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カテゴリ:思い出( 30 )

ハイスクール漫才と拳

自分の人生を振り返るブログ、高校時代に入ってまいりました。前回の記事では高校野球への思いをしたため続けましたが、それとは別に僕はもちろん学校生活も営んでおりました。僕のいた高校では各行事ごとに割と「漫才」や「コント」など出し物を披露してもよいという時間がありました。例えば僕は文化祭などでは千原兄弟さんに影響を受けた、というかほぼほぼ完全にパクって披露してしまっていた「死刑囚を死刑にしようとするけど何度も失敗をする」というコントを披露したりしていましたし、そういう事自体はさほど珍しい事ではありませんでした。そのコントのオチは、何度も死刑を失敗するけども最後のピストルに本当に弾が入っており「・・これには入ってたか」と意味深なだけのセリフを言って終わる。というラーメンズさんの雰囲気のみをすくってパクり披露するというオチでした。太った高校球児がそのようなブラックテイストなコントを披露しても、ムカつかれるだけだというところまでは当時考えが及びませんでした。修学旅行では漫才を披露しました。内容は「初デートに彼女がハチの巣を持ってくる」という漫才で、これは事前に仕込んでおいた男前の同級生が率先して立てる笑い声につられ、その取り巻きの女子がそいつに気に入られようと笑い、学年の中心メンバーが笑っている事でその場全体にこれは面白いのだろうという雰囲気を生み出し最終的に爆笑にもっていくという作戦勝ちに終わりました。それでも人前で何かをするという事は当時の自分には新鮮で楽しい出来事でした。

その中で、僕をしきりに褒めてくれる友人が出てきました。その彼はというと僕の学年の中では男前グループの中心人物のような存在で、頭の回転が速く学校の中ではいわゆる他人をいじって笑いを作るようなポジションにいました。

僕は様々な原因により女子達からほぼ憎むように嫌われていたのでそういう男子の中心メンバーからの「おもしろい」という評価は高校生活を続ける上で非常にありがたかったのです。その彼は僕と二人きりの時に「渡ってほんまツッコミのワードがいいよな」や「間がさ、ぽつっと言ってくるのがいいねん」などの「ワード」や「間」という専門的な用語を使って褒めてくれました。当時も今も人一倍褒められるのが好きな僕は「ワード」や「間」という何か深い褒められ方に承認欲のようなものが満たされ、彼に褒められる時間は至福の時間でした。

そうして3年になり、そろそろ進路などを本格的に考え始める時期、その彼と廊下を2人で歩いている時に急に彼が「渡、NSCいこや」と僕に言ってきました。僕はお笑いは好きでしたが、芸人になるという想像など一切していなかったので「NSCなんていかへんよ!」と笑いながらハキハキと言うと、彼は「え・・?」と予想していない返事が返ってきたという顔をしてこちらを向いたまま黙りました。僕はその表情の理解ができず、咄嗟に返事が返せずにいると彼が続けて「俺、消防士なるのやめて、お前とNSC行きたいって親に言ったんやけど。」と言ってきました。

僕はどういう事か全くわからず返事ができないでいると彼はまた「いや、言ってたやんけ」というような事を言って不機嫌になりました。そこからいくつか話して、ぼんやりと掴んだ事は彼が「俺達はなんとなくお互いNSCに行ってコンビを
組みたいとよなという雰囲気を共有するような状態になっていたはずだ。はっきり約束はしてないけどそういう感じは確かにあった。お前も俺に褒められて喜んでいたじゃないか」という事でした。確かに褒められにおだてられた僕は機嫌よくうんうんと大事な雰囲気にも気づかず褒めを享受していたのかもしれません、とにかく僕はそういうつもりはなかった、仲良くなってからも今までも芸人になりたい気持ちはまったくないという話をして、なんとか誤解を解こうと話続けました。結果的に、まあそういうことならもうしょうがないけど、、というような後味の悪い終わり方でしか終わることができず、その彼とは同じグループで喋るけども、なんとなく距離があり、それが当人同士しかわからない微妙な距離のために周りもそれに気づかず、グループの中のほかの奴らはその話し合い以前の距離感の関係のまま僕とそいつを扱う。というものすごく微妙な雰囲気になったまま日が過ぎていってしまいました。ここでも自分の嫌な部分で、そうまでも思ってもらえる自分の面白さというのはやはりまあ平均とかよりは全然上なんだろうなあという想像自己褒め反芻行為や、その彼を昔に全然別件で激怒させてしまった時に「お前なんか舌がなかったら絶対に仲良くしてへんからな」という非常に独特な悪口を言われた事を思い出してもいました。「舌がなかったら仲良くなってない」という言い回しは非常に頭に残るというか、印象的で、いやそれっておもしろいから友達でいてくれてるっていうことやん嬉しいなという褒めにも繋がり、やはり彼は面白い奴だなあすごいなあという思いと共に、そんな彼とでも僕はやはり芸人をやる気はまったく起こらないなと改めて思ったりなどもしていました。

そんな高校3年生中、夏にハイスクール漫才というのが行われるという情報を掴みました。この大会の存在自体は知っていましたが、1年2年と野球部に入っていた僕にとって夏は本当に一日も空いている日がなかったので、まったく出るなんていうのは夢のまた夢でした。しかし、引退した今年の夏なら出れる。これは楽しみだ。ぜひ出てみたいということで、僕はいそいそと出場の準備をし始めました。そうなるとまずは相方です。真っ先に浮かんだのは、僕をNSCに誘ってきた彼でした。しかし、彼を漫才に誘うということは色々な意味を含みます。僕としてはあくまで文化祭や修学旅行の延長としてのハイスクール漫才であり、思い出作りのみだったので、本気の彼を誘うのは悪いし怖いと判断しました。僕は同じ野球部のお笑い好きの同級生を捕まえ、コンビ名を「野球」という僕を誘ってきた彼が聞いたら殴ってきそうなネーミングでエントリーしました。
ハイスクール漫才にエントリーしたということは、漫才を考えないといけません。当然ですが、いざ考えてみると非常に難しいのです。僕はそれから毎日頭の中で漫才を考えていました。出るからには面白いと思われたい、優勝とかしてみたい、審査員の人とかが笑ってたら嬉しいだろうな、面白いと思われたいな、優勝したいな、という気持ちがどんどんと大きくなっていき、周りがあまり見えなくなっていきました。

学校でも漫才を考えて、家でも考えました。それでもこれだ!というネタは思いつきません。ある日僕は学校終わりに友人たちにマクドナルドに行こうと誘われました。漫才を考えたかったのですが、まあ気晴らしも良いかという気持ちになり「わかった」と言って僕はそれに参加しました。近鉄奈良駅前にあるマクドナルドに入り、2階のソファー席を陣取りました。僕の前には、僕をNSCに誘った友人が座っていました。彼は本格的に消防士になる道に進むのを心に決めたようで、日に日に体が大きくなっていっていました。みんなで他愛のない話をして、よくある流れですがそれぞれが携帯をいじって彼女と連絡をとったりグリーやモバゲーをしたりなどという時間になりました。僕は彼女もいませんでしたし、グリーもモバゲーもやっていなかったので、ノートを取り出し、漫才を考えようと思いました。ノートの中には書きかけの台本があり、しばらく考えてもやはりなかなか進みません。というかそもそもこれが面白いのか面白くないのかもわからなくなってきました。なんなんだこれは。誰が笑うんだと思いながらふと顔を上げると、前に、その彼が座っていました。

僕は咄嗟に何も考えず「この漫才やねんけどさ、おもろいかな?」と喋りかけました。その瞬間に、彼の顔が変わりました。彼の緩んだ顔が一瞬にして険しくなる瞬間、僕も自分の血の気が一瞬で引いていくのがわかりました。僕は彼からのNSCに行こうという誘いを断っているのです、それを漫才を書いたから見てほしいなどと言う行為、しかし、でも、僕としてはそれを完全に忘れていた訳ではありませんでした。まあ向こうとしても終わった話ぐらいの感覚なのかなあと勝手に判断していたのですが、瞬時に険しくなった表情を見て、あ、全然まだ心の中にわだかまりとして残ってるんだ、これは大変なことになる、他人の気持ちを想像せずに喋ってしまって、怒った表情を見て瞬時に言ってはいけないことを言ってしまったというのがわかったところでしょうがない、これはどうしたらいいんだというような事を考えていると、彼が想像の5倍くらい怒っている声で「は?お前なんで漫才書いてんねん」と睨みつけながら言ってきました。もともと相当怒っていると覚悟していた上での5倍ですから、これはもう本当に怖くてパニックになりながら「いや、ハイスクール漫才出るんやけど・・」と最悪の出だしで喋ってしまった瞬間に、僕はそいつに顔を殴られました。僕がソファーに倒れながら(やってしまった・・)と思っているとそいつは「漫才やんの断った相手に漫才の事聞いてくんなボケ」と目をみてはっきりと言ってきました。僕は「ごめん」と言うことしかできませんでした。

そのあと、思い出受験だから真剣なあなたを誘うことはできなかったんですという旨を丁寧に話したら、一緒に漫才のネタを見てくれました。「これはおもろいやん。これはわかりずらい。これは意味わからん」と一番意見を出してくれました。
ハイスクール漫才の本番、結局ネタは冒頭でいきなり「校庭の真ん中でベビーカーが燃えている」と大声で叫んだり「江戸川に死体が流れる」と言ってしまうから口を塞いでくれ、と言って相方に頼んで塞いでもらう、という笑いの量よりも思い出重視で戦った結果まったく負けてしましましたが、たまたまその日ゲスト審査員で来ていた、まちゃまちゃさんと僕のスニーカーが同じだったり、アームストロング時代の安村さんが「体育教師くらい声出ててたね」とフォローしてくださったりなどのおかげで舞台上でまったくの笑いを経験せずに終わることはなかったです。なぜか漫才中のことより、そういう出来事やその後イオンの中にあるうどんの店に入ってうどんを食べたことの方が覚えています。ほっとしたからでしょうか。とにかくそれで最初で最後の僕のハイスクール漫才が終わりました。

高校野球が終わり、友人との衝突が終わり、漫才を経験しました。高校3年生の僕は様々な進路を選ぶことになります。それはこの次の記事でお話しましょう。それでは、おやすみなさい。

by akuta-seiryou | 2020-05-25 01:08 | 思い出 | Comments(0)

クラウドファンディング感謝と思い出を残す

クラウドファンディング、今回皆様のおかげで当初の目標金額50万円を超えた金額が集まり、諸々手数料などを引いて62万円が映画の資金としてフィニッシュということになりました。本当にありがとうございます。おかげさまでより幅を広げて映画のことを考えられるようになりました。

映画を作るにはシナリオがないといけません。シナリオを作るには土台が必要です。今回の映画のために過去の体験や気持ちなど様々なことを思い出し、テーマを絞り出しているのですが、わかってはいましたがやはりなかなか難しく、ただ自分でも観たいと思える形が少しづつできてきている気がします。楽しみに待っていてほしいです。出来上がってから、支援してくれた方々は向けて改めて気持ちはきちんと書きたいです。ありがとうございました。


先日マセキ事務所からの帰り道、電車に乗り、シートに腰掛けて後輩と喋っていると前に立っている男性から「木田さんですよね」と声をかけられました。


普段外で声をかけられることなんてないので、咄嗟に反射で「はい!!」と大声で返事をしてしまい車内に緊張を走らせてしまい、やってしまったなと思いながらその人の顔を見ると、その人が「大阪時代からブログとツイッターみてます」と言ってきました。


僕は17歳くらいの頃からTwitterとブログをしていて、かれこれ89年はネットの海の中に自分を投稿し続けています。その人は話してみると「木田さんがツイッターを2回消したのも知ってる」と言っていたので、僕が奈良時代に好きな男の子への熱い気持ちを毎日毎日連投して、ある日急に「こんなことしていて何の意味がある」とTwitterを消した1回目、そして大阪時代に同じ好きな男の子への気持ちを連投し続けていた日に、その男の子に彼女ができ、ショックすぎてガムテープで大きな自分の笑顔の顔を作って「Twitter終わりました」と書いてアカウントを消した2回目を知っているということです。


僕の生活を、僕の昔をこんなにも知っている人が東京の電車の中でたまたま出会うというのはとても驚きました。それと同時にネットの海に何かを残すことはやはりロマンだなあと思いました。


僕らは今コンビで週に1回自主ラジオを家で録音してネットの海に放り投げているのですが、それが先日101回目を迎えました。僕らが売れたら聞き返されて笑ってもらえたり、何年後かにガクヅケハウスラジオの何回がどう、みたいなのをまだ今僕らを知らない人が言っていると思ったらおもしろいと感じます。もう体が動かなくなって80歳くらいになったら全部聞き返してみたいです。皆さんも誰かとやってみてもいいんじゃないですかね?一人でもいいですし、自分の声を残し続ける。声はどんどん変わっていきます。


中学生くらいの時に僕の母親が「これは私とお父さんが老後に見るためにおいてるねん」と僕や弟の写真、作文、などさまざまなものを入れている箱を見せてきたことがありました。両親からしたら僕は思い出です。僕から見ても両親は思い出です。僕は弟がいますが、弟には本当に幸せになってもらいたいと思うように、両親も僕に幸せになってほしいと思っていると思うんですよね。


だからどうということではないのですが、お笑い、映画、ラップなど生活した証を残し続けるというのは一つの親孝行なのではないかと思いました。弟は今18歳なのですが、職場で「ガクヅケ、きいたことある気がするなあ」と言ってくれた人がいたという連絡がきました。僕らはテレビなどまだほぼ皆無なので、これも、もし聞いたことがあるならおそらくネットのおかげです。


僕らのネットラジオおもしろいと思いますので「ガクヅケハウスラジオ」で検索して聞いてみてください。コーナーとかはないのでどの回から聞いても聞けます。たまに同居ならではのことで揉めてピリピリしている回もありますが、飛ばすとか違う回を聞くとかしてみてください。僕は他人の喧嘩が好きなのでそういう回がきたら当たりだと思ってしまいますし、そういう人は割といると思うのでそういう人は当たり回を探してみてください。


何かを残すということは自分の楽しみでもあります。このブログを始める前、お笑いをやる全然前なのですがブログをやっていて割と更新していたのですがある日嫌になって消したというのが何回かありました。わざわざ消さずとも非公開とかで残しておけば、自分は見れたのにと今になって思います。世の中に思い出をたくさん残したいです。


この前電車の中でめちゃめちゃ太ってるおじさんがスマホでランニングのゲームをして遊んでました。面白かったです。


by akuta-seiryou | 2019-10-12 01:40 | 思い出 | Comments(0)

最近の弟

この前マセキの後輩芸人「銀兵衛」の小松という芸人を抱きしめて頭を撫でてる夢を見て目が覚めました。

小松は最近マセキに入ってきた後輩で、僕のお兄ちゃん欲を程よく刺激してくれる最高の存在なのです。小松は「顔が幼くて可愛くなるのが嫌でわざと自分で前髪を変に切っている」という可愛いポイントを持っており、その話を聞いたときに僕が「それがもう可愛いやんか」とホクホクした声で唾を飛ばして喋ったら苦笑いをしていました。その態度もよかった。

先日もモグライダーの芝さんというマセキの先輩から「木田今日何してるの」と電話がきて18時から集まり、22時くらいまで喫茶店で過ごしたのち、外に出てこれからどうしようかとなった時に「小松呼んでいいですか?」と聞いた。小松が23時頃に合流してくれて、そこから5時まで高円寺をゆっくり2周して中野まで歩いて駅前の広い空間に腰を下ろして喋っている間、ずっと小松のお兄ちゃんになりたいなあという思いにかられていた。

実際に僕は「お兄ちゃんじゃんけん」や「お兄ちゃん大喜利」というゲームも開発して、ご飯の席やライブの空き時間にやっている。「お兄ちゃんじゃんけん」というのは、小松以外のメンバーでじゃんけんをして勝った人が小松に「お兄ちゃん」と言ってもらえるゲームで「お兄ちゃん大喜利」は小松が出したお題に小松以外のメンバーが回答して小松が1位の回答を選び1位に選ばれた人が小松に「お兄ちゃん」と言ってもらえるゲームである。

争いに勝ってもぎ取った小松の「お兄ちゃん」もいいのだが、やはり本当のお兄ちゃんではないので本当の「お兄ちゃん」はもらえないんだなあと思うと悲しくなる。

僕は今奈良にいる弟に毎日でも会いたい気持ちを抑えながら東京で生活しているので、東京での弟を見つけたいのです。日々弟を探しながら生きているといっても過言ではないです。

先日、そんな自分に大きなチャンスが回ってきました。マセキ芸人コレクションというマセキ芸能社が3ヶ月に1回行っている大きなライブなのです。このライブには他社からもたくさんゲストが来て、MCがナイツさんでさらに大トリでネタも披露するということで毎回満員御礼なのですが、このライブに出演できることになりました。

そして当日、会場に行くとなんと手伝いに小松がいたのです。この大きな舞台でひるまずにウケる。そうすると小松も僕に一目を置く事になるでしょう。お兄ちゃんというのは弟から尊敬されるべきなのでそうすると本物のお兄ちゃんに一歩近づくということになります。

ここは絶対にウケるぞと思って挑んだオープニング、場の流れでナイツの塙さんに腕を掴んでもらい前に出して頂きギャグのようなことをするという状況になったのですが、普段は見ないような大量のお客様、ナイツさんや他事務所の方がいる緊張など様々な要因が相まり、ニヤと笑って真っ白になり舞台の真ん中に立っているだけの存在になっているのを察してくれたのかAマッソというコンビの加納さんがギャグを耳打ちしてくれたのですが、僕はそのギャグをそのまま小さな声で再現するという最悪な事態にしてしまいました。後に自主ラジオで相方の船引さんから「木田はできるんやから怯まんとやったらええねん」と気持ちのダメ出しを受けるほどの出来。あんなものを小松に見られてしまってはお兄ちゃんも糞もありません。もはや弟です。僕は小松の弟になってしまう。

最近外を歩いていて小さな兄弟が手をつないでいるのを見たりすると過去の自分と弟を見ているような気持ちになり無性に悲しくなり、急ぎ足で抜かしてすれ違いざまに顔を確認して自分とも弟とも似ていないというのを見るとホッとしたりします。

またブログ書きます

追記

このブログを書き上げた後、真夏の笑フェスというマセキの1000人規模のお笑い野外フェスがあり、それが終わった後にひつじねいり細田さんと小松と銭湯に行きました。銭湯に行く前にビールを買って飲んだら小松が「うまい..」と呟いていて弟でした。風呂に入ってる時も「最高ですね..」と呟いていて弟だった。


by akuta-seiryou | 2019-07-29 09:53 | 思い出 | Comments(0)

記憶と弟

小さい頃、ドラえもんやクレヨンしんちゃんの映画版と通常回のズレてる感じが不気味だった。



映画ではありえないくらい大変な目にあっているのに、アニメではそんなことを感じさせず普通の暮らしをしているのが怖かったのだ。オトナ帝国であんなにえらいめにあってたじゃないか。のび太もスネ夫もあんなに大変な思いをしてたのに。全部終わったら何でそんな感じなの。映画の時があったのにその話はここではしない、という感じでも不気味だしなかった事になっているならそれはそれで不気味だ。




小さい頃、お母さんがたくさん、どんどん部屋に入ってくる夢をよく見ていた。どのお母さんも本物のお母さんで、最初にいたお母さんがどれかわからなくなってしまい怖くなったところで夜中目が覚めていた。目を覚まして、横で寝ている母親の頬を触ってみると冷たくて、それも怖く感じた。




こういう昔のワンシーンだけ覚えている瞬間ってなんで覚えているんでしょうか。さっきのお母さんの夢の話は、自分の中の怖かった記憶として残っているのでまだわかるんですが、例えば中学生の時に天理市にある老人ホームに職場体験に行った際に天理駅で降りて班で歩いているとき見た友達の横顔、中学の時グラウンドに出たら怖い先輩が「今日森いる?」と僕の剣道部の先輩の森さんがいるかどうか聞いてきた時の視点、剣道部の部室でみんなで白ご飯の美味しい食べ方の話をしている時に、その森先輩という人が「僕はねこまんまが好き」と言って手を猫耳のようにして話に入ってきたのをさえき先輩が「森はかわいいなあ!」と言って頭を撫でていた時。




今思えばその森先輩の猫耳の手をやってた時に、可愛いなと感じたような記憶がある。これに関しては、今の僕がその当時の森先輩の動作を思い出して可愛いと感じているのか、はたまた当時そう感じたのかははっきりとわからないが、森先輩も今思うと僕の好きな目の大きな色白の美少年タイプの中学生だったように思う。となると趣向としては当時からそのようなものがあったのかと考えることもできる。




僕はこれはもうそうなのですが、圧倒的に「弟」が好きで、僕には本物の弟がいてまず弟としてこれが大好き、お兄ちゃんがいるより弟がいてよかったなと小1の時に弟が産まれた時に思っていました。



そこからの流れで「弟」的な人への愛着はおそらく大きなものがあって、これは明確に覚えているのですが、中学時代の後輩にNという子がいた。Nと伏字にするのは「こころ」のリスペクトです。


このNという子があまり部活内で同学年の子と馴染めていなかった。というのも子供っぽい性格や、書き方は難しいですが調子乗りのような部分があった子で、それも弟好きの僕からしたら可愛い部分だったのですがそれが原因でいじめとまではいかないですが、悪口を言われたりして落ち込んでいるような時期がありました。


これに関してはNのプライドもあるだろうし、あまりこちらから肩を持つようなことはしないほうがいいな、と感じていたのですが、向こうから割と懐いてくれて武道場の上にある大きな窓の近くに登ってそこに座り相談を受けたりしていた。


どんな内容の相談を受けたのかは覚えていませんが、この「特別感」はとても嬉しかったのを覚えています。この「特別感」は厄介なもので、ある日N君が他の先輩に自分の悩みを相談しているのを見てしまった時、失恋のような気持ちになりました。俺だけを頼ってくれ、なんでなんだ、と思い僕のお兄ちゃんの部分が暴れて大変でした。


おそらくこれ以降、この「特別感」というのは僕の趣向に大きく関わってきて高校3年生の時にめちゃめちゃ好きになった男の子、後輩君(僕がこの子に関して歌った名曲 後輩君 という曲があるのでYouTubeで聞いてください)も「僕は木田さんだけが友達でいたら他にはいらない」というセリフを言われたきっかけで好きになった気がする。


本物の弟にも、なるべく僕は頼れるお兄ちゃんという存在でいたいと常々思っており、昔弟が焼肉の帰りにマンションの下でお腹が痛くなり下痢のうんこを漏らしてしまった時も(ここだ!!)と嬉しくなり「動かんとそこで待ってろ!」と言ってすぐさま自宅の2階まで駆け上がり、満面の笑みでビニールとタオルを持って駆けつけました。誰もそこを通らなかったからよかったものの、「お兄ちゃんがお兄ちゃんでよかったなあ」と何度も言いながら弟に恩の記憶を植え付けつつ、笑いながら地面の下痢を拭いてビニールを履かせて子供を抱き上げてる僕の姿を見られていなくてよかった。


何度も植えつけた甲斐があって、先日実家に帰った時に弟に「お兄ちゃんがしたことで一番嬉しかったことは何?」と聞いたところ「下痢の時助けてくれたやつ」と言っていた。努力は必ず報われる。皆さんも頑張ってください。


by akuta-seiryou | 2019-07-06 04:22 | 思い出 | Comments(0)

あのリズムをもう1度

パソコンが治った!パソコンが治りました。ブログを書くときは僕はずっとパソコンだったのですが、パソコンが壊れてからというものブログを更新しようとしたらスマホで文字を打たないといけなくなり、チマチマ液晶の画面をみてフリック入力で文字を入れていてもまったく気分が乗らず、書いてはやめ書いてはやめをしていたのですが、この度パソコンが治りましたので軽快にキーボードを叩いています。

皆様、あけましておめでとうございます。すごく遅いですね。2月になってしまいました。いろいろなことがありました。僕らが単独ライブをやることになったのですが、それが開始8時間で完売させていただき、良かったなあということや様々なことがあったのですが、年始早々悲しい出来事もありました。

それはというと、僕が彼女を毎回必ず笑わせていた最強のリズムを忘れてしまったのです。

僕は可愛い男の子が好き(バイセクシュアル※(男※も女も好きだということ)(僕※は可愛い男の子のみ)(僕というのは木田))なのですが、僕にはめちゃめちゃ可愛くて愛らしくて大好きな彼女がいます。そしてその彼女を毎回笑わせているリズムがあったのです。そのリズム、これを書いている今となってはそのリズム自体を忘れているので、説明しようがないのですがそのリズムは口に出してもおもしろく、彼女の足をそのリズムで叩いて小さな音を出すだけでも笑いを起こせるという素晴らしいリズムだったのです。

具体的にどれだけすごかったかというと、以前僕と彼女とギャビン(ルミネのモデルとかをしてるめちゃめちゃ可愛い顔の外国人の芸人。調べてみてください)とあと数人でご飯に行ったとき、他にも初対面の人がいたのでその人に敬語で喋っていたところ、僕が敬語の境目の訳がわからなくなってつい何の気なしに彼女にも敬語で喋ってしまったのを後で怒られてしまい話が進んでゆくにつれ「どこまで本気で男が好きなの?」と聞かれ「可愛い男の子は普通に好き」と泣いて謝ったという少しだけボヘミアンラプソディみたいな出来事があった次の日でも恐る恐るそのリズムで彼女の体を叩いてみるとフフッと笑ってくれたというもう僕の中ではなくてはならないものでした。

そのリズムがなくなった。

ある日ふと忘れてしまったのです。その日は彼女の家に泊まっていて、起きたら何か違和感がありました。今思えばその違和感を無視して生活をしていれば、恐らくはあのリズムがなくなることはなかった。そんな気がします。僕はこの違和感は何だろうと思い、考えているうちにいつも発していたあのリズムがつっかえたように出てこないことに気づきました。

ここからがさらにダメだったのですが、彼女に向って「テン。テテテン。テンテン。テテテン」と少しリズムを発してみるとぽかんとしています。もちろんです。面白くも何ともないのですから。これをやってしまうことで、もしくはそのまま待っていれば脳の底から浮き上がってきてくれたかもしれなかったはずのあのリズムが別の面白くないリズムによって下にいってしまいました。その時の僕はそんなことも気づかずにただ闇雲に面白くないリズムを大量に口から発していました。「ツツツタン。ツタツツツン。タン!」「デデデデン。デデデン!デデデデン」目隠しをしたままグラウンドの上に落ちている1円玉を探すようなものです。当然見つかりません。

しばらく箸にも棒にも掛からないリズムを発し続けていた僕に、彼女が「あ~あ。忘れてもうたな」と言ってきました。この一言で僕はあのリズムを「忘れてしまった」という事実を自分の中で固めてしまいました。彼女も僕が何の足しにもならないリズムを出し続けるのを聞いたせいでぼんやりと思い出せくなってしまったらしく、それでもヒントとして「太ってるくせにこんな機敏なリズム」というので笑っていたというようなことを言われたのですが、もう思い出せません。彼女は面白いのです。「録音しとかなあかんかったなあ」とさらに言われ、あのリズムが記憶の奈落に落ちていくのだけがわかりました。言葉というものは繊細に扱わないといけません。悲しい。
例え、もしこれからの人生の中であのリズムを思い出した気持ちになったとしても(果たしてこれは本当にあのリズムなのか・・)という疑問がついてまわることになり、そのリズムは本来持っていた純な面白さを得ることはできないでしょう。ああ悲しい。僕のリズムはいずこに。

誰か僕のリズムを見かけたら声をかけてあげてください。

「君は本当に面白い。ゆっくり休んでくれ」と

by akuta-seiryou | 2019-02-01 14:45 | 思い出 | Comments(0)

演劇に出ました

マチネ、ソワレが終わり、流した汗は舞台の光の中に蒸発して消えていった。マチネ、ソワレ。


皆さんは「マチネ」と「ソワレ」の意味を知っていますか?僕は知っています。


「マチネ」は午前「ソワレ」は夕方という意味らしいです。なぜ僕がそれを知っているかというと、先日人生で初めて演劇に出たからです。演劇というと必要なのは最低限の演技力で、もともと自分に演技力が無いのはわかっていましたが、自分で思っているよりも演技力というのがありませんでした。


稽古初日にまず、僕が気まずそうに「あぁ」というシーンがあったのですがそれが全然言えなかった。「あ」や「あーーー」などばかりで「あぁ」が出てこない。


音を操るというのは難しく、意識するとどんどん変になっていく。主宰の方に「全然普通で大丈夫ですよ!あぁ、みたいな!ほんとにほんとに!」と言われやってみると、その時は「あぁ」と言えて「その感じです!じゃあやってみましょう!」と言われ練習に戻ると「あーー」と言ってしまい「またなっちゃってますね!!」となるのを繰り返していた。最終的にその部分はなくなって全然違う台本になった。


台本を変えてもらう、というとワガママなスター女優みたいですが、何もできない太った男でも変えさせることはできました。下手すぎてですが。申し訳ないなと思いましたが、本番で「あぁ」を出す自信はなかったので少し安心しました。


最終的に、主宰の方と一緒にトイレで並んで小便をしている時に「木田さんはどんな感じだとやりやすいですか?」と聞かれ僕は「なんか..簡単なキャラがあると..」と小便と同じく歯切れ悪く答えたのを反映してもらえたのかどうかはわかりませんが「元気な歌のおにいさん」というめちゃめちゃわかりやすいキャラをもらって、そこからは比較的楽でした。


そんなこんなで練習が終わり、公演も終わり、最終日に打ち上げをやりました。打ち上げも終わって外に出た途端、急にめちゃめちゃ寂しくなりました。悲しい、終わりたくない、これで終わってしまうのか、僕は高校野球をやっていた時から「合宿」とか「引退」とかが部活的な事が大好きなので今思えばこの「一定期間集まっていたメンバーが合わなくなる」というのがドツボすぎて気持ちよかったというのがほとんどだったかもしれません。


感動を自分で増幅させてる状態の僕は、最後外で共演した皆さんに握手を求めたりしてどんどん感極まっていった。一番役も楽で演技が難しいところもなかった太った男が最後の最後にいきなり熱くなって握手をしてきたから困らせてしまったかなと少し思う。


共演した俳優の方と上野まで一緒に歩いている道中に「すごく寂しいですね。こういうことなんですね。俳優さんの楽しいところって」と的外れなことを言って歩き続けた。


一期一会という感じがとてもいい。あっさりさっぱりしている。家へ帰る。


by akuta-seiryou | 2018-12-28 07:09 | 思い出 | Comments(0)

変なやつ

かっこいいものになりたい。かっこいいものに、シュッとしていて、顔も良くて、機転がきいて、愛嬌があって、ミステリアスで、おもしろくて、感情の機微が読める、というのが僕の思うだいたいのかっこいい要素だ。真逆だ。自分とは。かっこいいのに愛嬌がある人がいる。反則だ。ぼくが黙ってニヤニヤしてお酒を飲んでるような打ち上げで、かっこよくておもしろくて場をうまくさばく、それでいてうるさいわけではなく節度のある盛り上げ方をしている人がいる。格好が良い。


ぼくは5人以上の人数になると、会話のペースに入れずあまり喋れなくなる。嫌いとかではなく、タイミングがよくわからなくなる。どれだけ仲のいい人たちでもそうなるので緊張とかではないと思う。子供のときからそうだった。なので小中高と少ない人数で、お気に入りの友達を集めて喋っていた。大勢で喋る時は明るく楽しいのでそれはそれでいいのですが、みんなで喋ってるとなぜか急に理由なく寂しくなる時があって、そういう時はぼくが集めた不気味な友達を校舎の誰もこない所によんで喋っていた。


中学の時には岸谷という友達がいて、そいつは自分のことを「こっち」その他の人のことを「そっち」と呼ぶ他人との境界線をめちゃめちゃはっきりとひいているやつで、楽しかった。ロシアの土の層について調べたい、という話を延々とされた記憶がある。小学生の時は平賀という虚言の気があるやつで、外を指して「ここからみえるとこまでが僕のお父さんの土地やねん」と言っていた。平賀の家はそこまで裕福ではなく、普通の家なので明らかな嘘であることは確かだが、僕はほぉ〜とずっと聞いていた。平賀としても明らかな嘘を延々と聞いてくれるのは楽しかったのだろう、それからも何回も色々な大きすぎる嘘を言われた。平賀は高校を卒業し自衛隊の炊事班に入ったらしい。それを聞いた19歳の僕が奈良で「なんでやねん!!」と言った覚えがある。そういう、人目のつかないところで変なやつを集めるような癖は大人になった今でもあまり変わらない。みんなに隠れてフェーというコンビの篠原さんという顔がすごく変な人と二人でご飯に行き、顔を高速で振ってもらったりして笑っている。ぼくの憧れる人はそんなことしない。


変なやつが近所に住んでほしい。夜中ぼくがいつ電話をしても出てくれて、散歩に延々と付き合ってくれる変なやつ。変な人の話を聞くのが好きだ。こういう人に会いたい、という例は「とくになにをやりたいでもないけどとりあえず東京で一人暮らししていて、毎日日記をつけてる」人とかです。僕は暗い変な人が好きなのだと気づいた。変わった人は多くても、中でもタイプな変な人を探すというのは難しいことなのだ。これからの人生では、長い期間をかけて僕のタイプな変な人と知り合っていけるような人生にしたいとおもう。仲良くしてもらえるかはわからないが、話題をたくさん用意しておこう。


by akuta-seiryou | 2018-11-07 03:31 | 思い出 | Comments(0)

ガクヅケ木田師匠の後輩へのアドバイス

ごっつい家住んでよ、ほんで、ごっつい炊飯器こうて、それで、米たかして、食うたら、めっちゃええやろ。な?おまえも、そうせえや。やっぱり、生まれたからにはごっつい飯と、ごっつい家やろ。おまえ、な?わかるやろ?アホみたいに広い部屋でよ、住んでよ、叫ぶねんな、うぁぁぁ!!って、ごっついすっきりすんねん。旅行なんか、せせこましいわ。どうせ帰ってくんねやから、そんなもん。


逃げ、やな。俺も、昔は好きやったけど、旅行。いまはおまえ、ほら、いろんなところに家あるから、どこにいくのも帰るだけやねんな。逃げれへんねん。ほんなら、どないすんねん、て思うやろ?棒でな、床を、しばくねん。こう、バシッッと。人間、死ぬのだけがわからへんわけやろ?結局。そこに突っ込んでいくねんな。でもおまえ、まさかほんまに死にはできへんから、こう、飛び降りたりとかやな、そんなこともできへんから、こう、棒で床をしばくと、手がジーンとするやろ。これが死からめっちゃ離れたところにあるけど、死の感覚やねんな。俺的にはな。手が、わからんくなるねやから。ほんでそれずーっとやってたら、あー明日も、がんばろ、てなるねん。ハワイとか、ラスベガスやとか、あれは正味アホやで。棒と床でええねん。まあでもこれは、金があるからやな。金ないおまえみたいなやつがやっても、あかんで。悲しくなるだけや。ラスベガスにもハワイにもいける、でも俺はこの棒、ていうのが、ええんやろなあ。


あとおまえ、アホみたいに寝て起きて外歩いて疲れたら寝て、毎日やなあと思って過ごしてるやろけど、あかんで。アホになる一方やで。賢く生きなあかん。賢い、ていうのは、アホを外から見れるてことやな。じゃあ、アホてなんやねんな?理屈の通らん、てことやろなあ。他人にはアホはおらんで。理屈なしで動いてるやつなんて、1人もおらんで。どんなに間違った理屈でもな。だから、他人見て、アホやなぁ思ってるやつが、もっとアホやな。うんこ見て、きたないなあ、ていうて、ずっと見てるやつは、うんこよりアホに見えるやろ。これをわかってやってるねやったらええけど、わかってへんかったらあかんで。


だからおまえなんでもしたらええねん、そのかわり、アホの自分をちゃんと見ることやで。ほんならおまえ、自然と金がよってくるわ。酒鼻から飲んで、目回して、笑われても、おまえが一番それを笑っとったらおまえが賢いねん。ほんならおれ、しょんべんでうごく車に乗ってお餅で出来た家に帰るわな。さよなら。


2078年 ガクヅケ木田師匠からのアドバイス 渋谷ぼうしょにて


by akuta-seiryou | 2018-10-09 01:07 | 思い出 | Comments(0)

そうめんと間違えて冷麦を買ってしまった。あまり違いがわかっていなかったので、正確に言うとそうめんの少し上質な版が冷麦だと思って買ったら全然そうでもなかったという感じです。もちもちしていて美味しいのは美味しいが、そうめんのあのつるつるとした美味しさは無い。そうめんが食べたくて買ったのに、少しの卑しい気持ちが自分を苦しめている。

小学生の時、友達の家に遊びに行くとそこの家のお母さんがめちゃめちゃ汗をかきながらそうめんを作ってくれた。顔からの汗が鍋の中のそうめんのに落ちていくのを見ていた時、初めて「なんか嫌だ」という気持ちになった。その家ではリスを飼っていたのだが、ある時部屋の中で放して遊ばせていると大きな食器棚と壁の隙間にリスが入ってしまいでてこない、このままだとリスが死んでしまうと泣いてるその母親と友人と一緒に晩御飯を食べたことがあった。その家族のリスの死にまったく共感できなかった僕は、何気なく件の食器棚の隙間を見てみるとヒーローの人形が挟まっていた。僕の友人がそれでリスをおびき出そうとしたのか、ひっかけてうまいくらいにやろうとしたのかわからないが結局うまくいかなかくて今では痕跡となってしまっているヒーローがむなしく、今も食器棚の後ろにいるであろうリスの事を考えると少し悲しくなった。その後リスは普通に出てきたらしく、ではあの涙の晩御飯は何だったのかと思ったがまあしょうがないことだと思った。

by akuta-seiryou | 2018-08-25 04:21 | 思い出 | Comments(0)

下北沢にて

今相当欲しいものの一つにパソコンと作曲ソフトがある。

今僕が持っているパソコンはジモティーで3000円で購入した緑色のパソコンでして、最初はよかったのですがこれがやはり3000円のクオリティというのか使ってるうちに何をするにも重くどうにも使い物にならなくなってきてしまった。

もちろん3000円なので、それだからムカつくなどというわけではまったくなく、むしろ起動してヤフーを開くだけでめちゃめちゃ熱くなりヴヴヴヴ..と唸り出すあたりはもう死にかけなのに俺のためにそんなにも..と切なくなり、そのまま「佐藤勝利 ドラマ」と勝利くんの出てるドラマ「ミスデビル」の評判を検索して見ようとすると、ヴゥーン!!!とうなってさらにめちゃめちゃ熱くなる。

そうなるともう佐藤勝利くんのミスデビルの評判を見るためにそんなに辛い思いをしなくていいよ、と死体の目を閉じる感じでパソコンを閉じてしまう。

そんなパソコンなので、僕の今の夢である「自分で作ったダンスミュージックを野外の音楽フェスで流して、ステージの上でイケメン俳優を踊らす」という野望にはついてこれない。

一度フリーの作曲ソフトを落としてみたが、そのソフトを起動しようとするだけでヒュンと言って電源が落ちた。めちゃめちゃすぐ落ちたので面白かった。とにかく僕はMacとかをかっこよく使ってやってみたいのだ。イケメン俳優を躍らせたあとはフェー篠原さん、きしたかの高野さん、フランスピアノ中川さんというバケモノ芸人3人を踊らせて中国のお面を使ったお祭りのような野外フェスもやりたい。

この前、TBSラジオのラフターナイトというネタ番組の月間チャンピオンというのになれた。これは説明すると少しややこしいのですが、ガクヅケのキャリア的にはまあまあすごいことでこれの年間チャンピオンというのになれたら前年度の賞金は100万円ということで、今年はどうなるのかわかりませんがとても楽しみです。ものすごい金額をもしかしたら10月の僕は手にしているかもしれない。

果てしないほどのお金を手に入れたら、可愛い男の子だけの野球団を作りたい。合宿を開いて寮を作って寮母さんになるんだ、と思っているとジャニーズというのはもともとジャニーさんが作った野球チームだったらしいというのを聞いた。すでにものすごい先人がいた。世の中には誰もやっていないということは少ない。

今日お笑いライブで下北沢に向かっている時、小田急線に向かい、電車に乗ろうとしたのですがもう少しいつもよりホームの端の方にいこう、と思い進んでいき車両に入るとしばらく会っていなかった友達(根冬くん)に会った。

嬉しくなり、根冬くんも下北沢に向かうとのことなので一緒に行った。根冬くんと僕はよくラップをして遊んでたので、少し外でラップをして遊んだ。今度お金を貯めてトラックを作る機械を買いに行く約束をした。楽しみです。外に出るとこういうことがある。バッタリ誰かと会ったりするのは楽しいし、暇なら外に出るべきだなあと思った。

そしてそのお笑いライブが終わった後、下北沢を歩いているとめちゃめちゃ可愛い男の子がいた。その子は友達何人かと集まって、路上でスナップ写真みたいなのを自分たちで撮っていた。弟みたいでめちゃめちゃ可愛く、母性本能が爆発しそうになるのを感じて一緒に歩いていたお笑い芸人の先輩(矢野号さん)に「少しだけ待ってもらっていいですか」と頼んで向かいにあるダイコクドラックの中に入ってこっそりその子を見た。

可愛い男の子を見たとき、「育てたい」と強く思う。「育てたい」というのは、子供としてというよりか師弟関係的な「育てたい」です。

僕がもしむちゃくちゃ空手が強くて可愛い男の子が僕の空手に心酔して弟子入りしてきたとして、毎日毎日一緒に練習してお互いを高めあって、ある日道場からの帰り道とかに「彼女ができました!」と言われて号泣するのだろう。これと全く同じようなことが19歳の時にあった。僕は空手のマスターになっても同じようなことをしてるのかもしれない。人生は自分の性格によって出来上がっている。

その下北沢の子は友達と楽しそうに写真を見て、また写真を撮っていた。楽しそうに笑うのですが、写真の時は澄ました顔になる。あの子にはすでに、師匠がいるのだろう。この人になりたい、と思っている人がいるなら僕の入る余地はない。そもそもこんなブヨブヨの汚い僕ではあの子の師匠にはなれない。さらにジムに行って体をきちんと鍛えなければ。あの子の心の師匠は誰なのか。かっこよくなりたい。

by akuta-seiryou | 2018-06-25 09:28 | 思い出 | Comments(0)