワレ。


皆さんは「マチネ」と「ソワレ」の意味を知っていますか?僕は知っています。


「マチネ」は午前「ソワレ」は夕方という意味らしいです。なぜ僕がそれを知っているかというと、先日人生で初めて演劇に出たからです。演劇というと必要なのは最低限の演技力で、もともと自分に演技力が無いのはわかっていましたが、自分で思っているよりも演技力というのがありませんでした。


稽古初日にまず、僕が気まずそうに「あぁ」というシーンがあったのですがそれが全然言えなかった。「あ」や「あーーー」などばかりで「あぁ」が出てこない。


音を操るというのは難しく、意識するとどんどん変になっていく。主宰の方に「全然普通で大丈夫ですよ!あぁ、みたいな!ほんとにほんとに!」と言われやってみると、その時は「あぁ」と言えて「その感じです!じゃあやってみましょう!」と言われ練習に戻ると「あーー」と言ってしまい「またなっちゃってますね!!」となるのを繰り返していた。最終的にその部分はなくなって全然違う台本になった。


台本を変えてもらう、というとワガママなスター女優みたいですが、何もできない太った男でも変えさせることはできました。下手すぎてですが。申し訳ないなと思いましたが、本番で「あぁ」を出す自信はなかったので少し安心しました。


最終的に、主宰の方と一緒にトイレで並んで小便をしている時に「木田さんはどんな感じだとやりやすいですか?」と聞かれ僕は「なんか..簡単なキャラがあると..」と小便と同じく歯切れ悪く答えたのを反映してもらえたのかどうかはわかりませんが「元気な歌のおにいさん」というめちゃめちゃわかりやすいキャラをもらって、そこからは比較的楽でした。


そんなこんなで練習が終わり、公演も終わり、最終日に打ち上げをやりました。打ち上げも終わって外に出た途端、急にめちゃめちゃ寂しくなりました。悲しい、終わりたくない、これで終わってしまうのか、僕は高校野球をやっていた時から「合宿」とか「引退」とかが部活的な事が大好きなので今思えばこの「一定期間集まっていたメンバーが合わなくなる」というのがドツボすぎて気持ちよかったというのがほとんどだったかもしれません。


感動を自分で増幅させてる状態の僕は、最後外で共演した皆さんに握手を求めたりしてどんどん感極まっていった。一番役も楽で演技が難しいところもなかった太った男が最後の最後にいきなり熱くなって握手をしてきたから困らせてしまったかなと少し思う。


共演した俳優の方と上野まで一緒に歩いている道中に「すごく寂しいですね。こういうことなんですね。俳優さんの楽しいところって」と的外れなことを言って歩き続けた。


一期一会という感じがとてもいい。あっさりさっぱりしている。家へ帰る。


by akuta-seiryou | 2018-12-28 07:09 | 思い出 | Comments(0)

変なやつ

かっこいいものになりたい。かっこいいものに、シュッとしていて、顔も良くて、機転がきいて、愛嬌があって、ミステリアスで、おもしろくて、感情の機微が読める、というのが僕の思うだいたいのかっこいい要素だ。真逆だ。自分とは。かっこいいのに愛嬌がある人がいる。反則だ。ぼくが黙ってニヤニヤしてお酒を飲んでるような打ち上げで、かっこよくておもしろくて場をうまくさばく、それでいてうるさいわけではなく節度のある盛り上げ方をしている人がいる。格好が良い。


ぼくは5人以上の人数になると、会話のペースに入れずあまり喋れなくなる。嫌いとかではなく、タイミングがよくわからなくなる。どれだけ仲のいい人たちでもそうなるので緊張とかではないと思う。子供のときからそうだった。なので小中高と少ない人数で、お気に入りの友達を集めて喋っていた。大勢で喋る時は明るく楽しいのでそれはそれでいいのですが、みんなで喋ってるとなぜか急に理由なく寂しくなる時があって、そういう時はぼくが集めた不気味な友達を校舎の誰もこない所によんで喋っていた。


中学の時には岸谷という友達がいて、そいつは自分のことを「こっち」その他の人のことを「そっち」と呼ぶ他人との境界線をめちゃめちゃはっきりとひいているやつで、楽しかった。ロシアの土の層について調べたい、という話を延々とされた記憶がある。小学生の時は平賀という虚言の気があるやつで、外を指して「ここからみえるとこまでが僕のお父さんの土地やねん」と言っていた。平賀の家はそこまで裕福ではなく、普通の家なので明らかな嘘であることは確かだが、僕はほぉ〜とずっと聞いていた。平賀としても明らかな嘘を延々と聞いてくれるのは楽しかったのだろう、それからも何回も色々な大きすぎる嘘を言われた。平賀は高校を卒業し自衛隊の炊事班に入ったらしい。それを聞いた19歳の僕が奈良で「なんでやねん!!」と言った覚えがある。そういう、人目のつかないところで変なやつを集めるような癖は大人になった今でもあまり変わらない。みんなに隠れてフェーというコンビの篠原さんという顔がすごく変な人と二人でご飯に行き、顔を高速で振ってもらったりして笑っている。ぼくの憧れる人はそんなことしない。


変なやつが近所に住んでほしい。夜中ぼくがいつ電話をしても出てくれて、散歩に延々と付き合ってくれる変なやつ。変な人の話を聞くのが好きだ。こういう人に会いたい、という例は「とくになにをやりたいでもないけどとりあえず東京で一人暮らししていて、毎日日記をつけてる」人とかです。僕は暗い変な人が好きなのだと気づいた。変わった人は多くても、中でもタイプな変な人を探すというのは難しいことなのだ。これからの人生では、長い期間をかけて僕のタイプな変な人と知り合っていけるような人生にしたいとおもう。仲良くしてもらえるかはわからないが、話題をたくさん用意しておこう。


by akuta-seiryou | 2018-11-07 03:31 | 思い出 | Comments(0)

ガクヅケ木田師匠の後輩へのアドバイス

ごっつい家住んでよ、ほんで、ごっつい炊飯器こうて、それで、米たかして、食うたら、めっちゃええやろ。な?おまえも、そうせえや。やっぱり、生まれたからにはごっつい飯と、ごっつい家やろ。おまえ、な?わかるやろ?アホみたいに広い部屋でよ、住んでよ、叫ぶねんな、うぁぁぁ!!って、ごっついすっきりすんねん。旅行なんか、せせこましいわ。どうせ帰ってくんねやから、そんなもん。


逃げ、やな。俺も、昔は好きやったけど、旅行。いまはおまえ、ほら、いろんなところに家あるから、どこにいくのも帰るだけやねんな。逃げれへんねん。ほんなら、どないすんねん、て思うやろ?棒でな、床を、しばくねん。こう、バシッッと。人間、死ぬのだけがわからへんわけやろ?結局。そこに突っ込んでいくねんな。でもおまえ、まさかほんまに死にはできへんから、こう、飛び降りたりとかやな、そんなこともできへんから、こう、棒で床をしばくと、手がジーンとするやろ。これが死からめっちゃ離れたところにあるけど、死の感覚やねんな。俺的にはな。手が、わからんくなるねやから。ほんでそれずーっとやってたら、あー明日も、がんばろ、てなるねん。ハワイとか、ラスベガスやとか、あれは正味アホやで。棒と床でええねん。まあでもこれは、金があるからやな。金ないおまえみたいなやつがやっても、あかんで。悲しくなるだけや。ラスベガスにもハワイにもいける、でも俺はこの棒、ていうのが、ええんやろなあ。


あとおまえ、アホみたいに寝て起きて外歩いて疲れたら寝て、毎日やなあと思って過ごしてるやろけど、あかんで。アホになる一方やで。賢く生きなあかん。賢い、ていうのは、アホを外から見れるてことやな。じゃあ、アホてなんやねんな?理屈の通らん、てことやろなあ。他人にはアホはおらんで。理屈なしで動いてるやつなんて、1人もおらんで。どんなに間違った理屈でもな。だから、他人見て、アホやなぁ思ってるやつが、もっとアホやな。うんこ見て、きたないなあ、ていうて、ずっと見てるやつは、うんこよりアホに見えるやろ。これをわかってやってるねやったらええけど、わかってへんかったらあかんで。


だからおまえなんでもしたらええねん、そのかわり、アホの自分をちゃんと見ることやで。ほんならおまえ、自然と金がよってくるわ。酒鼻から飲んで、目回して、笑われても、おまえが一番それを笑っとったらおまえが賢いねん。ほんならおれ、しょんべんでうごく車に乗ってお餅で出来た家に帰るわな。さよなら。


2078年 ガクヅケ木田師匠からのアドバイス 渋谷ぼうしょにて


by akuta-seiryou | 2018-10-09 01:07 | 思い出 | Comments(0)

そうめんと間違えて冷麦を買ってしまった。あまり違いがわかっていなかったので、正確に言うとそうめんの少し上質な版が冷麦だと思って買ったら全然そうでもなかったという感じです。もちもちしていて美味しいのは美味しいが、そうめんのあのつるつるとした美味しさは無い。そうめんが食べたくて買ったのに、少しの卑しい気持ちが自分を苦しめている。

小学生の時、友達の家に遊びに行くとそこの家のお母さんがめちゃめちゃ汗をかきながらそうめんを作ってくれた。顔からの汗が鍋の中のそうめんのに落ちていくのを見ていた時、初めて「なんか嫌だ」という気持ちになった。その家ではリスを飼っていたのだが、ある時部屋の中で放して遊ばせていると大きな食器棚と壁の隙間にリスが入ってしまいでてこない、このままだとリスが死んでしまうと泣いてるその母親と友人と一緒に晩御飯を食べたことがあった。その家族のリスの死にまったく共感できなかった僕は、何気なく件の食器棚の隙間を見てみるとヒーローの人形が挟まっていた。僕の友人がそれでリスをおびき出そうとしたのか、ひっかけてうまいくらいにやろうとしたのかわからないが結局うまくいかなかくて今では痕跡となってしまっているヒーローがむなしく、今も食器棚の後ろにいるであろうリスの事を考えると少し悲しくなった。その後リスは普通に出てきたらしく、ではあの涙の晩御飯は何だったのかと思ったがまあしょうがないことだと思った。

by akuta-seiryou | 2018-08-25 04:21 | 思い出 | Comments(0)

下北沢にて

今相当欲しいものの一つにパソコンと作曲ソフトがある。

今僕が持っているパソコンはジモティーで3000円で購入した緑色のパソコンでして、最初はよかったのですがこれがやはり3000円のクオリティというのか使ってるうちに何をするにも重くどうにも使い物にならなくなってきてしまった。

もちろん3000円なので、それだからムカつくなどというわけではまったくなく、むしろ起動してヤフーを開くだけでめちゃめちゃ熱くなりヴヴヴヴ..と唸り出すあたりはもう死にかけなのに俺のためにそんなにも..と切なくなり、そのまま「佐藤勝利 ドラマ」と勝利くんの出てるドラマ「ミスデビル」の評判を検索して見ようとすると、ヴゥーン!!!とうなってさらにめちゃめちゃ熱くなる。

そうなるともう佐藤勝利くんのミスデビルの評判を見るためにそんなに辛い思いをしなくていいよ、と死体の目を閉じる感じでパソコンを閉じてしまう。

そんなパソコンなので、僕の今の夢である「自分で作ったダンスミュージックを野外の音楽フェスで流して、ステージの上でイケメン俳優を踊らす」という野望にはついてこれない。

一度フリーの作曲ソフトを落としてみたが、そのソフトを起動しようとするだけでヒュンと言って電源が落ちた。めちゃめちゃすぐ落ちたので面白かった。とにかく僕はMacとかをかっこよく使ってやってみたいのだ。イケメン俳優を躍らせたあとはフェー篠原さん、きしたかの高野さん、フランスピアノ中川さんというバケモノ芸人3人を踊らせて中国のお面を使ったお祭りのような野外フェスもやりたい。

この前、TBSラジオのラフターナイトというネタ番組の月間チャンピオンというのになれた。これは説明すると少しややこしいのですが、ガクヅケのキャリア的にはまあまあすごいことでこれの年間チャンピオンというのになれたら前年度の賞金は100万円ということで、今年はどうなるのかわかりませんがとても楽しみです。ものすごい金額をもしかしたら10月の僕は手にしているかもしれない。

果てしないほどのお金を手に入れたら、可愛い男の子だけの野球団を作りたい。合宿を開いて寮を作って寮母さんになるんだ、と思っているとジャニーズというのはもともとジャニーさんが作った野球チームだったらしいというのを聞いた。すでにものすごい先人がいた。世の中には誰もやっていないということは少ない。

今日お笑いライブで下北沢に向かっている時、小田急線に向かい、電車に乗ろうとしたのですがもう少しいつもよりホームの端の方にいこう、と思い進んでいき車両に入るとしばらく会っていなかった友達(根冬くん)に会った。

嬉しくなり、根冬くんも下北沢に向かうとのことなので一緒に行った。根冬くんと僕はよくラップをして遊んでたので、少し外でラップをして遊んだ。今度お金を貯めてトラックを作る機械を買いに行く約束をした。楽しみです。外に出るとこういうことがある。バッタリ誰かと会ったりするのは楽しいし、暇なら外に出るべきだなあと思った。

そしてそのお笑いライブが終わった後、下北沢を歩いているとめちゃめちゃ可愛い男の子がいた。その子は友達何人かと集まって、路上でスナップ写真みたいなのを自分たちで撮っていた。弟みたいでめちゃめちゃ可愛く、母性本能が爆発しそうになるのを感じて一緒に歩いていたお笑い芸人の先輩(矢野号さん)に「少しだけ待ってもらっていいですか」と頼んで向かいにあるダイコクドラックの中に入ってこっそりその子を見た。

可愛い男の子を見たとき、「育てたい」と強く思う。「育てたい」というのは、子供としてというよりか師弟関係的な「育てたい」です。

僕がもしむちゃくちゃ空手が強くて可愛い男の子が僕の空手に心酔して弟子入りしてきたとして、毎日毎日一緒に練習してお互いを高めあって、ある日道場からの帰り道とかに「彼女ができました!」と言われて号泣するのだろう。これと全く同じようなことが19歳の時にあった。僕は空手のマスターになっても同じようなことをしてるのかもしれない。人生は自分の性格によって出来上がっている。

その下北沢の子は友達と楽しそうに写真を見て、また写真を撮っていた。楽しそうに笑うのですが、写真の時は澄ました顔になる。あの子にはすでに、師匠がいるのだろう。この人になりたい、と思っている人がいるなら僕の入る余地はない。そもそもこんなブヨブヨの汚い僕ではあの子の師匠にはなれない。さらにジムに行って体をきちんと鍛えなければ。あの子の心の師匠は誰なのか。かっこよくなりたい。

by akuta-seiryou | 2018-06-25 09:28 | 思い出 | Comments(0)

生活と思い出

夏に花火を行こうと計画していたのですが、見に行きたかった今年の花火は10月にやるとのことで夏にいけなくなった。

理由はというと、去年夏にやったその花火大会で落雷が人に当たったりと大変なことになったので今年は10月とのことになったそうで、全くその通りにしたらいいと思った。

以前その花火大会に行った時、彼女と僕で意気込み彼女が浴衣僕が甚兵衛で花火を見に行った後、帰ってきて僕の家の近くの駅の前で記念写真を撮ろうと彼女に閉店したとんかつ屋の前に立ってもらいスマホを向けたら思いっきりおじさんに前を通られた。

太った男が彼女を連れて閉店したとんかつ屋の前で記念写真を撮ろうとしているのがムカついたのだろう。おじさんの顔を見ようと思って向こうを見ると、もうおじさんはいなくなっていた。あれはもしかしたら未来からきた僕だったのかもしれません。

並行世界の僕が、彼女と出会わないまま、お笑いもやることもなく、可愛い男ばかりを追いかけ続け、大阪を追われ、僕の前に現れた。さようなら並行世界の僕。花火をせめて見に行ってみてほしい。

夏というと、僕は高校生の頃スーパーでアルバイトしており、毎日そのスーパーに通っていた。本当に毎日行っていた。シフトの無い日も。そこのバイト先に好きな男の子が働いていたからだ。このブログで何度も書いたりしている後輩君という子なのですが、何をしに行っていたのかというとその子に毎日毎日「一緒に東京旅行にいこう」と誘いに行ってた。

最終的には「わかった。いこう」と成功したのでやってみることに価値はあるのですが、当時はこの努力は報われるのかと毎日闇の中を進んでいる気持ちだった。

シフトが入っていない時はスーパーの休憩室の一角にある押入れみたいな2畳の和室に入り込んで目を開けて息を潜めていた。暇すぎるのでそこで小説を書いていた。原稿用紙にシャーペンで延々と書いており、内容もしっかりとは覚えていないが「後輩の男の子と遠い島に行って、そこにあった施設に泊まり込み、そこにずっと住む」という小説だったような気がする。ずっと住む小説の何が面白いんだと今では思うのですが、まあとにかく現実でも小説でも似たようなことを希望していた。

一度その小説を書いてる時に、スーパーのパートのおばさんにその個室の扉を開けられて僕がいないと思っていたのか「ぎゃあ!!」とめちゃめちゃ驚かれた。すぐに店長にチクられて僕は正式にその個室を出禁になった。しかし店長は優しかったので「俺の部屋にいてええぞ」と店長の机の横に僕が好きな男の子待つスペースを作ってくれた。ありがたい。

そのスペースでじっと待ち、後輩君がシフトを終わって「まだ待ってたんか」と言われ2人で帰る18時くらいがとても夏だった。18時というとそこから23時くらいまで喋れるので、延々と喋った。

僕は奈良からはすぐにでも出ていきたいし、いつか出て行くだろうとは思っていたのでこの時間が永遠には続かないという感覚が当時からあった。今好きなだけこの子に向かわないとダメだとなんとなく思っていたような気がする。大げさだが一生後悔すると思っていたので、とにかく毎日毎日会ったりメールを送ったりしていたらそれから2年後くらいの20歳の時に「渡さんがいなかったら今の僕はない」と言ってもらえた。僕は「いや区切りみたいなこと言わんといて!!」と言ったのを覚えている。

生活と遠いところにあるのは思い出だ。しかし生活も思い出もどちらも素晴らしい。

僕が出てるお笑いライブも今は僕の中では生活なので、思い出して物思いにふけったり、などは全くないがもしか僕が事故に会い、体が動かなくなってベッドの上で考え事をしてるだけの日々になったとしたらダンボールのユンボの中から姿を現して暴れるきしたかの高野さんや、フランスピアノ中川さんの腕の毛、フェー篠原さんのtinderで出会った女に大衆居酒屋で30分で6000円分も酒と飯を食われそのまま速攻で西武新宿駅に逃げられた話などを思い出して涙を流すだろう。記憶の中のそれらは光り輝き、僕の頭の中で汗を流して生きている。

大切な人との日々もそうで、一瞬一瞬が息をしているのだ。いつか僕の体が動かなくなった時、頭の中できしたかの高野さんが狭い部屋の中でとても巨大な鳥に追いかけられて、最後に戦っている映像を見たいのでなんとかしてそれを実現できる財力を手に入れたいと思う。1日1日は宝物だと、そう思う。未来の僕はこのブログのことを覚えているのだろうか。

by akuta-seiryou | 2018-06-05 04:11 | 思い出 | Comments(0)